国際・政治 ほほえみの国の真実
「20人の愛人とドイツで暮らす」ワチラロンコン現国王への不満が爆発寸前 タイ反政府デモがなぜ渋谷で行われていたのか
「プラユット・オークパイ!(プラユットは出ていけ!)」
「プラチャー・ティパタイ・ジョンジャルーン!(民主主義万歳!)」
午後1時を過ぎた渋谷駅ハチ公前広場。
4日間の連休初日を迎え、人々の浮足立った空気とは対照的に、熱気を帯びたタイ語のシュプレヒコールが一帯に響き渡った。
この日集まったタイ人らが求めたのは、2014年のクーデターで政権を掌握し、19年の民政移管後も首相を務めるプラユット氏の退陣、軍の政治介入を事実上認める現行憲法の改正。そして、不敬罪の廃止や王室予算の削減、国王の公的な場での政治的な意見表明の禁止など、10項目から成る王室の改革だ。
タイの貧困から日本に逃れてきたというデモ参加者の男性(50代、在日歴24年)は、「プラユット政権は、自らの保身と大手企業などの既得権益を守ることしか頭になく、国民を気にかけていない。今こそタイの民主主義の実現のために戦うべきだ」と主張する。
一方で別のデモ参加者の男性(50代、在日歴20年以上)は、「プラユットが辞任しても、また次の独裁者が誕生するだけだ。本当に問題なのは、軍事政権がタイを長年にわたって牛耳っていること。そして、その政権に王室が関与していることだ」と語気を強める。
王室を批判した人間が行方不明に……
タイでは1932年の立憲革命以降、未遂を含むと約20回ものクーデターが発生するなど、長年にわたる政治対立が続いており、その対立構造の中で数限りなく反政府デモが繰り返されてきた。
5,000社を超える在タイ日系企業の間では、「反政府デモとクーデターはタイの風物詩」といった共通の認識さえある。
しかし、憲法で「神聖かつ不可侵」と定められた国王や王室への批判は、これまでのところ表だった動きになりにくいものだった。
その理由の一つが、王室を侮辱する行為をした場合、最高で禁錮15年が科される不敬罪の存在だ。
フェイスブックで王室の悪口を書き込んだり、王室を批判する海外ニュースをシェアしたりするだけでも罪の対象になり、実際にこれらを理由に複数の逮捕者が出ている。
亡命中の反政府活動家を日本で襲撃?
軍政・王室批判をめぐっては、不可解な事件も起きている。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)によれば、2014年のクーデター後にタイの近隣国へ亡命した活動家のうち、少なくとも8人が行方不明になった。
反政府活動家で日本に亡命しているパウィン京都大学准教授(49)の身にも、不審な出来事が起きた。
12年から同大学で教べんを執る同氏は、14年のクーデター後に軍政によってパスポートを無効にされ、現在は日本で難民として暮らす。
19年には就寝中にマスク姿の何者かが自宅に侵入し、ケミカルスプレーを吹きかけられる事件が起きた。
パウィン准教授は「犯人はいまだに逮捕されておらず、誰の仕業か分からない」と不安な胸の内を明かす。
このような出来事が起こる度、人々の心には一種の恐怖心が植え付けられ、タイで公に王室や軍政について語ることはタブーとされてきた。
不敬罪の摘発を恐れる地元メディアも、その問題を報じることはほぼなかった。
しかし、今年になってこうした状況に明確な変化が現れはじめている。
今年8月10日に行われた反政府集会では、その動きを象徴するような出来事が起こっている。
タイの名門、タマサート大学で演台に立った人権派弁護士のアーノン氏(36)が、「王室改革10項目」ののろしを上げると、かねて国の権威主義に不満を抱いていた学生らがその後相次いでデモを開いた。
渋谷で集会が行われた19日には、14年のクーデター後としては最大規模となる5万人以上の政権退陣・王室改革を求めるデモがバンコクで開催された。
「愛人20人とコロナ自粛」タイ国王による政治の私物化にあきれる国民
なぜ、若者を中心に現政権や王室への不満がここまで高まったのか。
