週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

パラスポーツに魅せられて=越智貴雄・フォトグラファー/804

「思いもよらぬ世界が見られるのがパラリンピックの魅力です」 撮影=佐々木龍
「思いもよらぬ世界が見られるのがパラリンピックの魅力です」 撮影=佐々木龍

 今夏の予定だった東京パラリンピックが延期になり、パラスポーツを追い続けてきたフォトグラファーの越智貴雄さんも落胆の色を隠せない。それでも、もう一度大会への機運を盛り上げようと奮闘している。(問答有用)

(聞き手=神崎修一・編集部)

「道なき道を進む“開拓者”を撮り続けたい」

「東京パラは延期になったけれど8月25日にカレンダーを発売しファッションショーもやります」

── 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、今年8~9月に開催予定だった東京パラリンピックの延期が決まりました。

越智 延期になってがっくりしていますが、安全があってこそのスポーツ大会。カメラマンとしての仕事はすべてなくなってしまっても、仕方がありません。ただ、延期が決まった後の5月のある日、東京駅近くをジョギングしていた時に、カウントダウンボードが「465日前」に切り替わっていたのを見て、自然に涙が出てしまいました。パラリンピックまで本来なら「100日前」のはずだったのに、と思い出してしまったんです。

── 4年に1度の晴れ舞台にかける選手たちも、気持ちを切り替えるのが大変ですね。

越智 パラリンピック出場を目指す選手たちにオンラインで取材をしていますが、この状況でも室内で筋力トレーニングを続けたりしています。その姿を見て、もう泣くのをやめようと決めました。パラリンピックは本当に楽しい大会。世界中から多くの人が集まって、新しい世界が生み出される。そこに思いをはせようと気持ちを切り替えました。そして、東京パラリンピックに向け、私たちで新たなプロジェクトを立ち上げました。

義足女性のカレンダー

2015年に石川県で開かれた義足の女性がモデルになったファッションショー 越智貴雄さん撮影
2015年に石川県で開かれた義足の女性がモデルになったファッションショー 越智貴雄さん撮影

── 新たなプロジェクトとは?

越智 面白いことを仕掛けたいと考えています。まず、パラリンピックの開会日だった8月25日に合わせ、義足の女性たち7人がモデルになったカレンダーを発売します。このうち4人は前川楓選手(走り幅跳び)らパラリンピアン。東京パラリンピックに向けて強い思いを持った人たちばかりで、制作費を我々が負担して、カレンダーの売り上げをコロナ対策を担う団体に全額寄付しようと考えています。

── まさに、私たちが国立競技場にいたかもしれない日ですね。

越智 そうですね。そして、同じ8月25日には、JR高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)前広場を会場にファッションショーも開きます。コロナ禍なので、ショーは無観客でオンラインライブ配信する予定です。カレンダーに登場した女性たちだけでなく、若い人から大人まで幅広い世代の女性がモデルになり、モデルの皆さんが「着てみたい」と思っていたコスチュームで出演するんです。

── どんなコスチュームなんでしょうか。

越智 金の義足や、特徴ある義足に合わせた衣装もあり、詳しくは当日のお楽しみですね。2014年から同様のファッションショーを全国で13回開催した際は、動物の「チーター」に扮(ふん)して出演した人もいました。競技用の義足はチーターの足の形に似ているので「チーター義足」と呼ばれていて、それに重ねたようです。ぜひ多くの人に見てほしいと思っています。

 00年シドニー大会から夏冬合わせてパラリンピック10大会で現地取材を続けてきたフォトグラファーの越智さん。カレンダーの製作も今回が初めてではなく、12年にも女性パラリンピアンのカレンダーを企画。14年には村上清加(さやか)さん(走り幅跳び)ら義足の女性11人をモデルにした写真集『切断ヴィーナス』(白順社)を出版し、チャイナドレス姿やオートバイにまたがる姿が「かっこいい」と大きな反響を呼んだ。

