国際・政治 霞が関クライシス
「日本の優秀な官僚組織」は復活できるのか 前川喜平氏が後輩に授ける「秘策」の中身
「最近の官僚は忖度ばかり」
そう現状を憂う新聞記者、ジャーナリストは数多い。
第2次安倍政権、そして菅政権の「官邸独裁」は、「優秀な官僚組織」を機能不全に追いやっている。
「アクセルとブレーキを同時に踏む」と揶揄されたコロナ対策の迷走ぶりを見れば、それは誰の目にももはや明らかだろう。
心ある官僚はいったいどうすればいいのか?
強大な官邸権力と対峙するための「秘策」を前川喜平氏が語った。
かつての霞が関では「忖度なしに意見が言えた」
――前川さんはいくつかの重要な場面で内閣に強く抵抗し、また軌道修正を図ろうとしてきました。人事で不利になることはなかったですか?
前川 小泉内閣時代なんて、私は相当好きなことを言いました(笑)。でも、左遷されることはありませんでした。
かつての自民党の政治家は、官僚と議論を戦わせても、人事には触らなかったのです。
それをしてしまうと、官僚が委縮して思ったことを言えなくなり、政策の欠陥が修正されなくなる、結局は国民のためにならない、という「良識」があったのだと思う。
私は先述の通り、伊吹氏に総務課長として、与謝野氏には大臣秘書官として側に仕えましたが、両大臣とも、人事については官僚に任せてくれていました。
役所の人事の公正性や合理性を踏まえていて、1~2年しか在任しない大臣よりも、役所が自律的にやった方がいいという考えでした。
――政権が安倍氏から菅氏に移って4カ月。新型コロナ対策のまずさから内閣支持率が急落しました。世論の動きをうけて、党内からは、菅官邸への不満の声がわき出ているようですが、官邸と各省の力関係はどうなっていますか。また、どうなっていくと見ていますか?
前川 政治レベルでは、水面下で「菅官邸・二階」VS.「安倍・麻生・岸田」のつばぜり合いが始まっています。
官邸と各省との関係に目を転じれば、菅官邸は、安倍政権以上に、各省への支配を強めていると言っていいでしょう。
というのも、安倍官邸で並立していた、看板政策を差配する「安倍側近系」と、人事を握る「菅側近系」のうち、「安倍側近系」は早々に一掃されましたね。
要するに、人事は、菅首相とその側近系が引き続きグリップしていく一方で、政策立案を担当していた系統がいなくなったということです。
そこで、菅氏は政策運営をどうしているのか。
どうやら、「忖度官僚」化した各省幹部を直接、自らの知恵袋にしているフシがあります。
彼らに、自らの意向に沿ったり、国民受けしたりする政策を持ってこさせようとしている。
安倍政権では、一部の経産官僚が“思い付き”で官邸から指示を出して、各省を間接的に動かしていたのに対して、菅氏は自ら、しかもダイレクトに各省の政策機能を支配しようとしている、ということです。
首相の「あやまち」をもはや誰も指摘できない
――各省が丸ごと、菅氏の政策機関化してしまう?
前川 はい。前政権と違って、政策は各省が立案するわけですが、むろん忖度官僚たちは、菅氏のお気に召すようにしか発案しないでしょう。
ふるさと納税廃止案とかは、まず出てこない。
菅氏はそのうえ、この先々は、“子飼い”の官僚を霞が関の方々の重要ポストに送り込んで、各分野をより自在に押さえようとするのではないか。
現にいま、各省には菅氏の子飼いの幹部が誕生しつつあります。
財務省主計局長で次の事務次官をうかがう矢野康治氏や、警察庁ナンバー2の次長で次期長官と目される中村格氏は、菅氏の官房長官時代の秘書官です。
――霞が関じゅうから、“菅印”の政策しか生まれなくなってしまいそうです。ちょっと怖い気がします。
前川 誰も菅氏に逆らえないという状況は、日本の国全体にとって極めて危険だと思います。
コロナ対策でも、多くの専門家が警告を発していたにもかかわらず「Go Toトラベル・キャンペーン」を続行し、結果として第三波の感染拡大を助長してしまった。
菅氏はブレないことが信条だということですが、裏返せば、過ちを改めることができないということです。
「検査と隔離」「休業と補償」「医療と保健の体制強化」など、行政としてとるべき措置をとらず、「静かなマスク会食」などと精神論を国民に説くだけで、しかも自分は大人数でマスクを付けずにステーキ会食。
これでは支持率も下がります。
コロナでのこれほどの失政にもかかわらず、菅氏がこのまま、自民党総裁選も衆議院の総選挙も勝って、政権が数年もつようなことがあれば、菅氏はいまの首相秘書官も出身省などの幹部に就けるでしょう。
気がつけば、各省庁の次官や長官は、秘書官や補佐官などとして官邸の「チーム菅」に入った人間しかなれない、という態勢になりかねません。
そうなったら、霞が関は完全に菅氏の手の中です。「菅氏の霞が関」が完成してしまう。
――中堅若手の官僚が思い切って仕事をする環境は、遠のく一方ですね。
前川 実は、官邸は今すでに、課長級の人事にまで介入してきています。
彼らもまた、モノをいいにくいのです。
しかし私は、「それでも魂を売ってはいけない」と彼らに伝えたい。全体の奉仕者たる官僚には、政治が暴走したらとめる責任があるのです。
「菅独裁」に官僚はこう立ち向かえ
――とはいえ、正面から異論を言ったら、飛ばされて終わってしまいます。しかし、看過するわけにもいかない。どうしたらいいですか?
