週刊エコノミスト Onlineコレキヨ

小説 高橋是清 第108話 1907年恐慌=板谷敏彦

(前号まで)

 欧米巨大資本の力を知る是清にとって、南満州鉄道をめぐる日米シンジケートの破約は無念であった。日本は必ず後悔するとハリマンは警告する。

 明治39(1906)年9月、エドワード・ハリマンの事務所を後にした是清は、その足でクーン・ローブ商会のヤコブ・シフの自宅を訪ねた。

 シフには是清の長女和喜子をホームステイに託してアメリカでの教育をお願いしている。是清は数カ月ぶりで和喜子に会った。思いのほか元気で驚いた。

「シフさん、昨年出した整理公債5億円の残りの2億5000万円分、つまり第6回の公債発行についてですが、ご協力いただけないでしょうか」

 是清が単刀直入に切り出すとシフも簡潔に、「ノー」と答えた。

信託バブル

 シフには日本がハリマンの日米シンジケートを契約直前で破棄したことに対してさしてこだわりはなかった。

 シフとしては、もともとハリマンの世界を一周する鉄道網構想は採算面で疑問だった。そこにきて日本の鉄道国有化、南満州鉄道新規公開株に熱狂する日本国民の感情などを考慮に入れるならば、むしろ日米シンジケートは政治的リスクが高いと考えざるを得なかった。

 もちろん是清との個人的な友情にはいささかの陰りもない。

 しかしながらこの時のシフは米国の証券市場に対して弱気だった。

 この年、1906年1月のニューヨークの銀行家の集会で、シフはこう述べていた。

「もし我が国の通貨事情が根本的に改められなければ、我々は、これまでの恐慌があたかも児戯(じぎ)に見えるようなとてつもない恐慌に見舞われるだろう」

 この予想はやがて「1907年恐慌」と呼ばれる株式の暴落とその後の景気後退という形で実現する。多くの暴落は誰も予想できない時に発生するが、この暴落はシフだけではなく多くの金融家が警戒心を持っていながら防げなかった点がちょっと変わっていた。

 1904年の日露戦争の開戦ごろから始まった米国の株式や不動産ブームでは、当時の新商品である「信託」の器を使った野放図な投資が投機を加速させた。

 当時の「信託」は銀行のように預金を集めながら銀行のような規制を受けない。預かった資金を株式にいくらでも投資ができる。こうした特性からリスキーな投資に走る信託が多かった。行き着く先は破綻である。

 サブプライム債券など、規制の弱い新しい仕組みがリスキーな投資を呼び込んだことから、現代では「1907年恐慌」と2008年のリーマン・ショックとの類似性も指摘されている。

 シフが指摘した問題点は、このバブルそのものだけではなく英国の投資家からも大量の資金が米国に流入していた点である。これは金本位制下では大量の金が米国に移送されていたことを意味した。

 これを見ていたシフは、イングランド銀行は金の流出を防ぐ、すなわち英ポンドを守るために金利を上昇させるに違いないと予想した。

 そうなると今度は逆に高利回りを求めて米国から英国への金の流出が始まり、その結果米国では金詰まりが起きてバブルは崩壊し景気は一気に悪化するだろうと考えていたのだ。

 そしてその危機の際にも米国側には対処すべきイングランド銀行のような中央銀行がない。これがシフの言う「我が国の通貨事情」であった。

FRBの誕生

 シフの発言から少しした4月18日にサンフランシスコを大震災が襲った。当時のサンフランシスコは木造建築が多く市の約半分が焼失した。

 このため今度は英国を中心とする欧州から火災保険の支払いとしてまとまった資金が一度に米国に流入することになった。

 もともと米国への投資ブームで金が米国に流れ込んでいたところにさらに大量の金が英国から米国へ移送されて、この時イングランド銀行の金準備は十数年来の最低水準にまで落ちこんだ。これでシフの市場予測はますます悲観的になった。

 英国やフランス、ドイツ、日本には、すでに銀行システムを保護する中央銀行が存在していたが、米国では州ごとの分権主義者たちが強い影響力を持ち、過去に2度ほど中央銀行が設立されては廃止されていた。

 米国では循環的に恐慌が発生するたびに、市中銀行には預金者が殺到し取り付け騒ぎになった。その際に一時的な準備金不足で閉鎖に追い込まれる銀行も多かったのだ。

 そうした恐慌時に資金面でサポートし、一時的な危機を受け止め銀行準備金のバッファーになれるような強力な中央銀行の存在は米国にはまだなかったのだ。

 このシフの予想が的中した「1907年恐慌」は、現在の米国の中央銀行、FRB(連邦準備制度理事会)設立の直接のきっかけとなった。

 この時、シフのクーン・ローブ商会のパートナーで、ドイツ、ウォーバーグ家の三男坊、ポールが中央銀行設立の企画書を温めていたのだった。

 この恐慌は米国の中国大陸に対する門戸開放政策にも影響を与えた。米国政府は国内の景気対策に忙殺されて満州に対する権益の主張は下火となった。

 長くなったが、こうした理由でクーン・ローブ商会のヤコブ・シフは、米国は近々恐慌に陥るだろうから米国での公債発行は無理だというのだった。

 明治39(1906)年10月、是清と深井は米国での公債発行をあきらめてロンドンへと向かった。

 しかしシフの予想によれば、英国はポンドを守るため、つまり金(ゴールド)の米国への流出を防ぐために金利を上げるだろうという。であればロンドンの債券の市場環境も良いものであるはずがなかった。金利が上がれば債券の価格は下がるのだ。

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月9日号

EV失速の真相16 EV販売は企業ごとに明暗 利益を出せるのは3社程度■野辺継男20 高成長テスラに変調 HV好調のトヨタ株 5年ぶり時価総額逆転が視野に■遠藤功治22 最高益の真実 トヨタ、長期的に避けられない構造転換■中西孝樹25 中国市場 航続距離、コスト、充電性能 止まらない中国車の進化■湯 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事