週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

途上国支援に四半世紀=吉岡秀人・NPO法人「ジャパンハート」最高顧問/824 

    「僕にとっては1打席、1打席全力でバットを振ることの繰り返し。ただそれだけです」 撮影=平岡仁
    「僕にとっては1打席、1打席全力でバットを振ることの繰り返し。ただそれだけです」 撮影=平岡仁

     30歳でミャンマーに渡ってから25年以上、途上国での医療支援活動の第一線に立ち続ける吉岡秀人さん。新型コロナウイルス禍の中でも奮闘を続け、さらなる大きな夢を描く。その原動力には何があるのか。

    (聞き手=斎藤信世・編集部)

    「医療が行き届かない場所にいる人の命をつなぐ」

    「人のためにやっているようでも、実は自分の人生を豊かにするためにやっています」

    ── 途上国などで医療活動を行う国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を2004年に設立し、現在はカンボジアで活動しています。

    ジャパンハートが2016年、カンボジアに開設した「こども医療センター」 ジャパンハート提供
    ジャパンハートが2016年、カンボジアに開設した「こども医療センター」 ジャパンハート提供

    吉岡 今は2カ月に1回カンボジアに渡り、小児がん患者の治療を行っています。カンボジアでは16年、首都プノンペンの北約35キロのカンダル州ウドンに「ジャパンハートこども医療センター」を開設し 、18年6月には小児がん治療のための病棟を含む小児科病棟を増築しました。

     ジャパンハートが活動を始める前のカンボジアには小児がんの専門医がいませんでした。ただ、がん病棟には子ども用のベッドが30床ありますが、とても足りていません。

     院内には小児がん患者があふれている状況です。(ワイドインタビュー問答有用)

    ── 新型コロナウイルスの感染拡大で、渡航もなかなか難しい状況です。

    吉岡 これまで慶応義塾大学や大阪大学などの医療チームが毎月、カンボジアに行って手術をしていましたが、新型コロナの影響で医療チームが渡航できなくなってしまいました。がんの子どもは増えるのに、誰も手術できない状況なので、今は僕が治療を行っています。

     ジャパンハートはミャンマー、カンボジア、ラオスの東南アジア3カ国を中心に、途上国で原則無償で医療を提供する非政府組織(NGO)だ。11年には日本で特定非営利活動法人(NPO)となり、これまで通算5000人を超えるボランティアが参加。個人や法人からの寄付(20年1~11月は個人約2万100件、法人約350件)などを主な活動資金に、これまで途上国で24万件の治療を実施してきた。

    原則として「無償」

    ── ジャパンハートの活動の特徴は?

    吉岡 海外の貧困地域など、医療が行き届いていない場所にいる人の命をつなぐことがミッション。日本から参加する医療者やボランティアが、原則無償で医療を提供しています。カンボジアは自前病院なのですべて無償で、ミャンマーは18歳以下はすべて無償、19歳以上は間借り先に実費を支払ってもらうだけで、ジャパンハートとしては患者さんから得ているお金はありません。

    ── ボランティアはどんな活動を?

    吉岡 医師や看護師、助産師といった有資格者のほか、診療介助やガーゼ作成、患者との交流などで学生ボランティアも受け入れています。基本的に無償で、期間も短期から長期まで。ジャパンハートに対して研修費を支払ってもらう「研修」という形もあり、OBやOG看護師がプログラムを組んで医療支援のプロフェッショナルとなるよう育成しています。研修では海外3カ国とへき地・離島をローテーションします。

    ── ジャパンハートの活動に参加するのは、どんな人が多いのですか。

    吉岡 若い人が多く、参加者のうち30代以下が約8割。人間の感度は10代をピークに年々鈍っていくので、同じことを経験するにも、若い時に経験したほうが人生に与える影響は大きいんです。例えば僕が10代の時においしいと思って食べていたものは、50代の僕が食べてもおいしいと思いません。それは肉体の感度と精神の感度がパラレルで動いているからです。