── 写真集やファッションショーを初めて企画した当時の狙いは。

越智 パラリンピックを長く見続けてきて、私自身は選手たちの格好いい姿しか知りません。しかし、国内では少し前まで、義足を装着する人に「隠さなければいけない」という意識が地方に行けば行くほど残っていました。そこで、パラリンピアンの義足を多く作っている義肢装具士の臼井二美男さんと相談し、隠さずに格好よくしている人たちを表に出そうという思いで企画したんです。

── 『切断ヴィーナス』では着飾った女性たちが、義足を自分の体の一部のようにポーズを取っているのが印象的です。

越智 パラアスリートなどいろいろな人にモデルとして出演してもらい、同じ境遇の人たちに「自分も義足を出して走ってもいいんだ」と思ってもらえた写真集でした。病気で足を切らなければいけなかった人が、この写真集を見たことをきっかけに「もう一回何かやってみよう」と、私に会いに来てくれたこともあったのはうれしかったですね。

── 越智さんが写真に興味を持つようになったきっかけは?

越智 小学生の時は写真を撮られるのが大嫌い。写真写りが悪いと思っていたからです。それならば、撮る側になるしかないと気づき、誰かが持っていたカメラを借りて写真を撮ると、両親や友達が「上手だね」といって喜んでくれました。それがうれしかったのを覚えています。

── 本格的に写真を撮りだしたのはいつごろ?

越智 高校生のころですね。(JRの)「青春18きっぷ」で国内各地を旅行し、撮影した写真をフォトコンテストに送ったところ、入選して賞金がもらえました。これに味をしめ、大学も写真学科のある大阪芸術大学に進学。当時は人物ではなく風景ばかり撮っていましたが、報道写真の授業で五輪の取材経験の話を聞き、興味を持つようになりました。

── シドニー五輪は現地で取材したそうですね。

越智 どうしてもシドニー大会が見たくなり、オーストラリアに留学しました。語学の勉強の傍ら、選手村やボランティアの様子などを取材して、いろいろなメディアに自分が撮った写真を売り込みました。自費でチケットを購入して会場に入り、マラソンの高橋尚子選手や柔道の井上康生選手、田村亮子選手の金メダルの瞬間を観客席から撮影したんですよ。

── パラリンピックとの出会いは?

越智 私の五輪の写真や記事を掲載してくれた新聞社から「パラリンピックも取材してみては」と誘われ、そのままシドニーに残ることにしました。当初は五輪の取材だけのつもりが、依頼を受けたことがうれしかったんですよね。けれど、パラリンピックのことをよく知らなかったのに加え、「障害者」という言葉にネガティブなイメージしかなく、開会式が近づくにつれ、写真に撮っていいのかと不安になってきました。

── 実際に取材してみて、どうでしたか。

越智 開会式で選手たちが笑顔で入場してきたことに、とてもびっくりしたんです。義足の選手が逆立ちして入ってきたり、別の選手が松葉づえでブレークダンスを始めたり……。陸上の百メートルの競技では義足の選手が11秒台で駆け抜け、車椅子バスケットボールでは激しいぶつかり合いを目の当たりにし、無我夢中でシャッターを切り続けていました。

心の「壁」なくなる

── 180度見方が変わったんですね。

越智 観戦していた子どもたちを取材したところ、義足の選手たちを「かっこいい」と話していました。その時、自分の中にあった「壁」が薄くなっていくのが分かりました。シドニーでの体験はまさに原点。大学卒業後は一時、新聞社にカメラマンとして勤務しましたが、自由に写真を撮りたいとフリーになり、パラリンピックの取材も続けています。

── パラリンピックの取材の中で、印象に残っていることは?

