週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

ホリエモンのオンラインサロン発 日本初のドローンプロレースチームを立ち上げた男の「野望」

    「ドローンは産業として伸びていき、そのレースは自動車におけるF1になる」 DRONE SPORTS提供
    「ドローンは産業として伸びていき、そのレースは自動車におけるF1になる」 DRONE SPORTS提供

     日本初のプロドローンレースチームを立ち上げ、海外リーグ戦に挑戦している小寺悠さん。ドローンの普及に努めるとともに将来的には日本でのプロリーグ創設を見据えている。(問答有用)

    (聞き手=村田晋一郎・編集部)

    「ドローンレースをスポーツとして根付かせる」

    「世界最先端の動きに誰かが食らいついていかないと、日本は後れを取ってしまう」

    ── 社長を務める「DRONE SPORTS」(ドローン・スポーツ)が今年3月31日、NTTドコモやNTTぷららと共催し、屋内では国内最大級のドローンのレース「スーパー・ドローン・チャンピオンシップ」を幕張メッセ(千葉市)で、開催しました。

    小寺 11~42歳の選手8人が出場し、トーナメント形式で優勝者を決めました。さまざまな障害物のある1周545メートル(シミュレーター換算)のコースを2人が同時にドローンを操縦し、どちらが速いかを競う大会です。コンマ1秒を争う接近戦も繰り広げられ、盛り上がったと思います。ドローンや障害物には青や緑、黄色などのLED照明を取り付け、光の演出も見どころになりました。

    ── 当初は観客を入れる予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で無観客での開催となりました。

    小寺 当初は約2000人の観客を予定していましたが、緊急事態宣言も取り沙汰されていた中で、無観客は苦渋の決断でした。インターネットテレビ局「Abema(アベマ)TV」で生放送も予定していましたが、こちらも中止となってしまいました。ただ、アベマTVや(ドコモの定額制動画配信サービス)「dTV」、東京MXテレビなどでその後、大会の模様が放映され、多くの視聴者に楽しんでもらえたと思っています。

     四つのプロペラで縦横無尽に飛び回る無人の小型機ドローン。農業や宅配、監視などさまざまな形で活用が広がる中、操縦技術を競うレースも各地で開催されるようになった。小寺さんが取り組むのは速さを競うFPVドローンレース。操縦者の目視ではなく、機体に取り付けたFPV(ファーストパーソンビュー=一人称視点)カメラの映像を操縦者(パイロット)がゴーグル型のディスプレーで見ながら操縦する。時速150キロ超のスピードで飛び回るレースシーンや機体のカメラ映像は、SF映画さながらの迫力だ。

    スーパー・ドローン・チャンピオンシップの様子 (C)NTT DOCOMO, INC. All Rights Reserved.
    スーパー・ドローン・チャンピオンシップの様子 (C)NTT DOCOMO, INC. All Rights Reserved.

    業界立ち上げに魅力

    ── ドローンレースを知ったきっかけは?

    小寺 堀江貴文さんが主催するオンラインサロンに参加していたところ、2014年9月に堀江さんがフランスのドローンレースの映像を投稿し、「誰かやってみないか」という話になりました。オンラインサロンの東京のメンバーがドローンレース開催に向けて準備を進める中、当時大阪にいた私は面白そうだと思いながらも見ているだけでした。

    ── それでも、15年8月には「日本ドローンレース協会」(JDRA)の代表理事に就任します。

    小寺 いろんなタイミングが重なった結果です。もともと子どものころからずっとサッカーをしていて、大学生の時にケガでプレーはできなくなりましたが、卒業後にお世話になったサッカークラブの手伝いをしていました。子どもたちにサッカーを教えつつ、将来はクラブを経営したいとも思っていたのですが、子どもたちに何かをきちんと語れるようになるためには、自分で事業の実績をつくりたいと思うようになりました。

     そのタイミングで、たまたまJDRAの人と会う機会があり、協会を中心になって動かす人がいないという話でした。オンラインサロンでドローンレースに興味を持っていたところだったので、「私がやる」と言って上京し、JDRAの代表理事になりました。

    ── ドローンレースのどんなところに面白さを感じたのですか。

    小寺 ドローンがこれから産業として伸びるのは確実で、そのスポーツであるドローンレースは、自動車にとってのF1になる可能性があるからです。今からF1のような業界を自分で作り上げることに魅力を感じたのです。また、サッカーなど主要なスポーツは欧米発祥で、欧米人がルールを決めたものですが、立ち上がったばかりのドローンレースなら日本人の自分もルールを作る側に回れるかもしれないという思いもありました。

    ── JDRAでは具体的にどんな活動を?