    ── 確かに、年齢を重ねるごとに考え方や行動が保守的になっていく気がします。

    吉岡 年齢とともにより強い刺激、よりおいしいものを食べないと感動できなくなるんです。だから若い時に行動したほうがいいとか、苦労しなさいという本質はそこにあります。若ければ若いほど、学ぶことは決定的に多い。だから、少しでも多くのことを人生の前半に詰め込むことが大事です。僕だって、20歳の時と同じようなインパクトを、自分の感度にもたらすのは相当大変ですからね。

    ── 医療の道に進んだきっかけは?

    吉岡 子どものころはぜんそく持ちで、体が弱かったんです。いつも床にいたので世の中に慣れず、自分に自信もありませんでした。でも小学校4年生の時に急に体が成長し、強くなったことで外向的になりました。世界で当時、大きな問題になっていたのが、アフリカでの飢饉(ききん)やベトナム戦争。僕はそれを映像や写真で知り、「この人たちを助けたい」という思いを抱きました。

    医局へ進まない選択

    ── ただ、子どものころに抱いた夢や、社会の矛盾に対する疑問を、そのまま維持し続けるのは簡単ではありません。

    吉岡 途上国での医療活動を始めて25年以上になりますが、もしかしたら僕はこの活動を通じて、子どものころのコンプレックスやトラウマを解消しようとしているのかもしれませんね。大学受験では2浪の後、大分医科大学(現・大分大学)医学部に入りました。卒業後は同級生の多くが医局に進む中、海外医療に最短で進もうと、大阪や神奈川の救急病院に勤務して医師としての経験を積みました。

    ── 医局に進まないことに迷いはなかったのですか。

    吉岡 ないですね。海外の貧困地域など、医療が届かない場所で医療をするために医者になったわけですから。当時30歳前後でしたが、10代のころに描いた夢や思いを裏切りたくない一心でした。医者になれば誘惑が多いのは確かです。でも、自分の欲求よりも社会のニーズにどれだけ応えられるかが大切なことだと思っていました。

    「途上国での医療支援」への思いを抱き続けた吉岡さんに1995年、ミャンマーに渡る機会がやってきた。戦没者の慰霊団に同行し、ミャンマー中部の町メイッティーラを訪れる。太平洋戦争で日本軍と英軍が激戦を繰り広げたこの地で、慰霊団が新たな慰霊の形を考える中、医療支援ができないかと模索。当時、別のNGOに所属していた吉岡さんに声が掛かり、吉岡さんは慰霊団が帰国後も一人、現地に残って医療活動を開始した。

    ミャンマーで医療活動を始めたころの吉岡さん(1996年) ジャパンハート提供
    ミャンマーで医療活動を始めたころの吉岡さん(1996年) ジャパンハート提供

    ── 当時は途上国での医療支援の道に進む人は少なかったのでは?

    吉岡 確かに、これまで僕と同じようなことをやった人がいないので、何をどうすればいいか教えてくれる人もいませんでした。一人でジャングルをかき分けながら進み、生き延びるために必要なものを見つけていくという感じで、正直ちょっとびびってはいましたね。環境も全く違うので、医療に使えるきれいな水がどの程度あるか、といった不安はありました。

    ── 家族や周りの人の反応は?

