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小説 高橋是清 第109話 最後の資金調達=板谷敏彦

    (前号まで)

     ハリマンとの日米シンジケートが破談となった後、是清は親友ヤコブ・シフに第6回公債発行への協力を求めるが、シフは米証券市場に対して弱気だった。

     明治39(1906)年10月、ヤコブ・シフからニューヨークでの第6回公債発行を断られた是清は深井を伴いロンドンへと向かった。

    「ロンドンでの公債発行は困難だと思います」

     日露戦争の最初の資金調達以来、常に日本側について公債発行の仕事を支えてくれたパース銀行のアラン・シャンドさえこう言うのだった。

    「高橋さん、フランスのロスチャイルドを口説いてください。フランスが主体であれば英国も協力できるかもしれません」

     米国と同様に英国の銀行団も市場環境には弱気で日本の公債発行に乗り気ではなかった。

    フランス・ロスチャイルド

     こうなると頼みの綱は前回の第5回の発行から引き受けに参加したフランス、もう少し正確に言うとフランス・ロスチャイルドである。

     フランス・ロスチャイルドはまだ日本公債を1回しか引き受けていない。米英に比べれば是清の話に乗り気だった。

     ところがフランスの場合、金融市場に対する政府関与が強い。フランスで日本公債を発行するには、パリ取引所への上場が必須となるが、外国政府の公債発行は外交上の案件でもあってフランス政府とも交渉し了承を得なければならない。

     昨年第5回公債を発行した際、是清と良好な関係にあったモーリス・ルビエ首相はすでにジョルジュ・クレマンソー首相と交代していた。

     のちの第一次世界大戦の時にも首相として国を指導することになるクレマンソーは、元々は急進的な社会主義者だったが、この時は軍備拡張、帝国主義的政策が特徴とされる人物だった。

     クレマンソーは、日本は米国や英国での公債発行が難しく、フランスに頼るしかないという事情をよく知っていた。

     そのために公債発行をフランスの権益拡張の取引の材料とした。満州の鉄道の権益の一部や、朝鮮におけるフランス人の古い利権の回復など、是清は難題をつきつけられたのだった。

     またフランスの外務大臣からは、同盟国たるロシアと日本に細々とした懸案がある間のパリ市場での発行は無理だとも言われた。

     駐仏栗野慎一郎大使がこの件を林董(ただす)外務大臣に報告すると、「国際関係において外交上の懸案は常日ごろからあるものだから、それを前提に発行に尽くすべし」と返事があったが、これではどうしようもない。

     是清は頭を抱えた。

         *     *     *

     是清がロンドンに戻った時、この件を小村寿太郎駐英大使に相談すると、「よし、俺がひとつ電報を打ってみよう」と細かい話も聞かずに、書記官を呼んで林外務大臣宛の電報の内容を口述した。

    「ロシアは日本のフランスにおける募債に反対するやということを、この際直接ロシアに問い合わせてはいかが?」

     林はこれを受けて駐露大使に命じてロシアの外務大臣に直接会って尋ねさせたところ、回答は「ロシアは懸案の解決は望むが日本の公債発行に反対せず」というものだった。

     だからフランスとの折衝が円滑に進んだというわけではなかったが、是清は小村の手際の良さに感銘した。是清はハリマンの日米シンジケート破棄の一件以来、小村には距離を置いていたが、これ以降は何でも相談するようになった。

     この年のクリスマス、是清はウォーバーグに招待されるままドイツで過ごしたが、これがまたフランスを怒らせた。

     こうしてフランスとの交渉で何も進展がないままの翌年2月17日、是清はとうとう決心した。深井にフランス政府宛に交渉終了の短文の手紙を書かせると、是清が清書してフランス当局に渡した。フランスを見限ったのだ。

     しかしながら英国に行ったからといって公債発行ができるわけではない。

    「我輩は腹を切る覚悟だ」

     帰りのドーバー海峡を渡るフェリーの中で、是清は2人を包む空間を支配していた沈黙を破るように、突然深井に対して決意表明をした。

    「深井。我輩は英国で公債発行を強行することに決めた。

     我々には最後に募集した正貨3億円がまだロンドンに預金してある。もし発行した公債が売れなければ、日本政府が自分ですべてを買うまでだ」

     いつも「深井君」と「君」づけなのに今回は「君」がない。

    「では、早速本国に電報で報告しましょう」

     是清は深井を横目で見た。

    「本国などに相談すれば不承認に決まっている」

     そして、続けてこう言い切った。

    「我輩は腹を切る覚悟だ」

     我輩という言葉は是清が覚悟を決めた時以外に使わないことを深井はよく知っていた。これは悲壮だった。深井は暗涙(人知れず涙)を催した。

         *     *     *

     ロンドンに到着して是清が小村大使に会うと、「大使に責任を分かとうというわけではありませんが、是非意中を承知しておいてください」

     と強攻策の腹案を話した。今回の出張では是清は小村の指揮下にはない。

     すると小村は、「俺の賛成は何の役にも立たぬかもしれぬが、必要な場合があれば、あの時の高橋の決心は至極もっともにして自分も賛成したと誓って言明すべし」と答えた。明治の大物政治家は逃げない。進んで責を負う。

     大使館からの帰りの道すがら是清は深井に、「深井君、小村という人は偉いねー、偉いねー」と何度も繰り返した。深井はただうれしかった。

     小村の援護を得てがぜん強気になった是清は英国銀行団に高飛車に出た。

     銀行団は、「そんなことをされたら市場が混乱する」と多少は抵抗したものの、どうも是清の自信は背後にカッセル卿あたりがいて、とりあえず引き受けて発行を強行するのではないかと読んだ。

     かくして銀行団は、どうせやるというなら、できるだけやってみようということになったのだ。

     こうなると今度はこの話を聞きつけてフランスがわざわざロンドンまで出てきて、ぜひフランスも加えろという。ただし体裁があるから、もう一度パリへ来てフランス政府にお願いした形にしてほしいというのだ。

     是清にすれば体裁などはささいなこと、あいさつだけだから深井をロンドンに留守番において、従僕を連れて一人でパリへ出張した。3年間一緒にいた2人にとって休暇を別にすれば初めての別行動だった。

     かくして、英仏ロスチャイルドを中心に、第6回ポンド建て日本公債が発行された。

    ◦発行日 1907年3月22日

    ◦発行金額 2300万ポンド 英仏折半

    ◦クーポン 5%

    ◦償還期間 40年

    ◦発行価格 99・5ポンド

     この公債は償還までに第二次世界大戦をまたぐことになり、戦後完済されるのは1985年のことである。

    (挿絵・菊池倫之)

    (題字・今泉岐葉)

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