前川 そこで、今こそ、面従しつつ腹背するのです。「魂を貸すのは仕方がないが、貸した魂は必ず取り戻せ」ということです。そのために「からめ手」から攻めるのです。
――からめ手ですか?
前川 そうです。表向きは従っているふりをしながら、例えば、連立与党の公明党に働きかけて、ストッパーになってもらうとか、「現場」から声をあげてもらうよう誘導するとか、手を見いだすのです。
「現場」とは、教育行政でいえば、高校や大学といった学校です。
もし、政治主導で筋の悪い学校政策が進んでいて、役所内部の力だけで止めるのが難しかったら、各学校現場から反対の声をあげてもらうよう密かに連携して、政治に再考を迫るのです。
また、情報のリークも有力な対抗手段です。
国民にとって不利益になる政策が、国民がよく理解しないまま進んでいたり、行政が密かに歪められたりしていたら、不利益や歪みを示す内部資料をメディアに出し、追及してもらうことで官邸にストップをかける。
……この一年、「桜を見る会」問題や学術会議の任命問題で、内閣府の課長らが野党ヒアリングで矢面に立たされていますよね。
私が課長だったら、どうするか――。
ルールに反して行政が進められたことが分かる内部資料をメディアにポロッポロッと出す。
そして、ヒアリングで「お前たちは、こんなことをやっていたのか」とバッシングを受ける役になりきる。
つまり、自分自身が“炎上”することで、実態を国民に伝えて、問題が是正されるように持っていくのです。
――なるほど。高等戦術ですね。
前川 もし、今すぐに軌道修正の手立てを見つけるのが難しいのなら、大臣が変わった時がチャンスです。
大臣交代の間隙に転換を図るのです。
思い出されるのが、萩生田文科相の「身の丈発言」を機に、世論の反発を恐れた官邸がギリギリでストップをかけた大学入試改革です。
入試改革は、文科行政に強い影響力を持つ下村博文氏(現・自民党政調会長)が安倍2次政権の文科相だった13年に、マークシート式のセンター試験に代わる新テストを、と打ち出したものです。
しかし「下村路線」は、スタート地点から間違っていたのです。
というのも、下村氏は「センター試験は断片的な知識のあるなしを問うだけで、知識偏重教育を生んでいる」などと廃止論を語って、英語民間試験などを無理に盛り込もうとした。
ところが、センター試験というのは、マークシート式であっても思考力も問えるよう、よく練られた内容だったのです。
つまり、現行制度の検証を欠いたまま、制度変更に歩み出してしまった、ということです。
文科省の担当官たちは、議論が正しく進んでいないと認識していたはずです。
なのに、15年に下村氏が大臣を交代した後も、下村氏をはじめ自民党の文教族にやれと言われているのだからと、ずるずると進めてしまった。
下村氏が交代したのを機に、いったん立ち止まることができたのではないか、と悔やまれます。
この失敗は今後に生かさないといけません。
――最後に改めて後輩の方々へメッセージを。
前川 面従腹背の手立てで、国民を、なかでも、弱い立場の人を守りつつ、「ポスト菅」の時代が来るのを待ってほしい。
春の来ない冬はない、菅政権も永遠ではありません。
そしてそのときは、官邸ベッタリで劣化した霞が関の政策機能をいかに正常化するか、という課題が待っています。
荒療治が必要になるでしょう。でも皆さんなら乗り越えられます。
思い切り議論する霞が関文化を再興してほしいと願っています。私も在野から応援します。(構成・山家圭)
▽前川喜平(まえかわ・きへい)
1955年生まれ。東京大学法学部卒業。79年文部省(当時)入省。文部科学省官房長、初等中等教育局長、文部科学審議官などを経て、2016年文部科学事務次官。17年退官。著書に『面従腹背』(毎日新聞出版)、『この国の「公共」はどこへゆく』(共著、花伝社)など。
▽山家圭(やまが・けい)
1975年生まれ。フリー編集者。社会保障専門誌の編集記者(厚生労働省担当)を経てフリーに。