「そこまで否定的な反応はなかったが……」日本の高校野球のドキュメンタリー映画は米国でどう受け止められたのか
日本の高校野球を追ったドキュメンタリー映画「甲子園 フィールド・オブ・ドリームス」。
日本人にとっては当たり前の光景を、海外の視点から相対化した作品だ。
日本の何を伝えたかったのか、監督した山崎エマさんに迫った。
(聞き手=和田肇・編集部)
「高校野球は米国人にとって“驚き”の世界」
「イチローさんに憧れて映像で一流になると決めた。無限の可能性が広がっている」
── 2作目のドキュメンタリー映画「甲子園 フィールド・オブ・ドリームス」(シネリック・クリエイティブ、NHK、NHKエンタープライズ国際共同製作)が今年8月から日本で公開されました。観客の反応はどうですか。
山崎 「改めて高校野球の良さに気づいた」といった内容から「高校野球を変えないといけない」といったものまで、幅広い感想がありました。
ドキュメンタリー映画の世界では「掛け算」と言いますが、見る人が持っているもともとの視点に映画での体感が掛け算になって、それぞれ感じることが異なります。
映画には私が伝えたいことも入れていますが、映画は見る人全員を説得するためにあるわけではないので、私が意図した通りの反応が返ってきていると思います。
── 丸刈りなど高校野球の独特のスタイルに疑問を持つ人もいます。
山崎 日本の良いところと悪いところは表裏一体だと考えています。
高校野球でよくヘルメットがきれいに並べてある光景を目にしますが、全員の行動が統一されることに違和感を持つ人はいるでしょう。
一方で、旅館で靴がきれいに並べてあるのを見て、「日本はおかしくなってきた」と言う人はいません。
また、日本では電車が時刻通りに来るのが当たり前ですが、海外ではそうではない。
電車が時刻通りに来る背景には、ルールを守るとか、自分の役割に責任を持って働くといった、日本の社会の特徴が表れているんです。
── そう言われれば、電車が時刻通りに来るのはすごいことだと、毎日感じながら生活している日本人もほぼいませんね。
山崎 今回の映画で私が提示したかったことの一つは、「全部がつながっている」という点。
電車が時刻通りに来るのは賛成だが、今の部活のあり方には反対と言う人がいたのなら、「それらにはつながっている部分がある」ということを知ってもらいたいと考えました。
すべてがつながっている中で、今の日本のどこを変えて、どこを守るのか。
そこを考えながら今回の映画を作りました。
ESPNでも放送
「甲子園 フィールド・オブ・ドリームス」は、第100回記念大会となった2018年の夏の甲子園出場を目指す強豪校、私立横浜隼人高校(神奈川県)の硬式野球部を追った94分の作品だ。上下真っ白のユニフォーム姿で整然と並んでランニングする球児や、「昭和の頑固おやじ」を自称する水谷哲也監督の指導に打ち込む姿──。なぜ彼らは甲子園を目指すのか。日本人にとってはあまりに“当たり前”すぎる問いを、ベースボールの地、米国の視点から描き出し、高校野球を日本社会の縮図として捉えている。
── この映画は19年11月、米国最大のニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭「DOC NYC」でプレミア上映され、今年6月には米スポーツ専門チャンネル「ESPN」でも放送されました。米国での反響は?