前述のパウィン准教授は、「ワチラロンコン国王(68)が政治的関与を強めていることや、新型コロナウイルス感染症の影響でタイ経済の悪化が深刻化していることが原因のひとつではないか」との見方を示す。
ワチラロンコン国王は、国民から絶大な尊敬を集めたプミポン前国王の息子だ。
16年に前国王の死去を受けて即位した後、国王の権限強化や政治的な関与を強める姿勢を示している。
17年には新憲法草案の承認を拒否し、一部の条項を修正するよう要請。
国王が摂政を置かずに外遊できる規定などを盛り込んだほか、法改正により、王室財産を国王の意思で運用できるようにした。
パウィン准教授はこうした国王の権限強化に加え、「国王のプライベートな素行も国民からの信頼を損なっている要因だ」と指摘する。
国王はドイツに別荘を所有しており、そこで大半の時間を過ごしているとされているが、当然のことながらタイ国民からは批判的な目で見られている。
また現国王が批判されている理由として、女性スキャンダルに事欠かない彼の私生活が特筆されるだろう。
ペイントタトゥーが丸見えのタンクトップ姿で、30歳年下の愛人と同行していた様子が、日本のネットメディアでも衝撃的に報じられたことがあるほど、現国王の素行はなにかと批判を集めやすい。
ドイツメディアによると、国王は今年の3月、愛人20人とともに、アルプスを一望できるドイツの高級ホテルでコロナによる自粛生活を送っていたとされる。
渋谷のデモに参加した女性(40代、在日歴20年)は「金の出どころは国民の税金だ。もう我慢できない」と声を荒らげる。
コロナによるタイ経済への甚大な打撃が国民の不満に火を付ける
こうした状況に追い打ちをかけたのが新型コロナによる経済の悪化だ。
タイの今年第2四半期(4~6月)の国内総生産(GDP、速報値)は、物価変動を除く実質で前年同期比12.2%減少している。2桁のマイナスを記録するのは、アジア通貨危機の影響を受けて12.5%減となった1998年第2四半期以来22年ぶりのことである。
特にタイの主要産業であり、GDPの約2割を占めている観光業は大打撃を受けている。
3月下旬から新型コロナによる非常事態宣言が敷かれているタイでは、海外からの観光客を受け入れていない。
この結果、1~7月の外国人旅行者は前年同期比71.0%減の669万1,574人、観光収入は70.4%減の3,320億1,000万バーツ(約1兆1,000億円)に落ち込んだ。
雇用にも甚大な影響が出ており、地元紙のバンコク・ポストによると、国内のホテル従業員約100万人が一時解雇の状態にある。
実際に筆者が7月にタイ有数のリゾート地を訪れた際、ホテルやレストランは軒並み廃業し、町中はゴーストタウンと化していた。外国人観光客に頼ってきた観光地は瀕死の状態と言っていい。
「上級国民」への訴追取り下げ事件
タイ政府は大規模な経済対策や低所得者支援を続々と打ち出しているが、特に貧困層を取り巻く環境は悪化の一途をたどっている。
さらに、同時期に危険運転致死の容疑で国際手配されていた清涼飲料「レッドブル」開発者の孫への訴追が取り下げられると、「大富豪には捜査が公正に行われない」として、国民からの批判が続出する。
反政府集会では、プラユット政権がこの訴追の取り下げを指示したという批判の声も上がった。
世論の猛反発を受けた警察当局は一転、8月に同容疑者への逮捕状を取った。
タイでは近年、貧富の差が拡大を続けている。
スイスの金融大手クレディ・スイスの2018年の推計によれば、タイでは上位1%の富裕層が持つ富が全体の約67%を占め、対象40カ国・地域中で最大だった。
新型コロナ禍で富の一極集中はますます進むとみられ、若者が持つ格差社会への不満は募るばかりだ。
渋谷のデモに参加した男性(20代、在日歴5年)は、「タイ国民は長い間、さまざまな不公平なことに対して苦悩してきたが、不敬罪の存在や政府の圧力によって議論ができないことも多かった。良いことは良い、悪いことは悪いと主張できる、本当の民主主義国家になることが最大の望みだ」と語った。
(安成志津香 ジャーナリスト)