『牛疫 兵器化され、根絶されたウイルス』 評者・池内了
著者 アマンダ・ケイ・マクヴェティ(歴史学者) 訳者 山内一也 協力 城山英明 みすず書房 4000円
農耕被害から生物兵器まで 「牛ペスト」との苦闘の歴史
コロナ禍に追いかけられている今、かつて大流行して多数の犠牲者を出した感染症を顧みる本がよく売れている。人類と疫病の闘いの歴史を知りたいためだろう。それならば、牛(のみならず偶蹄目(ぐうていもく)の家畜や野生動物)に伝染して死に至らしめる「牛疫」、つまり「牛のペストウイルス」を100年以上の苦闘の末に根絶した過程を学んでおくことも重要ではないかと思う。牛や家畜が牛疫の犠牲になってバタバタと倒れる状況を想像すれば、動物が平和に餌を食(は)む光景が全く異なって見えるだろうからだ。本書はその牛疫との150年の闘いの歴史を詳細に跡付けた好著である。
実は、牛疫は4000年以上前から知られていた古い病気で、農耕の重要な担い手を全滅させて飢饉(ききん)をもたらしたことが度々あった。疫病退治に乗り出したのはようやく1860年代で、獣医学という新しい学問が創設され、本格的な国際協力事業が開始されたからだ。動物の感染症にも病因を特定して対処する方法が徐々にわかってきたためである。
牛疫の原因がコウモリを宿主とするウイルスらしいと判明し、そのワクチン製造が研究の主目的になったのは第二次世界大戦中であったのだが、思いがけない難問が生じた。このウイルスを培養して生物兵器として使用する動きがあったからだ。日本軍がウイルス汚染させた牛の肝臓を粉末にし、風船爆弾に仕込んで太平洋を越えてアメリカ大陸にまき散らすことを計画したのである。この計画は実行されなかったのだが、牛ペストが武器になり得る可能性があったのだ。
戦後、本格的に牛疫退治の研究が進んだのだが、その手本になったのが天然痘根絶計画で、世界保健機関(WHO)という多国籍統括機関と、国際協力によるワクチンの開発と接種、そして患者すべてを見つける監視システムの構築が必要であった。感染症対策の常道である。1980年に「天然痘からの解放」がWHOから発表されたが、牛疫の根絶宣言が国連食糧農業機関(FAO)から発表されたのは2011年であった。
それだけ遅れたのは、何種類かのワクチン製造には成功したが、世界中の牛のみならず野生の偶蹄目動物までも予防接種しなければならないためであった。いつどこから牛疫の汚染が進むかもしれないからだ。
牛疫は根絶したが、ウイルスは日本を含む世界6カ国の研究施設に保存されており、絶滅したわけではない。疫病の絶滅には世界の完全な平和こそが不可欠なのである。
(池内了・総合研究大学院大学名誉教授)
Amanda Kay McVety 2006年にカリフォルニア大学で博士号を取得。現在、マイアミ大学歴史学教授。米国の外交政策および国際組織の歴史、さらに科学・環境問題とクロスする内容の研究を専門としている。