山崎 いくら日本人メジャーリーガーが活躍していても、米国では日本の高校野球の全貌は謎に包まれているところがあります。
甲子園に一生を懸ける子どもや大人の姿を見て、「こんな世界があるんだ」という驚きがあったと思います。
また、海外での日本人像は、礼儀正しくてあまり感情を出さないというものですが、子どもや大人までもが泣いたり笑ったりしている様子にも驚きはあったでしょう。
米国での反応の大半は、そうした驚きと日本の高校野球に対する興味で、「甲子園を米国でも中継してほしい」というものまでありました。
── 規律を重視する日本の考え方に対する反応はどうでしたか。
山崎 そこまで否定的な反応は米国ではなかったですね。日本のやり方を米国でもやれ、という内容の映画だったら別だったと思いますが。
一部には「まだ子どもなのに、こんなにプレッシャーを与えていいのか」という否定的な声もあった一方、米国は個人主義なので、日本のようにルールを守ったり周囲に配慮したりしたほうがいいという感想もありましたね。
そもそもこの映画は、日本という国の謎解きの一つ。
日本ではなぜ家族よりも会社が大事なのか、謎に思っていた人たちへの、ちょっとしたヒントもあったりします。
── 撮影スタッフは米国人だったそうですね。撮影スタッフにも驚きがあったのでは?
山崎 撮影のために初めて来日した米国人カメラマンは、高校までずっと野球をやっていたそうですが、日本の高校野球を見て「米国では部員全員がメジャーに行けるとは限らないので、全員が厳しい練習をしたりはしない。
得意なことの練習に時間を割く」と言っていました。
また「米国ではレギュラー枠に入れなければ、他の部活をやるのが普通。
日本では野球部全体として、トイレ掃除などおのおのが与えられた役割をきちんと果たすことが重視されている」とも話していました。
「結果」か「過程」か
── その一方で、映画では高校野球が変わろうとしていることも描いていますね。「昭和の頑固おやじ」の水谷監督は、人一倍強い思いを持って県大会に臨みましたが、初戦で負けてしまいました。
山崎 さらに、水谷監督の息子さんが岩手県の強豪、花巻東高校に進学した時期とも重なっています。
大谷翔平選手ら日本人メジャーリーガーを生み出した花巻東硬式野球部の佐々木洋監督は、かつて水谷監督の下で横浜隼人高校のコーチ経験があり、2人は師弟のような関係。
その佐々木監督は18年夏の甲子園1回戦で敗れた後、部員の丸刈りをやめることを決めました。
それらを映画の最後で描くことで、時代の変わり目であることを表現したいと思いました。
── 撮影の対象に横浜隼人高校を選んだ理由は何だったのですか。
山崎 高校を探す時に二つのキーワードがあり、一つは米国人への伝わりやすさから、日本人メジャーリーガーと何らかの関わりがある高校にしたいと考えました。
もう一つは、日本に最初に野球が入ったとされる横浜という場所です。
米国人の夫の知り合いに、徳島県の古豪・池田高校の故・蔦文也監督のお孫さんがいて、「水谷監督がカリスマ的な指導ですごい」と教えてもらいました。
水谷監督は蔦監督のいた池田高校に進学して野球をやりたいと思いながら、家庭の事情で断念していました。
── 印象に残っているシーンは何ですか。
山崎 水谷監督がレギュラーになれなかったある部員に話すシーンと、横浜隼人高校が夏の県大会初戦に負けた後に水谷監督が部員全員に話すシーンです。
水谷監督はそこで「次に頑張るために、この思いを忘れるな」と話します。
私はそこに今の日本社会が象徴的に表れていると思いました。
米国では結果が重視され、勝者に注目しますが、日本では純粋に頑張ること、一生懸命やること自体が評価され、そこに皆が感動する。
水谷監督の話を米国人が聞くと、「そんな世界があるのか」と驚きを感じるんです。
兵庫県出身の山崎さんは、父が英国人、母は日本人の家庭に育つ。
小学5年生の冬、読書感想文の課題図書で『イチロー 努力の天才バッター』など、元メジャーリーガーのイチローさんの本を読み、「大きな夢を持って毎日努力し、一流になりたいと思った」。
その後に通ったインターナショナルスクールで、映像製作の課題に取り組んだことをきっかけに、米ニューヨーク大学で映画製作を学ぶ。
「世界一のイチローファン」を自称する山崎さん。
「イチローさんも野球で一番の米国に行ったから、自分も映像で一番の国に行こう」と決めたという。
昨年3月からは、『イチロー 努力の天才バッター』の著者で日刊スポーツ編集委員の高原寿夫さんら、イチローさんに魅せられた人々を訪ねる山崎さん監督・編集の短編ドキュメンタリーシリーズ「#dearICHIRO」(全11話)をヤフージャパンのサイトで順次公開している。
── 映画の中でもドキュメンタリーを志したのは?
