経済・企業

「ハートランド」はなぜ「キリン」をアピールしないのか

    前田仁氏(2014年)
    前田仁氏(2014年)

    「ハートランド」はバブルが始まろうとしていた1986年に、キリンビールが発売した。

    グリーンのボトルで有名な麦芽100%ビールである。

    当時、キリンは6割のシェアをもち絶頂期にあった。

    だが、ハートランドはあえて「キリン」の名前をつけずに売り出された。

    ノンラベルのボトルには今も「キリン」の名前はない。キリンビールのトレードマークとなっている、聖獣「麒麟」のイラストもない。

    「ハートランド」の開発を担当したのは、前田仁(ひとし・1950~2020)。

    「一番搾り」など多くのヒット作を世に送り出した前田は、その後キリンビバレッジ社長に上り詰める。

    「ハートランド」開発当時まだ30代半ばだった前田は、なぜ、あえて「キリン」を外したのか。ビール業界に明るいジャーナリスト永井隆氏が当時の開発秘話を語る。

    企業名も商品名も読めない、異端のプロダクトデザイン

    比較的大きなスーパーなら、クラフトビールのコーナーがあるだろう。

    その近くにはきっと、緑色をした500ml入りの瓶ビール「ハートランド」が並んでいるだろう。

    ハートランドのボトルにはラベルがない。ガラス素材にエムボス(浮き彫り)のデザインが施されているだけだ。

    1986年当時の「ハートランド」グリーンボトル
    1986年当時の「ハートランド」グリーンボトル

    ボトル中央のエンボス部は、大きな菱形をしている。

    そのなかに、上から「HEARTLAND」とアーチ状の浮き彫りが施されている。

    真ん中にはCMで有名な「日立の木」を小ぶりにしたような「木(樹)」のイラスト。

    下部には英文のメッセージがある。ただこのメッセージは、フォントが小さく、通常判読は難しい。

    ボトルを傾けたり、光を当ててみて、ようやく「IN EVERY SPIRIT&EVERY SEASON,EVERY WHERE」と読める。最下部には中くらいのフォントで同じく「BEER」の文字。

    菱形の下、すなわち瓶のボトムにはカタカナで「ハートランドビール」とエンボスされている。

    特徴的なのは、「KIRIN(キリン)」のロゴ、さらにはキリンビールではお馴染みの、中国の神話に登場する聖獣「麒麟」のイラストがない点だ。

    ちなみに、内容量や原材料表記、製造者表記などは、瓶の口のほうに巻かれたネックラベルに記載されている。ただこのラベルも幅27ミリほどの小さなものだ。

    ハートランドのボトルにある、「樹と大地」のデザインは、ニューヨーク在住だったクリエーター、レイ吉村が手掛けた。

    同じくニューヨークに住んでいた画家、ラジャー・ネルソンが描いたイリノイ州の穀倉地帯の風景をもとに作成したという。

    特徴的な「グリーンボトル」も、ニューヨークの沖合に沈む200~300年前のヨーロッパの沈没船から発見される、ラベルのないエンボス瓶からヒントを得て、レイ吉村が発案したものだ。

    ボトルにある「IN EVERY SPIRIT&EVERY SEASON,EVERY WHERE」は、「いつでも、どこでも、あるがままに」といった訳になろうか。

    最初はテレビ番組専用のビールだった

    ハートランドは1986年9月に発売された。

    当時テレビ朝日が放映していた料理バラエティ番組「愛川欽也の探検レストラン」用に登場し、旧局舎内にテレ朝がつくったレストラン「たべたか楼」でのみ提供されていた(同番組はキリンが1社スポンサーだった)。

    10月には、現在は六本木ヒルズになっている再開発予定地内に、「ビアホール・ハートランド」をキリン直営でオープンしている。

    「ハートランド」は、その「ビアホール・ハートランド」のハウスビールとしてもともと開発され、一般向けに販売される。テレビ番組での使用は当初予定になくたまたまだったが、PRの一環にはなった。

    「ビアホール・ハートランド」は、ニッカウヰスキーが使っていた原酒貯蔵庫跡「穴ぐら」と、我が国の弁護士業の草分けである増島六一郎が居住した、大正初期にドイツ人によって設計された蔦の絡まる4階建ての洋館「つた館」からなる。

    86年8月から改装工事が始まり、10月20日にバースタイルの「穴ぐら」が先にプレオープン。つた館の工事を終えた11月7日にフルオープンした。客席数は穴ぐらが54席、つた館が142席、合計196席に及んだ。

    「ハートランド」の商品開発は、マーケティング部の前田仁が実質的に仕切った。

    前田は「ビアホール・ハートランド」の初代店長も務めている。

    来店客との交流を通して、彼は消費者が本当に欲しがる商品とは何なのかを追求し、その後のヒット商品の開発の原動力とするのである。

    「ハートランド」の商品開発は84年夏に始まっていた。ビアホール開設やテレビ番組との連携はその開発過程において次々と決まっていったのである。

    「最強ブランド」キリンをなぜ外したのか

    1972年から、ハートランド発売前年の85年まで、キリンのシェア(販売ベース)は6割を超えていた。

    最大シェアは76年の63.8%で、ハートランド発売の86年も59.9%とほぼ6割。キリンは15年間にわたって、圧倒的な強さを持続していた。

    だから「キリン」は、当時圧倒的に強い企業ブランドだった。

    聖獣「麒麟」のイラストも、ライバル3社を寄せ付けない競争力の「不動のアイコン」ともいえたのである。

    当然、当時のキリンで販売量の大半を占めていた「ラガー」には、「キリン」のブランド名と聖獣のイラストが、瓶と缶に大きく描かれていた。

    ではなぜ、「ハートランド」は「キリン」を外したのだろうか。販売戦略上不利になるだけではないのか。

    もっとも当時、キリンはシェアが6割を超えたため、さらにシェアを伸ばすと独占禁止法によって会社が分割されるという危機に直面していた。73年にこの危機は浮上した。

    M&A(企業の合併買収)等の手段ではなく、企業努力によって高いシェアを獲得したにもかかわらず、そのせいでむしろキリンは身動きがとれなくなってしまっていたのだ。

    だから「ハートランド」はシェアを取り過ぎないように、「キリン」を外したのかとも思えるが、真相はまったく違うのだ。

    自社のトップブランド「ラガー」を倒すため?

    キリン関係者が打ち明ける。

    「ハートランドの本当の狙いは、主力商品のラガーを叩きつぶすことにあったのです。社内でも数人しか知らない極秘作戦でした」

    当時のキリン社内でラガーは聖域であり、ある意味「神」のように崇められていた。

    シェア6割超えという"圧倒的首位”を実現したのは、主力商品「ラガー」によるものだった。

    キリンラガービール(2002年)
    キリンラガービール(2002年)

    当時、キリンの躍進ぶりはそれほど目覚ましかった。他業界では「〇〇業界のキリンビールの地位を目指す」と経営トップが呼びかけるケースが多くあった。

    「キリンラガーしか飲まない」と宣言する中堅商社もあったと言われるほどだ。

    「ラガー」はキリンにとっての成功体験であり、まさにキリンそのものだった。

    なぜ、前田たちは「打倒・ラガー」に動いたのだろうか。(つづく)

    永井 隆(ながい・たかし)

    1958年生まれ。フリージャーナリスト。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動を行う一方、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。 主な著書に『移民解禁』(毎日新聞出版)、『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』『EVウォーズ』(日本経済新聞出版社)、『究極にうまいクラフトビールをつくる』(新潮社)など。

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