経済・企業 中国 異形のハイテク国家
「1秒でも遅れれば報酬は半分、15 分遅れると無報酬」中国の激安配送料を支える「過酷な労働」の真実
新型コロナウイルスの蔓延は、人々の生活に大きな変化をもたらしている。
旧来のビジネスモデルが立ちゆかなくなるなど経済もいや応なく変革を迫られている。
強権的なロックダウンによって力ずくで感染爆発を押さえ込んだかに見える中国でも、事情は同じだ。
新型コロナをきっかけに、中国ではネット通販と実店舗を融合させた「ニューリテール」と呼ばれる新業態が注目を集めている。
アリババ集団など通販大手が巨額をつぎ込んで新業態の開拓を進める背景には、配達員の劣悪な労働環境など「不都合な真実」も隠されているという。
『中国 異形のハイテク国家』(毎日新聞出版)を刊行した赤間清広氏が、中国経済の最前線を紹介する。
アリババが作った「新しいスーパー」
19年8月、筆者は上海市郊外のオフィスビルにいた。アリババがここに新しいスーパーをオープンしたと聞いたためだ。
店名は「盒馬(フーマー)ミニ」。
店舗面積は580平方メートルと中国のスーパーの中では、やや小ぶりだが、店内にはハイテク技術が詰め込まれている。
店周辺の客層や天気など様々なデータをAI(人工知能)が分析し、仕入れる商品や量、価格を毎日調整。店内の客の動きや商品ごとの販売状況もリアルタイムでチェックし、売れ行きが悪い商品があれば即座に料金を引き下げ、過剰在庫を防いでいる。
約3000ある商品が並ぶ棚にはデジタル式の値札にQRコードが表示され、スマートフォンをかざすと産地からお勧めの料理法まで詳細な情報が手に入る。
ネット通販の急成長で、最もあおりを受けたのはスーパーなどの実店舗だった。全国で多くの実店舗を閉店に追いやった「天敵」のアリババが実際に店舗経営に乗り出したのはどうしてだろう。
「通販大国」の中国だが、野菜や肉、魚介類など生鮮食品の通販は売れ行きが悪い。画像だけでは鮮度が確認できず、購入に二の足を踏む消費者が多いためだ。
「商品を実際に手に取って確かめられる点が実店舗の最大の魅力。ネット通販に実店舗ならではのメリットを組み合わせれば、サービスの質を飛躍的に高めることができる。それが我々の戦略です」
盒馬の倪暁俊・運営アドバイザーはこう解説する。
店内をしばらく観察していると、水色のヘルメットとユニフォームを着た複数の男性が頻繁に店を出入りしていることに気づいた。どう見ても客ではない。
「うちの配送スタッフですよ」。倪さんが教えてくれた。
店内にある商品はすべてスマホで注文が可能。3キロ圏内であれば30分以内に配達してくれるという。
通販で生鮮食品などを扱う場合、保冷機能が付いた専用施設を準備する必要がある。しかし、盒馬を利用すれば店舗を倉庫、配送センターとしてそのまま利用できるというわけだ。
アリババは「盒馬ミニ」に加え、売り場にイートインスペースなどを設けた大型スーパー「盒馬鮮生」、イートインスペースを中心とした「盒馬F2」など様々な業態の実店舗を展開。20年9月末時点で店舗数は220店舗以上にもなる。
ジャック・マーの「予言」
なぜ、そこまで出店を急ぐのか。
背景の一つにあるのは「伝統的な電子商取引(EC)は、中国でまもなく終わりを迎える」という不気味な言葉だ。
発言の主は、アリババ創業者の馬雲(ジャック・マー)氏。
19年9月に会長を退任し、経営の第一線から退いたが、在職中から中国市場の未来をこう見通し、「今後10~20年でニューリテール(新小売)の時代になる」と予言してきた。
ニューリテールとは、オンライン(ネット)とオフライン(実店舗)を組み合わせた新しい小売の形態だ。盒馬の試みも、この予言に基づいたものであることがわかる。
実店舗を効率的に取り入れられないネット通販会社は今後、生き残ることができない──。
カリスマ経営者の言葉に背中を押され、他の通販大手も一斉にアリババの後を追い始めた。
くしくもタイミングを同じくして、新型コロナウイルスの感染拡大が中国を直撃。感染を恐れ買い物に出ることができない消費者にとって、盒馬などのニューリテールは生活を支える新たな社会インフラとなった。
しかし、ニューリテールの未来がバラ色とは言いがたい。
ニューリテールのためのハイテク店舗は高額の設備投資が必要になる。
現状では人が運営する従来型の店舗に「採算面では、とてもかなわない」(中国通販大手幹部)のが実情だ。
盒馬の成功を受け、中国には類似のスーパーが次々と登場した。
中国メディアによると、生鮮食品関連のニューリテールだけでも参入業者は4000社に上るという。
しかし、大半は投資資金が回収できず、9割が赤字にあえいでいる。
劣悪な労働環境にあえぐ農村出身の配達員たち
それでも通販各社が投資をやめようとしないのは、中国の通販会社に成功をもたらした「勝利の方程式」が足元で崩れつつあるためだ。
中国でネット通販が急速に普及した大きな要因の一つに「配送料の驚くほどの安さ」がある。
なぜ安くできるのか。それは農村出身の出稼ぎ労働者を低賃金で雇用できるためだ。
中国では生まれた場所により、強制的に二つの戸籍のどちらかに割り振られる。「都市戸籍」と「農村戸籍」だ。
人口比ではその構成はほぼ半々になっている。
都市に比べ、農村は働き口が少なく、給料も安い。このため農村戸籍を持つ人たちは都会に出稼ぎに行かざるを得ない。彼らは「農民工」と呼ばれる。
技術や専門知識を持たない農民工にとって比較的簡単に職に就ける配達員は、都市労働の大きな受け皿となってきた。
半面、その労働条件は過酷を極める。
「1件配って報酬は8元(約130円)。配達予約時間から1秒でも遅れれば報酬は半分になり、15 分遅れると無報酬になる」
20年から北京で出前の配達員を始めた男性(27)はこう説明する。
「今日の昼だけで30 元以上も損が出た。今日は終日、ただ働きだよ」
男性は筆者の質問を振り払うように次の配達先へとバイクを飛ばした。街中で配達員が無茶な運転を繰り返す背景には、こうした切実な理由がある。
ベテラン配達員の王朝陽さん(47)に話を聞くと「土日を含め、朝から晩まで働いて月収6000元(約9万6000円)がやっと」と教えてくれた。
ただ、これでも配達員の中では「高給取り」だ。
配達員の大半は月収5000元未満。新しい配達員が入っても大半は過酷な仕事に耐えられず、すぐに辞めてしまうという。
配達員と並ぶ農民工の働き口である都市部の工場労働者も、月収は5000元前後。ただ、工場勤務の場合、社員寮が整備されているケースも多い。これに対し配達員は労働時間が不規則なうえ、事故などを起こしても補償はほとんどない。
ハイテク技術と農民工。世界最大の通販大国は、相反する二つの要素に支えられている。
赤間清広(あかま・きよひろ)
1974年、仙台市生まれ。毎日新聞経済部記者。2016年4月~2020年まで中国総局(北京)特派員を務めた。著書に『中国 異形のハイテク国家』(毎日新聞出版)。