越智 固定観念が覆されることばかりです。例えば、06年にオランダで開かれたパラ陸上の世界選手権に取材へ行った時、イギリスの砲丸投げの選手が競技を待っている間に、自分の義足を枕にして寝そべっていました。珍しい光景だったので恐る恐る「写真に撮っていいですか」と尋ねると、「いいよ」と気軽に応じてくれました。彼にとっては義足は特別なものではなく、自分の体の一部ということを改めて気づかせてくれました。

── パラリンピアンの競技環境は五輪選手とはまったく違うと聞きます。

越智 「道なき道を進むフロンティア」というのが私のパラリンピアンの印象ですね。プロスポーツ選手や五輪に出場するような選手はお手本とする選手が必ずいますが、パラリンピアンには目指すべき選手がとても少ないんです。例えば、膝上を切断した選手と膝下を切断した選手では練習の仕方がまるで違うので、経験豊富なコーチの指導を受ければうまくいくという単純な話ではありません。

 13年9月にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会。東京オリンピック・パラリンピック招致の最終プレゼンテーションで、当時はパラ陸上女子走り幅跳びの選手で、東京大会にはパラトライアスロンで出場を目指す谷真海(まみ)選手のスピーチ中に使用された跳躍写真は、東京へ大会を呼び込んだ1枚として話題になった。青空をバックに、谷選手が走り幅跳びで踏み切る瞬間を越智さんが撮影した写真だった。選手たちのいきいきとした表情を捉えるのも越智さんの写真の特徴だ。

── 選手たちを撮影する時に心がけていることは?

越智 競技用の車椅子は低い姿勢で乗るよう設計され、上から撮ると選手たちの顔が見えません。そのため地面に寝転がって下から撮ります。地面ギリギリから撮影すると写真に迫力が出るからです。また可能な限り、選手の練習風景を取材に行くことにしています。選手の動き方の癖を知っていると、本番の大会で撮影する選択肢が増えるからです。

「ゼロ」からのエネルギー

沖縄県内で練習する瀬立モニカ選手(パラカヌー)を撮影する越智さん=2020年3月 越智貴雄さん撮影
沖縄県内で練習する瀬立モニカ選手(パラカヌー)を撮影する越智さん=2020年3月 越智貴雄さん撮影

── パラスポーツの取材で難しい点は?

越智 ここ最近は、メディアの数もかなり増えたので、取材が大変になったことですかね。これはうれしい悲鳴です。06年ごろまでは、会場にいるメディア関係者は私1人だけ、国際大会でも原っぱのような会場で開催されていたこともありました。けれど、17年にロンドンで開かれた世界パラ陸上では、40万枚もチケットが売れたそうです。他のカメラマンの存在はとても良い刺激になっています。

── 注目している選手は。

越智 19年のパラ水泳の世界選手権で100メートル平泳ぎ知的障害に出場し、世界記録で金メダルを取った競泳の山口尚秀選手です。ゴール後に手を合わせ「ありがとう」とつぶやきながら、お辞儀をしたのに驚きました。競技後に聞くと「素晴らしい場を作ってくれたロンドンの大会関係者への感謝」の意味だったそうです。私は喜びを爆発させるシーンを狙っていましたが、思いもよらぬ世界を見せてくれるのもパラリンピックの魅力です。

── 今後の活動の目標は?

越智 取材を始めた20年前は、パラリンピアンでも選手として見てもらえないような時代でした。今は新聞のスポーツ面に記事が載るのが当たり前。選手たちの記録も飛躍的に伸び、競技への注目も高まっています。パラスポーツの変化を踏まえながら、東京大会の後もずっとパラリンピックの取材は続けていきます。

 また、これからパラスポーツを始めようとする人たちも追いかけています。「ゼロ」から「イチ」に向かうエネルギーにとても興味をひかれるんです。障害を負った後になぜパラスポーツを始めようとするのか。ここにパラリンピックの魅力の原点があるのかもしれないと思っています。


 ●プロフィール●

おち・たかお

 1979年大阪府生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。大学在学中の2000年シドニーパラリンピックからパラスポーツの取材に携わる。新聞社での勤務を経て、04年にパラスポーツのニュースメディア「カンパラプレス」を設立。写真の配信やイベントの企画運営などを行う。14年に義足の女性をモデルにした写真集『切断ヴィーナス』(白順社)を出版。今年6月にはパラスポーツでの取材経験をまとめた『チェンジ!』(くもん出版)を刊行。

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