『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』 評者・田代秀敏
著者 方方(作家) 訳者 飯塚容、渡辺新一 河出書房新社 1600円
大衆の一人であり続ける 不屈の作家、渾身のドキュメント
新型コロナウイルス感染症が世界最初に流行した武漢は、今年1月23日から4月8日まで封鎖された。
1100万を超える人口を擁する巨大都市が76日間も封鎖されるという史上空前の事態を、中国を代表する小説家の一人が、感染地区に籠城(ろうじょう)して記録し続けたのが本書である。
アルベール・カミュ『ペスト』(1947年)は全てフィクションである。そのネタ本のダニエル・デフォー『ペストの記憶』(1722年)は出版時から57年前の大流行を描いた。感染症の流行を現場でじかに記録した本書の価値は計り知れない。
著者は湖北省作家協会の主席(何の権限もない形式的な代表)を務め、中国で最も権威ある文学賞「魯迅文学賞」を受賞したが、中国共産党に入党せず、ずっと大衆の一人である。
「私は一人の物書きにすぎず、私の見る世界は狭い。私が関心を持ち、体験できることは、身辺雑事と、一人一人の具体的な人間だけだ」と、著者はあくまでも冷静である。
「小説とは落伍(らくご)者、孤独者、寂しがり屋に、いつも寄り添うものだ」と自分の立場を宣言し、「この世の強者や勝者は普通、文学など意に介さない」と権力から限りなく距離を取る。
著者いわく「称賛すべきものは称賛し、批判すべきものは批判した」。しかし「大勢の人たちが一斉に、同じ話題、同じ言葉、同じ画像で、同じ時間に私を攻撃してきた」と述べる通り、保守派である「左派」の中のさらに過激分子「極左」が、組織的に著者のブログをめちゃくちゃにした。
それでも、著者は屈しない。
「私は告発を恐れたことはない。むしろ、告発されないことを恐れる。告発がなければ、人はデマを信じてしまう。告発されることで、私の優位が明らかになるのだ」という不屈の闘志が、全編を貫いている。
著者は次の通り総括する。「感染症発生初期の中国の怠慢と、感染症と闘った中国の経験を信じようとしない西洋諸国側の傲慢さが、無数の庶民の命を奪うことにつながった。無数の家庭を瞬時に崩壊させ、全人類に重大な社会的損害を与えた」。
「中国の怠慢」を反面教師とし、「中国の経験」を生かして、「西洋諸国側の傲慢さ」をなくすためにこそ、本書は日本でも読まれるべきである。
本書を反中プロパガンダに利用したがっている人々には、著者の次の言葉を噛(か)み締めてもらいたい。
「ウイルスは人類共通の敵です。この教訓は全人類のものです。人類は連携して初めて、このウイルスに打ち勝ち、このウイルスから自由になれるのです」
(田代秀敏、シグマ・キャピタル チーフエコノミスト)
方方(ファンファン) 1955年、中国・南京生まれ。2歳から武漢で暮らす。武漢大学中国文学科卒業後、テレビ局でドラマの脚本執筆等に従事。80年代から社会の底辺に生きる人々を描いた数々の小説を発表。現代中国を代表する小説家の一人。