山崎 大学では3年生から各コースに分かれますが、大半の学生は劇映画志望。
私は少数しか行かないドキュメンタリーの分野に進みました。
もともと一から創造して作るよりも、何か周囲にあるものを感じて、自分というフィルターを通して伝えることに興味がありましたし、ドキュメンタリーなら自分にしかできないことが見つけられると思いました。
次は教育現場に関心
── 卒業後はどんな仕事を?
山崎 2012年に大学を卒業後、スパイク・リー監督の映画の編集を長くやっていたサム・ポラードさんの助手として仕事を始めました。
ポラードさんはドキュメンタリー映画の監督もやっていて、映像編集の仕事をしつつ自分でドキュメンタリー映画製作に取り組むという、この業界で働く方法を教えてもらいました。
米国で映像編集の仕事は給料が高く、30日間ぐらい休みなく働けば、1週間の休みの間に自費でクルーを雇って自分の作品を撮りに行けます。20代のころはそんな生活をしていました。
── 不安はなかったですか。
山崎 米国では年々、ドキュメンタリー映画の表現方法などが進化しているので、この業界に入ってポジティブなことしか感じていません。
絵本『おさるのジョージ』の作者ハンス&マーガレット・レイ夫妻の人生をたどった初のドキュメンタリー監督作品「モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険」(米国で17年公開)を撮り終えた後、9年ぶりに日本へ戻ることにし、世界にあまり伝わっていない日本の姿を伝えたいと題材を探していた時に、高校野球はどうかと思いついたのです。
── 米国と日本のドキュメンタリー映画の製作手法に違いはありますか。
山崎 何をリアルと感じるかは日本と米国ですごく違っています。
日本でドキュメンタリー映画といえば記録映像であるとか客観的な作品という発想があり、時系列で編集をしたり、ナレーションで情報を伝えることも主流です。
一方、米国ではそうした考え方はすでに終わっていて、米国では劇的に仕上げるために相当作り込んだりすることもあります。
ドキュメンタリー映画は結局、ある人間が捉えた物語であり、製作者の視点があると分かったうえで表現の仕方を工夫していけば、もっと面白くなると思っています。
── 次はどんな映画を撮りますか。
山崎 今回の映画では高校野球を題材に選びましたが、野球を知らない海外の人にはなかなか伝わりにくいところもあります。
私は日本のこれからにすごく興味があるので、次は普通の学校の教育現場を撮ってみたいですね。
次世代が何を学んで、何を感じているかを見れば、その社会やその国の未来が見えてくると思っているからです。
教育現場で成長する人と葛藤する人を近い距離で見てみたい。
夢中になれる題材がどこに待っているか分からないので、新型コロナウイルス禍がなければすぐにでも動き出したいですね。
(本誌初出 「日本の縮図」を描く=山崎エマ・ドキュメンタリー映画監督/818 20201124)
●プロフィール●
山崎エマ(やまざき・えま Ema Ryan Yamazaki)
1989年生まれ。兵庫県出身。父はイギリス人、母は日本人。米ニューヨーク大学で映像製作を学ぶ。2012年に同大卒業後、ドキュメンタリー映画監督サム・ポラード氏の助手など、フリーランスで映像編集をしながら、自身のドキュメンタリー映画製作に取り組む。17年に初のドキュメンタリー監督長編作品「モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険」を公開。2作目の「甲子園 フィールド・オブ・ドリームス」が20年8月、日本で公開。