    小寺 上京したのは15年の8月でした。その年の4月に首相官邸にドローンが落ちて、「ドローンは危ないもの」という声が上がっていた時期でしたが、ドローンが世に広く知られるきっかけにもなりました。多くの人がドローンに興味を持ち始めた時期でもあり、まずは体験会などで一般の人々がドローンに触れる機会を増やしていきました。そして、15年12月にはJDRAとして初のFPVドローンレースを開催しました。

     JDRAの代表理事としてドローンレースの普及に努める一方、小寺さんは海外とも連携を進め、16年3月には中国と韓国の協会とアジアドローンレース機構(ADRO)を発足させて副会長に就任した。しかし18年1月に小寺さんはJDRA代表理事を退任。同年2月にドローン・スポーツを設立し、4月にはプロドローンレースチーム「DMM RAIDEN RACING」(DMMライデン・レーシング)を立ち上げる。

    夢の舞台をつくる

    ── なぜJDRAの代表理事を退任したのですか。

    小寺 JDRAでは15年12月のレースに続き、16年6月には仙台市とTBSの協力を得て、「JAPAN DRONE NATIONALS」(ジャパン・ドローン・ナショナルズ)という大規模なレースを仙台市で開催しました。17年には国内各地で3回の大きなレースも開催できるようになり、私はこの大きなレースを18年にプロリーグ化しようと考えていました。

    ── プロ化する狙いは?

    小寺 17年には各国でリーグが立ち上がる話が聞こえてきていて、18年に国内でリーグを立ち上げられなければ、日本は世界の流れから遅れてしまうという危機感がありました。私は日本で世界一のリーグを作ろうと思いましたが、JDRAのメンバーとは方向性が合わなかった。当時のJDRAのメンバーには、もっと手軽に楽しめる小規模の大会を数多く開催し、ドローンレースの裾野を広げていこうという意見が多かったのです。

    ── 方向性の違いを埋めるのは難しいですね……。

    小寺 ドローンレース業界を三角形に例えると、三角形を大きくするには裾野を広げることも大事です。しかし、頂点をどれだけ高いところに上げるかで三角形の大きさが決まると私は思っています。パイロットやエンジニアなどドローンレースに関わる人たちの夢の舞台を作って頂点を引き上げないと、いつまでもホビー(趣味)のままで終わってしまう、と考えて走っていましたが、周りを見たら誰も付いてきていなかった。

    ── JDRAを離れた後、「ライデン」というプロチームを始めます。

    小寺 日本にプロリーグはできないが、世界にはプロリーグができている。ならば世界トップのリーグにチームを日本から出して、世界最先端の動きに食らいついていかなければいけないという使命感を持っていました。そこで、JDRAを離れてドローン・スポーツという自分の会社を作り、ライデンというプロドローンチームを作って、トップリーグに出ていくことにしました。

     堀江さんにライデンの共同設立者になってもらったほか、DMMにはスポンサーとなってもらい、私がライデンのチームオーナー兼マネジャーを務めています。ドローン・スポーツでは、ライデンのチーム運営のほか、ドローンを使った空撮やイベント運営なども手掛けています。業務用ドローンメーカー、エアロジーラボ(大阪府箕面市)との協業も進めており、そのために今年4月、活動拠点を東京から大阪に移しました。

    昨年のドローン・チャンピオンズ・リーグのイタリア・トリノでのレースで、ライデンの選手 DRONE SPORTS提供
    昨年のドローン・チャンピオンズ・リーグのイタリア・トリノでのレースで、ライデンの選手 DRONE SPORTS提供

     小寺さん率いるライデンは18年から、世界最高峰のリーグである「ドローン・チャンピオンズ・リーグ」(DCL)に参戦している。DCLは8チームのトーナメントで争われ、9チーム以上参加の場合は予選を実施。各チーム4人のパイロットが出場し、5本勝負で勝敗を決める団体戦だ。18年は中国やスイスなど5カ国で全10戦、19年もルーマニアなど4カ国で全8戦開催された。

    ── DCLでのライデンの戦績は?

