銀座には目に見えないフィルターがある?東京のど真ん中で「蜂蜜」がとれる理由
東京・銀座のど真ん中で養蜂と聞くだけでも驚くのに、いまやビル屋上でサツマイモを栽培して芋焼酎まで生産する。
田中淳夫さんは地域が持つ資源に光を当て、自身がミツバチとして地域をつないでいる。
(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)
「私たちには地域の資源がたくさん見えるんです」
「コロナで銀座の表通りから誰もいなくなった。けれど、街路樹の花は咲いていたんです」
── 「銀座ミツバチプロジェクト」(通称「銀ぱち」)は東京・銀座のど真ん中で養蜂に取り組み、昨年10月にはハチミツ2・5グラムの入ったスティックを1182袋(1袋12本入り)、聖路加国際病院(東京都中央区)に贈りました。
田中 私たちが飼育しているミツバチは寄贈先の病院の庭にも訪れ、花の蜜を採取しています。
新型コロナウイルスの治療で頑張っている医療従事者の皆さんへ恩返しをしたいと、(インターネットで不特定多数から資金を募る)クラウドファンディングで資金を集めました。
「さっそく看護師さんたちに配りました」と丁寧な礼状をいただき、とてもうれしかったですね。
── 昨年12月には阪急百貨店梅田本店(大阪市)で、銀座のほか梅田、札幌、名古屋で都市養蜂に取り組む4団体が集まってハチミツなどを販売するイベントも開かれたそうですね。
田中 地下1階の食品売り場で一番いい場所を提供してもらい、4都市のハチミツを詰め合わせた「4都市の蜜セット」(2500円)を何とか売り切りました。
「梅田ミツバチプロジェクト」から声を掛けてもらって始まったイベントで、都市養蜂の活動を紹介するパネルなども設置しました。
コロナ禍の中ではありますが、今までにない連携も生まれています。
── 福島県の特産品のPR活動にも取り組んでいます。
田中 伊達市特産の「あんぽ柿」を使った「あんぽ棚」(皮をむいてカーテン状につるしたもの)を銀座の街角に設けたりする活動を2015年から展開したり、福島市荒井で酒米を育てて日本酒づくりをしてきたことで、昨年末に地元紙の福島民報社が選定する「第6回ふくしま産業賞」の銀賞を受賞しました。
11年3月の東日本大震災発生後、風評被害に苦しむ福島を応援しようと幅広く活動してきたことを評価してもらえました。
06年から始まった銀ぱちの活動。田中さんは東京都中央区銀座3丁目のビル運営会社「紙パルプ会館」の専務でもある。本社ビルの屋上で養蜂を始め、翌年にはNPO法人を設立。初年度(06年)に150キロのハチミツを収穫し、13年以降は毎年1トンを超える量を生産している。銀ぱちの取り組みに触発され、梅田や名古屋、札幌、東京・丸の内地区など他の地域へも都市養蜂が広がっていった。
「みんなをつなごう」
── プロジェクトは15年を超え、順調じゃないですか。
田中 それが実は、コロナの影響でやめようか、というところまで追い込まれちゃったんです。
銀座のデパートをはじめレストランやバーなどの飲食店もみんな休業してしまい、昨年前半はハチミツなどの販売先がなくなってしまって特に厳しかったですね。
イベントも次々に中止になって、大幅な減収となりました。
ようやく元に戻りつつありますが、続けていくのはやっぱり大変ですよ。
── どうやって乗り越えようと?
