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小説 高橋是清 第103話 整理公債=板谷敏彦

 (前号まで)

 賠償金獲得を断念した日本政府を、欧米メディアや金融市場は無駄な流血と出費を止めたと評価するが、国内では大衆の怒りと不満の声が高まり日比谷焼討事件が発生する。

 明治38(1905)年9月8日、ポーツマス会議後の日比谷焼討事件に揺れる東京で鉄道王ハリマンが活発に活動している頃だ。

 ロンドンの是清に松尾臣善(しげよし)日本銀行総裁から電報が入った。日露戦争の軍事作戦は終わったが、財務担当者の戦争はいまだ終わっていなかった。

パリ・ロスチャイルド

「昨年発行したクーポン・レート6%の第1回、第2回の外債2200万ポンド(2億2000万円)と、同じく6%の内国債第4回、第5回2億円のどちらも整理したい。ついては戦争も終わったことだしフランスの銀行団もシンジケートに加えて無担保4%の借り換え用の長期債を3億から4億円ぐらい発行したいと思う。直ちに銀行団と協議に入ってほしい」

 戦中に発行した外債は計4回、額面合計8200万ポンド(8億2000万円)、内国債は計5回、4億8000万円におよんだ。これでは毎年のクーポン(利息)支払いの負担がさすがに重い。

 そこで講和が成立し日本政府の財務リスクが低下した機会を捉えて、無担保低利の外債を新たに発行して、戦中に発行した高クーポンの条件が悪い債券と借り換えて整理しようというのである。

 是清が業者たちと相談したところ、日比谷焼討事件の影響で今は日本の人気は低迷中である。また現在ロシアも公債発行を計画しているようで、露仏同盟の関係からもフランスはロシアを優先しなければならないという事情もあった。是清がそれを松尾に返電すると、9日に再び松尾から電報が来た。どうやらまたもや日本政府は財政的余裕がないようだった。

「公債発行を来春まで延ばすことは困難である。

 軍隊の引き揚げは来年の2月までかかりそうでどうしても2億円ほど作らなければならない。

 そのために内国債2億を償還して外債で借り換えて、新たに2億円の内国債を国内で発行したいと考えている。とにかく何としても発行するつもりで仕事にあたるように」

 是清は入り口の交渉相手をパリ証券取引所のベルヌーイ委員長に絞りパリまで出掛けることにした。奉天会戦の直後にロンドンまで訪ねてきた人である。是清は事前にロンドンの銀行団にも相談し、パリと交渉することを報告して仁義を通しておくことを忘れなかった。

 また今回はパリ・ロスチャイルドを核として参加させたいので事前にロンドンのロスチャイルドにも相談を入れておいた。

 若いパリ・ロスチャイルドの当主はロンドンの当主ナサニエル・ロスチャイルドのおいっ子で何でも言うことを聞くという話だった。

 ナサニエルは是清の懇願にパリ・ロスチャイルドに対して是清の話を聞くようにと一筆を啓上してくれた。戦中に是清が構築しておいたリレーション・シップがここで役立ったのである。

   *     *     *

 9月15日の夕方、是清は深井とともにパリに到着、最高級ホテルであるリッツに宿をとると、翌日ベルヌーイを訪ねた。

 是清はここで新しい公債について、発行総額5000万ポンドの無担保4%クーポン債、発行価格90ポンド以上、償還期間25年という日本有利の条件を出した。これはもはや先進一流国の水準だったが、ベルヌーイから特に異論は出なかった。

 しかしベルヌーイは言った。

「日本がパリで発行するのであれば早い方が良いが、今はロシアの発行が優先である」

 是清は、順番はロシアの後であっても、それは仕方のないこと。あせらずに下準備をすすめた。

 またパリ・ロスチャイルドでは、ロンドン・ロスチャイルドが参加するのであれば自分も参加すると明言したが、ロンドンはなかなか参加するとは言わなかった。

 なぜなら、「戦中の条件が良い時に、自分を仲間外れにして駆け出しのユダヤ人金融家カッセルやシフが大もうけしていい気になっていたのはよく知っている。今更日本公債の引き受けなどできるか」というもので、ナサニエルは明らかにシフやカッセルに嫉妬していた。

 是清は懇意にしていたナサニエルの弟アルフレッドを通じて何度も懇願すると、とうとうナサニエルも根負けしてディールに参加することになったのである。

 こうして日本公債の引受銀行としてロンドンとパリの両ロスチャイルドがそろい踏みした。

ツーム・ストーン

 これで公債発行の準備はいつでもOKとなったが、ここでひとつ問題が生じた。アラン・シャンドがいる主幹事の英国のパース銀行である。

「ロンドンのロスチャイルドがシンジケート団に参加することは大変うれしいが、問題は債券を発行する時に新聞に出すツーム・ストーンだ」

 ツーム・ストーンとは墓碑広告のこと。債券を発行する時に新聞に告知を出す。その際に引受銀行の名前も掲載されるが、この掲載される順番が業者の「格」にとって非常に大事なのだ。

 ロスチャイルドは超がつく名門一流銀行、これがパース銀行の下に名前が出ることを容認してくれるのかという問題だった。パースとしても格下ではあれども、日本公債のディールには最初から参加しているプライドがある。

 これも是清が懇願すると、ナサニエルはあっさりと受け入れてくれたのだった。パース銀行はロスチャイルドの上に自行の名が出るということで鬼の首でも取ったような大騒ぎだった。だがロスチャイルドはあまり気にしていなかったのかもしれない。

 10月に入るとロシアは銀行団をサンクトペテルブルクに招集して債券発行をもくろんだが、国内の革命活動が活発化して、いよいよ債券発行などは無理な状況となった。

 さらに銀行団は日本に対してもロシア革命によって欧州市場全体が荒れるかもしれず早く発行した方が良いということになった。

 こうして11月17日になって、是清はまずパリのロスチャイルドと打ち合わせ、翌日ロンドンへと戻りイギリス銀行団と打ち合わせた。19日にはハンブルクからマックス・ウォーバーグがロンドンへと出張、米国のシフからも電報が届き、ここに史上空前となる英米独仏4カ国協調の日本公債が発行されることになったのである。

第5回ポンド建て日本公債

◦発行総額5000万ポンド(内今回は2500万ポンド)

◦クーポン 4%

◦償還期間 25年

◦発行価格 90ポンド

◦発行日 1905年11月28日

◦各国配分 仏1200万ポンド、英650万ポンド、米独それぞれ325万ポンド

 応募はパリ20倍、ロンドン27倍、ニューヨーク4倍、ドイツが10倍であった。大成功である。

 是清は12月20日にロンドンを発ち、ニューヨーク経由で帰国することになった。

 ニューヨークではハリマンが首を長くして是清を待っていた。

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

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