週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

拒食症を克服した女性が「旅するおむすび屋」を立ち上げた深い理由

「むずび方は自己流。むすぶ機会が増えて感覚が磨かれていきました」 撮影=蘆田 剛
「むずび方は自己流。むすぶ機会が増えて感覚が磨かれていきました」 撮影=蘆田 剛

老若男女がおむすびの力に魅了されるイベントを全国各地で開くが、その根底には拒食症を克服して得た「食べるって楽しい!」という気持ちがあった。

(聞き手=種市房子・編集部)

「拒食症を経験したからこそ、食の楽しみ広げたい」

「誰もが食べたことがあり地方によっても特徴が違う。おむすびは奥深いんです」

── 「旅するおむすび屋」として、おにぎりを通じて食の楽しさを知ってもらうワークショップを全国各地で開催していますね。

菅本 「旅するおむすび屋」は一緒に活動する吉野さくらさんと2人のユニット名です。

ワークショップでは、地元特産の米やノリや塩、食材を使って、おむすびを地元の方々とわいわい作り、皆で食べます。

食材は特産ではなくても、私たちお勧めの厳選品を使うこともあります。

講演会や地域の食材の詳細を調べるツアーなども企画していて、「おむすびを通して食の楽しさを知ってもらう」というコンセプトにかなうならば、活動形式にこだわっていません。

── ワークショップでの反応は?

菅本 沖縄県で、主に子ども向けに開いたワークショップで、「私はお米が嫌い」という女の子がいました。

けれど、新潟県産の米を使ったところ、その女の子は8個ほどのおむすびを握り、自分で食べていました。

沖縄県では地場のお米が少ないこともあり、本当においしいものを知らなかったのかもしれません。真においしいものに会うことで、苦手な食材も克服でき、食の楽しみも広がると思います。

── ワークショップは食育になっているのですね。

菅本 おむすびは包丁を使わずに作れます。ワークショップに参加した子どもの中には、最初の料理体験となることもあります。

自分で作った料理を自分で食べたり、あるいは家族がおいしそうに食べてくれたりする体験も貴重でしょう。家族が喜んでくれることで、何個でも握り続ける職人のような子どももいます。

また、大人の参加者でも、最初の料理体験だった独身の人が、簡単においしいものが作れることが分かり、炊飯器を買ったこともありますよ。

「旅ができない」

 2017年夏から始まった「旅するおむすび屋」の活動。新潟県を拠点に米を通じた生活改善の活動に取り組む吉野さんと知人を通じて知り合い、「食の魅力を伝えたい」「食を軸に日本各地の魅力を伝えたい」と意気投合した。地方自治体や企業のイベント、地域住民の集まりなどに呼ばれるようになり、これまで全国各地で100回以上のワークショップを開催している。

── しかし、昨年の新型コロナウイルス感染拡大後は、思うように全国を回れないのでは。

菅本 昨年の緊急事態宣言時(20年4~5月)、「旅ができない『旅するおむすび屋』」となりました。

それまで、月に半分はワークショップや講演などで出張し、せわしなく旅していた中、改めて自分の活動を振り返る時間を持てたことはプラスでした。

東京にとどまらざるを得ない中、おむすびをキャラクターとした絵本を制作し、オンラインイベントを開くこともできました。

5月の緊急事態宣言解除後も出張は制限されていますが、地場産の食材紹介を通したふるさと納税のPR記事や、食のEC(電子商取引)サイトに食材紹介コラムを執筆しています。

これまで全国を巡った経験を基に、東京にいながら「旅するおむすび屋」としての活動をしています。

また、(インターネットで不特定多数から資金を募る)クラウドファンディング支援の仕事もしています。

二つの仕事を持っていなければ、コロナ禍の中で、心に余裕を持てなかったでしょうね。

── クラウドファンディング支援とはどんな仕事?

菅本 クラウドファンディングを手掛けるキャンプファイヤー(東京)からの業務委託で、資金を募りたい人向けに、クラウドファンディングの概要説明の文書のコツや、リターン(返礼品)の設定の仕方、ネットや口コミを使った拡散方法などを助言しています。

昨年はコロナの影響で飲食店のプロジェクトが増えました。

休業中の運転資金を募集して、リターンをその店で使えるチケットにするケースが多いですね。私を指名してくれる人や知人の紹介による案件を引き受けて、キャンプファイヤーと一緒にプロジェクトを進めています。

── おむすびとクラウドファンディングの「二足のわらじ」ですか。

菅本 キャンプファイヤーは19年3月まで正社員として働いていた会社です。

「旅するおむすび屋」の活動は、キャンプファイヤーに在籍していた17年、クラウドファンディングで初期資金を集めて、休日に副業として始めました。

その後、依頼が増えて休日だけでは日程を確保できなくなったので独立したのですが、キャンプファイヤーからその際、「業務委託なら今後も一緒に仕事ができる」と提案してもらいました。

「生死の瀬戸際」に

 菅本さんが「食の楽しさ」「食の大切さ」を伝えたいという思いを抱くのには理由がある。中学2年の時、友人からの何気ない一言をきっかけに6年間、拒食症となった経験があるからだ。「食べる」ことが苦痛に、また周囲から心配されるのも苦痛になり、一時は「生きるか死ぬかの瀬戸際までいった」という。だが、別の友人との出会いを機に、拒食症を乗り越えていった。