田中 雇っているスタッフの給料も払えなくなりそうな状況でしたが、給付金や緊急融資などで何とかしのいできました。
苦しい状況ではありましたが、自分たちのやっていることを見直すいい機会だったな、と。昨年5月のある時、(東京メトロ)銀座駅のホームに降りたら、私しかいなかった。
「こういう銀座って初めて見たな」と思いました。けれど、よく見ると街路樹の花は咲いていたんですよ。
── 一斉に咲き誇る季節ですね。
田中 ミツバチが一番、蜜を取りに行く時期で、養蜂のトップシーズンです。銀座の表通りに誰もいなくなっても、季節は確実に進んでミツバチがどんどん蜜を集めてくる。
このまま続けていていいのかと悩みながら、名古屋で都市養蜂をしている「長者町ハニカム計画」の佐藤敦代表に電話をすると、コロナ禍の中でも「一生懸命やっている。地域のために動くんだ」と。他の地域もみんな頑張っていました。
── 銀座だけやめるわけにはいきませんね。
田中 そうなんです。そこで、オンライン会議で他の都市養蜂の団体みんなをつなごうと考えました。
それまでは、みんなは私のことは知っているけれど、他の地域とのつながりはない。
オンラインで自己紹介をしながら情報交換する取り組みを昨年5月から始め、毎月続けるようになりました。
みんなで情報共有することで、いろんなアイデアも出てきます。
その成果の一つが、阪急百貨店梅田本店でのイベントです。
── コロナをきっかけに都市養蜂のネットワークが生まれたんですね。
田中 僕らがかつて種をまき、みんながそれぞれ苦労もしながら活動を育ててきたことで、各地域がつながった。
ここからさらに新しい価値が生まれるのではないかと思っています。
今、ここに集う仲間たちは、ミツバチを飼って花を植え、ハチミツを集めて子どもたちに環境を守ることの大切さを教えるプレーヤーとして育っていくんじゃないか。
そういう活動が広がっているのはすごく面白いですね。
「この街ってすごい」
東京都江戸川区出身の田中さん。「下町の人間で、農業とは無縁の生活を送っていた。アブとスズメバチの区別もつかないぐらい」と笑う。そんな田中さんがミツバチを飼うきっかけになったのは、05年に岩手県の養蜂家、藤原誠太さんが「東京でミツバチを飼う場所を探している」と訪ねてきたことだった。ただ、当初は養蜂家にビルの屋上を貸す程度の認識だったという。
── なぜ藤原さんは東京で養蜂をしようと?
田中 実は、銀座周辺は皇居や浜離宮、日比谷公園など意外に花や緑が多く、良質な蜜が採れる場所でもあるんです。
藤原さんはそこに着目し、ミツバチのことをもっと東京の人にも知ってもらいたいと、永田町(千代田区)のビルの屋上で養蜂に取り組んでいました。
けれど、その場所が使えなくなりそうだということで、代わりの場所を探していたんです。
── 都市部での養蜂は、人を刺したりしないか、心配にもなりませんか。
田中 私も最初、ミツバチの知識がまったくなく、「危なくないかな」と思いました。
ただ、巣箱から直接、花の方に飛んでいくので、繁華街や人がたくさん集まるところでも飼えるという話で、「銀座で天然のハチミツが採れたら面白そうだな」と。
ミツバチの習性はとてもおとなしく、人がむやみに攻撃したりしない限りは刺さないんですよ。
── そこからどうして田中さん自身が養蜂に?
田中 屋上のスペースは事業として養蜂をやるには小さすぎるということで、その話は流れてしまいました。
ただ、ちょうどそのころは、銀座で高層ビルの建設問題が持ち上がっていた時期。
銀座の街が持っている可能性を見直して、新しい価値を見いだそうと、私が代表世話人となって05年、「銀座の街研究会」という勉強会を立ち上げました。
さまざまな銀座に関わる人の話を聞き、歴史や文化を調べたりするうちに、「この街ってすごいな」と感じる一方、他の繁華街で再開発がどんどん進み、「銀座は終わった」ともささやかれていました。
そんな話を藤原さんともするうちに、「僕が協力するから、ぜひミツバチを飼ってみたら」と提案されたんです。
最初はちゅうちょしたんですが、次第に「銀座に環境という新たな価値が加わるなら」と考えが変わっていきました。
── 周囲も当初、反対だったようですね。
田中 みんな、ハッキリとは言わないけれど、心配だったと思います。
でも、僕が(商店街組織の)「銀座通連合会」や中央区役所などに説明をして回ったら、「気を付けてね」という程度。
むしろ「頑張ってね」と励まされました。
改めて感じたのは、銀座は新しい取り組みを否定しない街なんだということ。
研究会では「銀座フィルター」についての話も聞いていたので、そんな意識も持ってしまって……。
“芋づる式”に焼酎も
── 銀座フィルターとは?
