小説 高橋是清 第101話 賠償金=板谷敏彦
(前号まで)
ポーツマス講和会議が始まった。一銭の賠償も一握りの領土も譲渡してはならぬ、とニコライ2世はウィッテ全権大使に命じる。日本に負けたとは考えていなかったのだ。
明治38(1905)年の8月、ポーツマスでは日本とロシアの講和会議が大詰めを迎えていた。
日本の国民は戦争が始まって以降、メディアがあおり立てる連戦連勝のニュースに沸いていた。
「日本人は強い。我々は特別な民族だ」
精神が高揚することによって徴兵や重い税負担、身内の死亡、つらい戦争下の生活に耐えてきたのだ。
街の通りでは戦に勝利する度に提灯(ちょうちん)行列が繰り出され、2年前に開園したばかりの日比谷公園では戦勝を祝う集会が何度も開かれていた。
講和会議の直前には是清が第4回の外債発行を成功させている。ロシアが講和を拒絶しても日本は十分に戦争を継続するだけの軍資金がある。従って日本は強気で交渉に臨めばロシアを屈服させられると信じられていた。
ウィッテの情報戦
両軍の満州からの撤兵、朝鮮半島を日本の利益下におくことや、旅順、大連その他、遼東半島の租借権、鉄道の譲渡などは先に決まり、講和会議で最後まで残った争点は賠償金問題だけになった。
「賠償金は20億円というところか」
この金額は戦費の概算とほぼ同じである。これが一般市民や兜町の株式市場が予想した賠償金に対するコンセンサスだった。
一方で賠償金を要求する日本に対してロシア代表のセルゲイ・ウィッテは、
「日本は金欲しさのために血を流そうとしている」
と、集まったメディアにアピールした。これは米国一般大衆がもっとも嫌う表現である。
また会議の期間を通じて、現地の教会の日曜礼拝に出ては、日本人は非キリスト教徒で有色人種であることを訴えた。ウィッテは情報操作が巧みであった。
「談判の始まる前までは新聞記者の9割は皆親日なりしがたちまちひるがえりて親露なるもの9割と変転し……」
当時米国にいた金子堅太郎はこう嘆いた。
伊藤博文や児玉源太郎など日本の首脳は、もともと賠償金要求は無理だと考えており、固執する気はなかった。それよりも交渉で粘れば粘るほど、満州の地に派遣している20万人の将兵のコストが重くのしかかってくる。ここは是非とも早く解決したい。
こうして8月の29日に至り日本は賠償金を断念して講和条約に調印することを決定した。
日本が勝っていると認識していたのは何も日本人だけではない。当初世界は賠償金を受け取らない日本の講和条件を譲歩しすぎだと受け取った。
そのためこの結果は、
「日本の外交上の敗北」
として世界各国の新聞紙上で大きく取り上げられることになった。日本は戦いでは勝ったが、外交では大きく負けたと捉えられたのだ。
日本が賠償金獲得を断念したと主要新聞で報じられた8月30日のロンドン市場ではロシア公債が大きく買われた。
これはつまりロシアの財務負担が予想よりも軽くなったことを示していた。すなわち金融市場ではロシアは当然賠償金を支払うものだと解釈されていたことになる。
開戦時には大きく差が開いていた日露の公債価格も、「ハル事件」「血の日曜日事件」などを経て両者の差は縮小し、奉天会戦の頃には一時同じ価格まで並んだ。
しかし市場では奉天会戦での日本側の勝利の不十分さと、それによってロシアが講和に応じず、戦争が継続することを嫌い日本公債は再び売られたのであった。
それをくつがえしたのが5月末にあった日本海海戦であった。日本はバルチック艦隊を殲滅(せんめつ)、予想外の大勝に市場は戦争の終結を予想した。この時日本公債価格は上昇しロシア公債と同じ水準になった。
そしてポーツマス講和会議における日本の賠償金断念である。ロシア公債は大きく買われた。
しかし注意しなければならないのは日本公債の価格である。売られたわけではない。わずかとはいえ買われたのである。欧米のメディアや金融市場は賠償金を獲得できなかった日本に失望したのではなく、日本が譲歩して戦争を止めたことを大きく評価した。
是清のもとにヤコブ・シフから祝電が届いた。
「万歳! 貴国が現したる謙虚、克己(平和のために金銭欲に打ち勝ったこと)は最も驚嘆に値す。謹んで慶賀す」
「正貨準備の維持は困難」
また松尾臣善(しげよし)日本銀行総裁から是清に電報が入った。
「平和談判はうれしい限りだが、償金皆無ゆえ正貨準備の維持はなはだ困難なり。今政府と日銀が内外に所有する正貨は5億1800万円である。目下兌換(だかん)券をもって為替を申し込むもの毎日平均100万円、月に3000万円、20カ月ともたず。
また本年は米作不足にして輸入超過は逃れられまい。なんとかこれを救う手立てはないものだろうか、貴君の意見を請う。
尚、米国のハリマン氏は無事到着。貴君の言うとおりそれぞれの待遇の手配をしてある」
当時の蔵相や日銀総裁の戦争以外の最大の関心事は米作であった。不作であれば米を輸入せねばならず、それには正貨が必要だったからだ。
是清は返電した。
「その件に関してはもう少し事実の調査が必要ですが、今こそ国民上下とも非常の決心断行が必要な時だと思います。戦争中のごとく警戒を緩めず、奢侈(しゃし)(ぜいたく)を斥(しりぞ)け、遊惰を戒め、この際生産的資本に属する機械類以外の輸入品には国家をして干渉し、関税を重課して輸入を減らし、その一方で生産的事業資金は積極的に供給する途(みち)をひらくべきです。
決して国力以上の施設をなさざるように注意してください。特に陸海軍に対しては特別の御宸襟(しんきん)(天皇の御心)を煩わし奉り関係大臣をお膝元にお召相なり親しくご裁断願えるよう希望いたします。 高橋是清」
(挿絵・菊池倫之)
(題字・今泉岐葉)