── 拒食症のきっかけは何だったのですか。

菅本 友達からの「少し太ったんじゃない」という言葉です。ダイエットしなければと思い、徐々に食べなくなっていきました。

家族が「おかしい」と気づいて病院へ連れて行かれた時には、身長158センチに対して体重は23キロまで落ちていました。

治療中は家族と食卓を囲む時間がとても嫌で、友達と遊ぶのもご飯を食べながらおしゃべりしたりと、何かと食べることがセット。だから、友達と遊ぶことも、私にはとても高いハードルだったんです。

── どのように克服できたのですか。

菅本 2回目の高校2年の時に出会った友人の存在が大きいですね。「2回目」というのは、治療のために休学し、留年したから。

その友人は、おしゃべりしてご飯を食べる場で、私が何も食べなくても、何も言わなかった。

家族で食卓を囲む時などは、「食べないの」と心配されたり、何かを食べると「頑張ったね」と言われたものでした。

それなのに彼女は、食べない私に何も言わず、普通に接してくれた。食べることが正義ではない、拒食症の私も悪ではない、と気づかせてくれました。

── いつごろ完治したのですか。

菅本 大学1年の時です。驚くほど、あっけなく完治しました。大学入学後、一人暮らしを始め、体重計を置かなかったことが一因でしょう。

今までの「拒食症の私」を知っている人が、周囲にいなくなったことも大きかった。

周囲の人が普通に接してくれたことで「拒食症ではない私」を少しずつ思い出せました。そして、食べてみると楽しい。体も心も元気になり「食べるとこんなに楽しいんだ!」という気持ちがわきました。

── 心理的な要因も大きかったのでしょうか。

菅本 今から振り返れば、あの年齢で「太ったんじゃない」という言葉は、女の子の間ではたわいもないものでした。

それなのに、その一言で拒食症になってしまったのは、当時、自分に自信がなく、他人にどう思われるかということに敏感だったからです。

少しでもマイナスなことを言われると、「改善しないと」とおびえていました。

けれど、拒食症が完治した後は、「日常生活を送れるだけで十分な自分」を肯定できるようになりました。

自分の心を整えれば、多少のことで気持ちが揺らぐことも、他人の顔色をうかがうこともなくなりました。

「新しいこと」に触発

── つらい過去を明らかにすることに、ためらいはありませんでしたか。

菅本 ためらいがないといえばうそになります。けれど、自分の経験を伝えることで、拒食症で困っている人の気持ちを和らげられればと思っています。

予備軍を含めて相当数、拒食症に悩んでいる人はいるでしょうし、誰にでも起きうる身近な問題なのです。

── 大学卒業後はどんな仕事を?

菅本 食に関する仕事といえば、飲食店の店員や食品メーカー社員などがありますが、しっくり来るものがなく、いったんは不動産会社に入社しました。

新築マンションの営業を通して学ぶものもありましたが、やはり「食に関する仕事をしたい」という思いは強くなるばかり。

そんな時、縁あって、熊本県で、15年末に創刊した食材付録付きの地域情報誌『くまもと食べる通信』の副編集長に就くことになりました。ノリの養殖業者さんなども取材し、今の仕事に役立っています。

『くまもと食べる通信』は16年の熊本地震を機に、経営続行が困難になった。「食に関する仕事」を続けたいと望んだ菅本さんは、大学時代から交流のあった起業家で、キャンプファイヤーを創業した家入一真社長から「うちの会社で地方の食材に関するクラウドファンディングを担当しないか」と誘われる。同年、上京してキャンプファイヤーに入社。主に地域振興や食にかかわる案件を担当した。

── 新しい職場の雰囲気は?

菅本 キャンプファイヤーでは社員が皆、「何か新しいことをやる」という気概にあふれていて、「私も何かやらなければ」と触発されました。

そんな時、知人から「食好きの香菜ちゃんに紹介したい人がいる」と言われて会ったのが、新潟県でこだわりのお米屋さんと共に働く吉野さんでした。

私はノリには一家言あり、吉野さんは米好き。

それなら、おむすびを通して何か事業ができるのでは、と考え始めたのが「旅するおむすび屋」のきっかけです。

次のための「予習」

── おむすび屋の手応えをどう感じていますか。

菅本 ワークショップのたびに、おむすびの奥深さを感じますし、ワークショップでの会話は尽きません。

地元ならではのおむすびの食材を知り、傾向を知る機会にもなります。

例えば、ノリが貴重品だった山間地ではシソを巻くといった傾向があるんです。「旅するおむすび屋」の活動を通して、地元ならではの形、味付け、食材と、学ぶことばかりです。

── コロナ禍はまだ終息が見えませんが、どう取り組んでいきますか。

菅本 コロナ禍で旅が非日常のイベントとなった今は、次に旅に出た時のための予習期間だと心得て東京で過ごしています。

大学で民俗学を専攻したこともあり、文献を調べたり、ビデオ会議で地元の方に話を聞いて地元食材の知識を座学で得たりしています。

旅ができなくても分かることはたくさんあるので、次に旅に出た時に地元の空気感とともに食材を味わった時、「実際はこうなんだ」と実感する「答え合わせ」ができるようにしています。

旅に出られない今だからこそ「次はどんな旅に行こうかな」と楽しみが増幅しています。

(本誌初出 ワークショップ100回=菅本香菜・旅するおむすび屋/830 20210223)


 ●プロフィール●

菅本香菜(すがもと・かな)

 1991年生まれ、福岡県北九州市出身。熊本大学卒業後、不動産会社、『くまもと食べる通信』副編集長を経て、2016年にキャンプファイヤー入社。副業として「旅するおむすび屋」の活動を始める。19年3月に独立、「旅するおむすび屋」の活動と共に、クラウドファンディング支援も手掛ける。

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