    小寺 18年のDCLは第1戦でいきなり2位、第2戦で3位でしたが、経験値が足りず第3戦は予選落ちしたりし、全9チームが参戦した中で年間総合4位の成績でした。また、18年はDCL以外にも中国や韓国のリーグにも参戦していました。8チームが参戦した19年のDCLは獲得ポイントはゼロで、総合成績は最下位。それでも、僅差のレースが多く、悲観する内容ではなかったと思っています。

    日本でもプロリーグを

    ── 20年はまた新たな体制でシーズンに臨むところでしたが、コロナ禍が起きました。

    小寺 20年はリアルのレースは開催できなくなりましたが、DCLがリアルなレースさながらの公式ゲーム「DCLザ・ゲーム」を発表し、eスポーツ形式で開催することになりました。チームやパイロットはそれぞれの国の自宅などから参加します。21年のDCLは、リアルのレースとeスポーツの両軸で進める予定です。

    ── 最先端のスポーツでは、リアルとバーチャルの垣根も低くなっていきますね。

    小寺 eスポーツのゲームで速いパイロットが出てくれば、リアルのレースも変わってくると思います。DCLのCEO(最高経営責任者)や各チームオーナーとは毎週、オンラインで定例ミーティングをしていて、DCLの将来について濃密な議論を行っています。

     リーグのあり方として、プロアメリカンフットボールリーグの米NFLのように、リーグがチームに対して選手の予算を厳格に決めることで、すべてのチームが良い戦いができるよう設定することが望ましいと私は主張しています。こうした議論は私が将来、日本でリーグを立ち上げる時の大きな知見になると思っています。

    ── 日本でのプロリーグはあきらめてはいないのですね。

    小寺 その思いはまだ残っています。そのためにも、世界のトップリーグに参戦して、運営の仕方などの知見を蓄えるとともに、世界の関係者とのネットワークを強化しているところですね。

     ADRO副会長は続けていますし、世界団体のドローン・スポーツ・インターナショナル(DSI)の理事も務めながら、各国の団体と連携を取っています。

    ── 今後の目標は?

    小寺 まず、ライデンとしてはDCLで世界一を目指すことはもちろんですが、一方でみんなに愛されるチーム、パイロットが誇りを持てるチームを目指したい。ライデンに関わることでハッピーになる人が増えることが重要だと思っています。そして、私の会社ドローン・スポーツでは、日本でドローンのリーグを立ち上げ、ドローンレースのエコシステム(生態系=関わる人の有機的なつながり)を作り上げることが目標です。

     パイロットやエンジニアなど、ドローンレースが職業となる受け皿やお金の流れを作らないと、この業界に人がとどまらない。ドローンレース業界はまだ少ない人数で活動する“ゲリラ戦”の状態ですが、この業界に未来があると思って関わってくれる人や企業は増えています。今年3月のスーパー・ドローン・チャンピオンシップもその証し。目標には一歩ずつ近づいていると思っています。

    (本誌初出 無人小型機にかける夢=小寺悠・DRONE SPORTS社長/802 20200728)


     ●プロフィール●

    こてら・ゆう

     1991年生まれ、大阪府出身。2013年、大学在学中にネットビジネスを始める。大学卒業後の15年8月、日本ドローンレース協会(JDRA)代表理事に就任。ドローンレースの普及に努める。18年2月にDRONE SPORTS(ドローン・スポーツ)を設立し社長に就任。同年4月、日本初のプロドローンレースチーム「DMMライデン・レーシング」を立ち上げる。アジアドローンレース機構(ADRO)副会長なども務める。

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