田中 銀座のあるビルオーナーから、「銀座には見えないフィルターがあるんだ」と。
「銀座には昔から奇想天外のことをやらかすやつが必ず出てくる。いいものは残るし、街にそぐわないものは消えていく」というんです。
いざ養蜂を始めてみると、けっこう応援してくれる人が出てきました。
(百貨店の)松屋銀座さんを含め、商品づくりに参加してくれたりして、1年目からいろんな商品ができました。
銀ぱちのハチミツは、松屋銀座のハチミツ専門店「ラベイユ」で「銀座のはちみつ」として販売(36グラム1728円、125グラム5400円、180グラム7560円)。また、東京都内の他の養蜂場で採れたハチミツとセットにして、「東京蜂蜜」(1本150グラム、2本入り5400円)として販売するほか、銀座のレストランやバーなどにも卸している。
── 銀座のハチミツの味わいは?
田中 さっぱりしていて糖度が高い。すっきりした味です。
実は、銀座のハチミツは週替わりで味も香りも色も変わってくるんですよ。
サクラやトチノキ、ユリノキなどさまざまな花が数百本単位で一斉に咲き、時には皇居の中に入って柑橘(かんきつ)類の蜜が入ってくれば、華やかさがブレンドされたりもします。
銀座では劇的に味が変化するのが楽しめるので、とても面白いですね。
── 田中さん自身がミツバチとなって、地域を結び付けていますね。
田中 僕らがいろいろ動いていると、周囲を巻き込んでサプライチェーン(供給網)ができ、みんながパートナーになっていくんです。
他にも、ホテルなどから大量の注文があると、スタッフが少ないうちだけでやるのは大変。
そこで、中央区の福祉作業所にお願いして、びん詰めの作業をやってもらうことで、障害のある人の収入を増やすことにもつながっています。
── 15年からはビルの屋上でサツマイモ栽培の取り組みも始め、翌年にはその芋を原料とした焼酎『銀座芋人(ぎんざいもじん)』も販売しています。
田中 ミツバチの蜜源確保のために屋上緑化の一環として始めた取り組みですが、屋上緑化にも当然コストがかかります。
屋上緑化から何か価値を生み出せないかと考え、芋焼酎を作ることにしました。
私たちも最初はサツマイモができるのか半信半疑でしたが、とにかくやってみることが大事。
銀座では今、さまざまな企業の役員さんたちも乗り気で、名古屋や札幌にもそれこそ“芋づる式”に動きが広がっています。
── これからどんなことに取り組んでいきますか。
田中 僕らはまだまだスタートアップ企業だと思っていて、何があろうが収益の基盤を作って次の世代に引き継がなければいけません。
地域にはまだ十分に生かされていない資源がありますが、ミツバチが小さな花に降りていくように、私たちにはたくさん資源が見えます。
それを緩やかにつなげていくことによって、地域の中に資源が循環する社会を作れたらいいなと思います。
(本誌初出 都市養蜂の立役者=田中淳夫・NPO法人「銀座ミツバチプロジェクト」理事長/833 20210316)
●プロフィール●
田中淳夫(たなか・あつお)
1957年12月16日、東京都出身。79年日本大学法学部卒。NPO法人「銀座ミツバチプロジェクト」(通称「銀ぱち」)理事長兼紙パルプ会館専務。ビルの屋上で養蜂を行う銀ぱちは、採れたハチミツを使ってさまざまな商品開発に取り組み、都市緑化や地域の生産者との交流も推進。環境大臣表彰(2010年6月)、農林水産省の「食と地域の『絆』づくり」優良事例認定(12年4月)。著書に『銀座ミツバチ物語』(時事通信出版局)。