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小説 高橋是清 第124話 ジーメンス事件=板谷敏彦

    (前号まで)

     大蔵大臣に就任した是清は正貨危機解決のため外貨建て鉄道債発行を構想するが、松方正義はじめ反対意見もあり、是清は職を賭して山本首相に直訴する。

     大正2(1913)年末、第1次山本権兵衛内閣が取り組む大正3年度の一般会計予算案は6億4000万円だった。これは前年度の実行予算よりも1000万円増加しただけだった。是清は大蔵大臣として初めて予算案作成に参画した。

     日露戦争後の明治40(1907)年に策定された帝国国防方針にのっとり、陸海軍は戦力の充実をはからなければならなかったが、正貨危機による予算不足によって進捗(しんちょく)は遅れていた。

     首相の山本は明治海軍の建設者と呼ばれる人物だ。日本海海戦に勝利した連合艦隊を作ったのも、東郷平八郎をその司令長官に指名したのも山本である。

     海軍の拡張予算には前年度に承認を受けた8400万円に新規に7000万円を加えて1億5400万円を計上、大正3年度の支出としてあらたに1000万円を要求した。一方で陸軍の拡張予算に対する支出要求は300万円、海軍偏重は誰の目にも明らかだった。

     大蔵大臣の是清は、政友会重鎮の原敬の助けもあり、消極主義の元老松方正義をも説き伏せて、新規の鉄道外債を発行する積極的な正貨政策をかかげて第31回議会に臨んだ。これは日露戦争において是清自らが借りてきた外貨建て公債に端を発する「正貨問題」を根本的に解消するためだった。

     是清はやる気まんまんである。

     あくまで仮の話だが、このままうまく運んでいれば、数々の日本経済を救った是清の事績の中に、この「正貨問題」も含まれていたのかもしれない。

     議会は大正2年12月26日に開院式、明けて翌年1月21日に山本首相の施政演説があった。衆議院は与党政友会が過半を占めていた。

    国会紛糾

     ところがその陰で不穏な動きが進行していたことを誰も知らなかった。

     ドイツの電機メーカーであるジーメンス社東京支社の秘書カール・リヒテルが、会社の秘密文書を盗み取り、それを新聞社に売ろうとしていた。 この秘密文書には賄賂を受け取った日本海軍高官の名前があったのだ。

     これを750円で買ったのがロイター通信社のプーレイという男である。プーレイは、ろくでもない男で、これを記事にせずにジーメンス社をゆすろうと考えた。

     50万マルク(日本円25万円)で買わないかともちかけたのである。漱石が書いた松山中学の先生、坊っちゃんの年俸480円の520年分である。これだけあれば一生遊んで暮らせる。ジーメンス社東京支社の支配人ヴィクトル・ヘルマンは驚いて斎藤実海軍大臣を訪ねて状況を話した。

    「プーレイを脅迫罪として告訴するつもりです」

     斎藤も驚いた。が、海軍に自信を持っていた。そんな輩(やから)がいるのであれば、是非告発してくれ。

    「告訴するかどうかは御社の自由です」

     斎藤はこう答えると、海軍部内での内々の調査を指示した。大正2年の11月のことである。

     ヘルマンは、斎藤を訪問後、そうはいっても事を穏便に済ませるために、プーレイと交渉して5万円でこの書類を買い戻した。

     関係者はこれで事は終わったと思っていた。

     ところが、翌大正3年の1月21日、時あたかも山本首相の施政演説の日に、ロイター電がベルリンからの報道として、ベルリンでカール・リヒテルが恐喝罪で懲役2年の刑に処せられたことを報道した。

     ヘッドラインだけでは何がなんだかわからなかったが、翌日時事新報が全文を翻訳報道するに至って、これが海軍高官への贈賄事件であることが判明した。

     折からの帝国議会予算委員会では立憲同志会の島田三郎が政府を追及、以降連日、政友会から離れた政友倶楽部の尾崎行雄などが内閣攻撃の先鋒(せんぽう)に立ち、予算委員会はこの問題で紛糾した。

     28日には、海軍大臣が司法大臣宛に文書を渡し、検察が始動、海軍も査問委員会を設置した。

     かくして大蔵大臣の是清もせっかく取り組もうとしていた正貨問題の解決策どころではなくなったのである。

     取り調べの過程で、この事件はジーメンス社だけに収まらず、当時英国のドレッドノート型を超える、超弩級(ちょうどきゅう)戦艦の建造として注目されていた英国ヴィッカース社製戦艦「金剛」、また同社の代理店三井物産もからむ大事件へと発展していった。

     ジーメンス事件としてどうしてもジーメンスだけが目立つが、贈賄事件としてはヴィッカースの方がはるかに大きい事件だった。

    「閥族打倒」をスローガンに死者まで出した大正政変によって生まれた内閣なのに、このありさま。世論のごうごうたる非難懐柔のため、衆議院では海軍予算を3000万円ほど削って、議席過半を占める政友会の力で採決した。

     一方、貴族院では元法制官僚の村田保が一種悽(せい)愴(そう)の色を帯びて登壇、老人にありがちな涙声で山本を攻撃した。

    「首相閣下よ、閣下は果たして廉恥という言葉をご存知か、世人は閣下を国賊なりといい、海軍収賄の張本人といっているのではないか。人として廉恥を解さねば犬猫同様。もし薩摩の大西郷にして現存せば、必ず閣下に対してもいさぎよく切腹すべしと迫るであろう」

     さすがにこれは貴族院議長の徳川家達(いえさと)に議院法92条(無礼の言葉を用いてはいけない)違反との注意を受けて村田は議員を辞職することになったが、牧野伸顕はこの後で山本権兵衛が目に涙を浮かべていたのを見たそうである。

    山本権兵衛

     海軍と三井物産から数名ずつの逮捕者を出したこの事件。歴史家からは追及不足が指摘されているが、山本権兵衛自身は全くの潔白であった。この男はそもそも質素な生活を好み、私的な金には淡泊である。

     山本の家は現代の高輪台、二本榎にあったが、彼ほどの高官になってもまだ、若い大尉時代に購入した家に住んでいた。是清の赤坂の家と比べても、当時の首相で華族の家としてはあまりに小さかった。己を虚(むな)しゅうするとはこの男のことだった。その上、薩摩隼人で議を好まない。一切弁明をしなかった。

     衆議院で攻撃の先鋒に立った尾崎行雄は、次の内閣で司法大臣となってこの事件を調べるが、山本は収賄に全く無関係だった。尾崎はこの時、山本に対しあまりに痛烈な言行をしたことを恥じた。貴族院は海軍予算の7000万円削減を採決、両院とも譲らず、3月24日になって、山本内閣は予算不成立の責任をとって総辞職した。

     生涯で5度も大蔵大臣を務めた是清の、最初の大蔵大臣はこうして終わってしまった。

     次の内閣の八代六郎海軍大臣は山本を予備役にまわした。その際ご子息の山本清大尉のことは海軍として十分面倒をみますからと伝えた。すると山本権兵衛は、「待命は大臣の権限であるからすこしも構わない。しかし息子のことは公私混同である」と一喝した。

     八代はほうほうの体で立ち去ったという。

    (挿絵・菊池倫之)

    (題字・今泉岐葉)

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