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「イーロン・マスクになりそこなった男」ヘンリック・フィスカーとフィスカー・オートモーティブの正体
世が世なら、今を時めく「テスラ」のようになれた会社。それが、フィスカー・オートモーティブである。
その創業者、ヘンリック・フィスカーはさしずめ「イーロン・マスクになりそこなった男」と言うべきだろうか。
フィスカー・オートモーティブとは?
テスラの創立は2003年。それから4年後の2007年に、デンマーク生まれのヘンリック・フィスカー氏が創立したのが、フィスカー・オートモーティブである。
最初に出した車が、高級PHV「カルマ(Karma)」だった。
「カルマ」は2008年の北米国際オートショーでデビューしているが、納車第1号は2011年だった。
テスラ「ロードスター」は2008年に発売されているので、3年遅れのスタートだった。
当時、フィスカー・オートモーティブとテスラはともに株式公開に向けて着々と歩を進めていた。
しかしこのライバル2社は、その後明暗が大きく分かれてしまう。
テスラは「ロードスター」を約2000台生産・販売したのち、2年後の2010年には株式を公開した。その後の大発展は周知の通りである。
対するフィスカー・オートモーティブにはイバラの道が待っていた。
つまづきの石は、バッテリー・メーカーの選定にあった。
テスラは三洋(その後パナソニックと合併)製を採用したのに対し、フィスカーはアメリカのベンチャーであるA123製を採用する。
結果的にこれが致命的なミスとなり、「カルマ」発売早々の2011年12月にバッテリーの不具合でリコールが発生。
さらに、翌2012年の3月にも2回目のリコールが起き、万事休した。
その後、A123は、2012年10月に破綻してしまった。
「EVの心臓」とまで言われるのが電池だ。その供給が止まれば車の生産も止まってしまう。その時までに生産されていた「カルマ」は2500台弱だった。そのうち約2000台が世界市場で販売されていた。
筆者は、2009年秋、某TV局の取材に協力し、日本からフィスカー社に電話を入れ、現地での取材の可能性について打診している。
その時に、ダメ元で「Mr.フィスカーと直接話せるか」と聞いてみたところ、何とすんなりOKが出た。
フィスカー氏との話は大いに弾み意気投合した。それもあって、心情的にはテスラよりフィスカー・オートモーティブの方を応援していたので、「カルマ」の生産中止は非常に残念であった。
フィスカー氏の復活はあるのか?
2014年2月には、フィスカー・オートモーティブの資産は、中国の自動車部品メーカーであるワンシャン・グループ(Wanxiang Group)に買収された。
この時、フィスカー氏は、「フィスカー」のトレードマークとロゴは売却せず保持した。
そのため、買収された会社は2016年に「カルマ・オートモーティブ」と改名され、「カルマ」の製造・販売を続けていた。
一方、「フィスカー」の名前を守ったフィスカー氏は、2016年10月に、新たなEV会社「フィスカー(Fisker, Inc.)」を立ち上げた。本社所在地はロサンジェルス。
新しい彼の会社には、テスラが古臭く見えるほど新鮮な手法が山盛りである。
まず、迅速な株式公開を実現した。
前回はテスラに負けたのだが、今回は操業4年後の2020年10月にNYSEに上場している。
その手法が、クアンタムスケープ(QuantumScape)の稿でも取り上げたSPACだった。
先に上場されていたSPACとの合併は2020年10月29日に完了し、新しい社名もFisker, Inc.に変更。翌30日からFSRの略号で取引されるようになった。
この方法で、フィスカーは売り上げゼロの状態で上場を達成してしまった。
ビジネスモデルもテスラとは違う。
テスラが組み立てを自社でやっているのに対し、フィスカーは外部委託している。
つまり、「製造しないメーカー」なのだ。
JACに生産委託している中国のNIOと同じやり方である。
ニコラも一時FCVトラックをGMに生産させる方針だった。残念ながら、こちらは破談になってしまったようであるが。
新生フィスカーの量産車第1号になる予定なのがSUV「オーシャン(Ocean)」で、2022年中の発売を目指している。
生産についてはオーストリアの自動車製造会社マグナ・シュタイア(Magna Steyr Fahrzeugtechnik AG & Co KG )に委託すると発表した。
フィスカーは、「オーシャン」のプラットフォームについても自社生産せず、マグナ・シュタイアの親会社であるカナダの大手部品メーカーであるマグナ・インターナショナルから調達することを決定している。
天下のVWが「ベンチャーの下請け」に?
SPACという裏技で売り上げゼロの会社が上場し、プラットフォームを外注し製造まで委託してしまう新しいビジネスモデル。
興味深いのは、フィスカーが一時はVWのプラットフォーム(モーター&バッテリーパック)を使おうと提携を模索したことだ。
結局、「意思決定のスピードが遅すぎる」(フィスカー氏)との理由で破棄しているが、提携が進んでいれば、天下のVWがベンチャーの「下請け」になっていたかも知れないのだ。
逆に言えば、VWやGMなどの大手自動車メーカーにとって、新興ベンチャーへのプラットフォームの提供や製造請負が、生き残り策の一つとなりつつあるのではないだろうか。
GMの場合は「ボルトEV」を発売したが、テスラ「モデル3」に惨敗している。
自社製品が売れないなら新興ベンチャーであるニコラの車を作ってなんとか凌ぎたい、という気持ちがあったのかも知れない。
「VWやGMが下請けになる日」。
日本のメーカーにとっても他人事ではないはずだ。
村沢義久(むらさわ・よしひさ)
1948年徳島県生まれ。東京大学工学部卒業、同大学院工学系研究科修了。スタンフォード大学経営大学院でMBAを取得後、米コンサルタント大手、べイン・アンド・カンパニーに入社。その後、ゴールドマン・サックス証券バイス・プレジデント(M&A担当)、東京大学特任教授、立命館大学大学院客員教授などを歴任。著書に『図解EV革命』(毎日新聞出版)など。