    吉岡 当時はなかなか理解されにくかったです。「お前一人行って何になるの」という声も結構ありました。でも実は僕の中では、何にもならなくてもいいじゃないと思っていたんです。僕が行くことで100人の人の命が助かれば、それはそれなりに意味があることだと思いました。僕の人生なので、何になるかは僕が決めればいいわけです。結果的に、活動を続けることによって100人以上の命が助かりましたが、僕にとっては1打席、1打席全力でバットを振ることの繰り返し。ただそれだけです。

    ミャンマーで居候

    ── ミャンマーに渡ってからは、どんな生活でしたか。

    吉岡 手元資金100万円で渡ったのですが、活動を始めるまでに少しでも節約したかったので、ミャンマー人の家に居候させてもらいました。ご飯なども全部出してくれましたので、ありがたかったですね。当時日本人はお金持ちの印象があったと思うんですが、こんな貧乏な日本人いるのかという目で見られました。医療活動を始めてからは、朝5時ごろから深夜まで1日100人ぐらいを診療し、週末には手術もやりました。

    ── 活動を続けることで反対意見はなくなりましたか。

    吉岡 今でも、「先に日本の子どもを助けろ」という声が聞こえてきます。遠く離れた人の命より今日の晩ご飯が大事という考えも、自分の飼っているペットのほうが大事という考えも分かります。けれど、人にはそれぞれ大切なものがあって、それに投資する権利があると僕は思っています。それに、反対意見は悪いことばかりではありません。

    ── どういうことでしょうか。

    吉岡 飛行機と同じで僕が飛ぶためには前から吹いてくる風が必要です。風がないと飛行機が飛べないのと同じで、人間にも向かい風は大切です。建設的な反対意見に接すると自問自答を生み出し、問題を解決する過程で自分自身がやろうとしていることのクオリティー(質)が上がります。一生懸命生きていない人に向かい風は吹きません。だから、「つらい」とか「大変」とかいう人は、一生懸命生きている証拠なんです。

    ── 2004年にそれまで所属していたNGOを辞め、ジャパンハートを設立しました。

    吉岡 そのNGOで、政府機関からもらったお金が余ったことがありました。NGOのスタッフたちは、そのお金でワークショップをやりたいと言いましたが、僕はそのお金を患者のために使いたかった。自分が正しいと思ったことをやったほうが、僕の人生は絶対豊かになると思い、NGOを離れてジャパンハートを設立することにしたんです。

    新たな病院建設の夢

    ── 何がそこまで吉岡さんを突き動かすのですか。

    吉岡 僕は一見、人のためにやっているように見えますが、実は自分の人生を豊かにするためにやっています。まさに「情けは人のためならず」。どんな人にも幸せになるチャンスはあり、そのための秘訣(ひけつ)は世の中に喜んでもらうことです。世の中から「ありがとう」「大切だ」と言われることで、自分は価値がある人間だと認識できるんです。誰かを傷つけたり、苦しめたりすると、自分はそういう人間だと思うのも同じですね。

     人生は山登りと一緒だと思うんですよ。山を登る前は、目の前に大きな木や林が見えるけれど、登り始めて500メートルもすれば、さっき見ていた目の前の林は緑の森に変わっています。さらに登り続けて振り返ってみたら、緑の森だったものが緑の点に変わっている。登り続けるとそれぞれの場所から見える景色があるんです。5年後の僕が何を考えているかは想像もつかないけれど、今の延長線上にあることは確かです。

    ── ジャパンハートではこれから、どんなところに力を入れていきますか。

    吉岡 世界では今後、これまで以上に貧富の差が広がると思うので、貧困層の人が無料でかかれる規模の大きい病院を作ろうと思っています。世界にはお金持ちが行ける病院はたくさんありますが、貧困層のための病院は一つもないんです。無償でかかれる大きい病院を東南アジアに作り、アジア中から子どもを迎え入れたいと思っています。

     また、医療従事者も、その病院で学べる仕組みを作りたい。病院で学んだ人が自国に戻って医療ができるようになればいいですね。


     ●プロフィール●

     よしおか・ひでと

     1965年大阪府吹田市生まれ。大阪府立千里高校、大分医科大学(現・大分大学)医学部卒業。大阪の岸和田徳洲会病院などでの勤務を経て、1995年秋からミャンマーで医療支援を開始した。2004年に国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。08年に特定非営利活動(NPO)法人格を取得し理事長に。17年6月から現職。

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