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小説 高橋是清 第123話 国際財務官=板谷敏彦

(前号まで)

 大蔵大臣に就任した是清。日銀総裁には横浜正金銀行頭取の三島弥太郎が就き、その後釜には是清の薫陶を受けた同行副頭取・井上準之助が昇格した。

 是清宛に届く英文レターの整理を頼まれた大蔵省の若手官僚津島寿一。彼の仕事はそれが主ではない。海外に派遣された国際財務官、正式には大蔵省海外駐箚(ちゅうさつ)(駐在)財務官のカウンターパーティーとしての事務整理が彼の仕事であった。

 この国際財務官の走りは日露戦争に際して資金調達に奔走した是清である。

 是清は日露戦争開戦2年目に帰国した際、帝国日本政府特派財務委員に任じられたが、これは官制にはなく、あくまで対外的なタイトルだった。

 是清は借り換え債も含めて都合6回の資金調達をこなすと明治40(1907)年5月に帰朝して日本銀行副総裁に戻った。

 だがポーツマス講和条約でロシアから賠償金を獲得できなかった日本は、戦時中に借りた借金が残り、これの管理や整理が必要だった。

「借りた正貨は正貨でしか返済できない」

 これが元老や是清たちを悩ませた国内における戦後の「正貨危機」だったわけで、これの対処に英仏に誰かを赴任させ続ける必要があったのだ。

 是清の後は、当時大蔵次官だった若槻礼次郎が英国に赴任し、この時の書記官、いうなれば是清に対する深井英五の役を担ったのが大蔵官僚の森賢吾であった。

 若槻はやがて後任の水町袈裟六(けさろく)大蔵次官と交代したが、実務を知る森はロンドンに在任したままだった。

 明治43(1910)年になるといよいよ国際財務官を官制上の役職にすることになった。これが「海外駐箚財務官」という役職である。初代は水町袈裟六である。

迫る租借権の期限

 大正2(1913)年6月、水町が明治44年に日銀副総裁として帰朝して以降、現地で心得として代行していた森が正式に海外駐箚財務官になった。大蔵大臣高橋是清による辞令である。

 森は昭和2(1927)年5月までこのポストに在任し、関東大震災後の復興債の発行など重要なイベントにかかわることになる。

 高橋是清が財務官として発行した外債は6本で合計13億円、すべて日露戦争がらみである。これに対して森が手掛けた外債は22回で合計13億5000万円にのぼる。

 津島寿一は森を慕った。自身の回顧録である『芳塘随想(ほうとうずいそう)』の中で、森賢吾には是清の倍ほどの大部のページを割いている。

 日露戦後の正貨危機の間、非募債主義で政府の借金を増やさぬよう努めてきたわけだが、一方で貿易はつねに入超(輸入超過)、貿易赤字に外債の利息支払いで正貨は減るばかりだった。

 さらに日露戦後には獲得した満州の利権と併合した朝鮮に対する投資にも正貨は必要だった。

 そこで発行したのが南満州鉄道の社債や日本興業債券、東京市電気事業公債などの地方団体債である。これによって政府が金を借りずとも正貨を日本に持ち込むことができたのだ。

 しかし、それでも足りなくなると鉄道債や国庫債券も発行することになった。目的が借り換えであれば、非募債主義には反しないという解釈だった。是清が大蔵大臣になりたての大正2年の3月、4月には第2次西園寺内閣の時に決定された英貨鉄道債2本計3000万円と、仏貨公債7700万円が発行されている。

 山本内閣の大蔵大臣となった是清も、「整理借り換え等の場合の外はなるべく内外市場に公債を募集せざる方針」を表明した。

 だが是清の真意は生産的公債が増加しても、事業経営によって自然に元利を償却できるならばよし、資本不足の日本では外資を利用することは極めて重要だと考えていた。

    *     *     *

 是清は山本首相に「正貨の収支に関する問題」という鉄道公債発行を伴う長期的な正貨政策構想を提出した。

 正貨問題の根本的な解決方法は産業貿易の発達を図り、輸入超過の趨勢(すうせい)を転回して輸出超過の状態にもっていく外なし。という外債を発行して投資する、日銀総裁の時以来の積極財政の持論であった。ここでは是清の構想通りにいけば、7年後の大正9年には出超となり大正13年までには外債償還も完了して、日本から「正貨問題」は霧散するであろうという、楽観的な予測を伴う企画書であった。

 実は是清の楽観は必要に迫られたものでもあった。大正14(1925)年には日露戦争中に借りた四分半利付英貨公債5億6000万円の償還がやってくる。借り換え債発行にしても規模が大きすぎるのだ。「正貨問題」はそれまでに解消せねばならない。逆算からの楽観であったのだ。

 また大正12(1923)年には日露戦争でロシアから得た旅順・大連など関東州租借権の期限がやってくる。その時に日本が借金まみれでは延長交渉にも影響が出るのではないかと考えていたのだ。

 この租借権の期限という問題。

「10万の英霊と20億円の国費をつぎ込んで得た満州」は期限付きであったのだ。

鉄道公債

 大正2年9月22日、是清は内務大臣の原敬を訪ねた。せっかく大蔵大臣になったのだ。この政策構想に沿って鉄道公債を発行するためである。

「原君、鉄道公債を発行したい」

「鉄道公債の発行については大いに賛成だ」

「ついては明日の閣議で提案しようと思うのだがどうだ。一時帰国していた森財務官にもこの件は言い含めてロンドンへと出発させた」

「高橋君、今回は提案をやめて説明にとどめておいてくれないか。いきなり出すと反対意見が出て後戻りする懸念もあるからね」

 原は是清の意見には賛成だが、急(せ)いては事をし損じる、前のめりの是清に老練な原の知見は政策実現には欠かせない。

 10月2日、山本達雄農商務大臣の午餐(ごさん)会が終わった後で、山本、原、是清で話し合う機会があった。是清が口を開いた。

「松方さんが、どうしても鉄道債発行に反対だというではないか。もし発行しないのであれば私を更迭してほしい」

 原は、これは是清のいつものやつだと思った。

「君はうまくいかんといつも辞めるという。そうことを急ぎなさんな」

「悪いが僕は松方さんに賛成だな」

 是清は、そう言った山本農商大臣をにらむと、

「どうも松方さんを利用する輩(やから)がおるようだ。こんなことでは老人のいうことなど聞けないじゃないか」

 原は興奮する是清の発言を制止して、

「高橋君、老人等に理屈を云っても仕方ない。僕に任せておきなさい」

 と言うと、原は考えるところがあり、後で是清に山本首相のところへ行くようにと促した。

 是清が職を賭して涙ながらに山本に正貨問題とそれを解決するための外債発行を訴えると、久しぶりに政権に復帰した薩人たちはまんざらでもなく、山本は松方を説き伏せて外貨建て鉄道債の発行はめでたく認められたのである。

(挿絵・菊池倫之)

(題字・今泉岐葉)

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