教養・歴史ワイドインタビュー問答有用

「孤独のグルメ」松重豊はなぜコロナ下に小説を出版したのか

    「コロナ禍でこれからどうなるんだろう?という焦りはずっと抱えていましたね」 撮影=中村琢磨
    「コロナ禍でこれからどうなるんだろう?という焦りはずっと抱えていましたね」 撮影=中村琢磨

    初の著書『空洞のなかみ』を上梓(じょうし)した松重豊さん。

    『サンデー毎日』に連載したエッセー「演者戯言」と、コロナ禍の中で己と向き合った書き下ろしの連作短編小説を収めた。

    俳優の殻を破って創作に挑んだ背景には何が――。

    (聞き手=加藤純平・ライター)

    「書くことが楽しくて、いつまでも書ける、と思った」

    「コロナのせいで役者たちが表現する機会を奪われた。精神状態はギリギリなんです」

    ── 10月24日に初の小説&エッセー集『空洞のなかみ』(毎日新聞出版)が発売されます。

    松重 もともと週刊誌『サンデー毎日』(同)で連載しているエッセーをまとめて出版しようとしていました。

    しかし、エッセーだけでは1冊分埋まらないので、残りをどうしようか迷っていたところに、新型コロナウイルスの騒ぎが起きてしまって。

    撮影も止まってずっと家で過ごしていたので、小説を書いてみるかな、と。

    誰でも文章は書けるはずだし、僕自身そんなに難しいことにチャレンジしたとは思っていないんですよ。

    ── 小説はどのように書いていったのですか。

    松重 最初に「伴走」というマラソンのペースメーカーの話を書いたんですよ。

    マラソンで記録を出しやすくするために先導する役割ですが、同じような役回りが俳優にもいるなと。

    最初は物語を引っ張っていたけれど、気づけば途中で出てこなくなる人。

    そういった役者の“あるある話”や誤解、思い込みなどによって恥をかくことをつらつらと書いてくうちに、「一つの物語としてまとまるかも」と思うようになったんです。

    そうした話をいくつか集めていったら連作短編集になりました。

    いつもはせりふを覚える朝の犬の散歩中の時間にネタを考えて、午後の2~3時間で短編1本を書くというタイムテーブル。

    出来上がったらまずは妻に読んでもらい、分かりにくいと言われた部分を書き直して編集者に送る。

    そういった流れで、今年4月に書き始めてから、2週間足らずで書き上げましたね。

    ── かなり早いペースですね。

    松重 プロの小説家から見れば、邪道なやり方かもしれません。

    ただ、役者人生の中で物語は死ぬほど見てきましたし、素晴らしい脚本もあれば、せりふがなかなか入ってこない文体にも出会いました。

    そういう経験も踏まえています。

    (コロナ禍で)取材旅行はできなかったので、自分の経験の中から空想で物語を紡いでいく必要はありましたが、書くことが楽しくていつまでも書ける、と思いましたね。

    10月に刊行された初の小説&エッセー集『空洞のなかみ』
    10月に刊行された初の小説&エッセー集『空洞のなかみ』

    「大きな焦り」を抱えた

    『空洞のなかみ』は『サンデー毎日』で2018年10月~今年10月に連載したエッセー25本を「演者戯言(えんじゃのざれごと)」としてまとめ、12話で構成する書き下ろしの短編小説「愚者譫言(ぐしゃのうわごと)」を合わせて刊行した。小説の主人公は、たった3行のせりふが出て来なくなり、廃業を考え始めた役者の「私」。京都の寺で国宝の仏像と対面したことをきっかけに、芝居と現実の境目が浮遊していく様を軽妙に描き出した。

    ── コロナ禍はどのように過ごしていましたか。

    松重 (動画サイトの)ネットフリックスやユーチューブを見たりしていました。

    ただ、僕自身、俳優で食えない時期が長かったので、コロナ禍で劇場が封鎖されたり、映画館も休業したりして「これからどうなるんだろう……」という大きな焦りはずっと抱えていましたね。

    資産運用なども真剣に考えないといけないと思い、株価も注視していましたが、考えているうちにすっかりタイミングを逃してしまって(笑)。

    でも、経済の動きがどうなるかっていう分析はプロにはかなわない。

    だったら、僕が生きてきた土俵を生かして、何か1人でも作れるものはないかと考えた時に「そうだ。自分の経験してきたものを物語にすればいいんだ」とひらめいたことが本を書く出発点です。

    もし本当に資産運用していて一財産築けていたら、この本は世に出なかったかもしれません(笑)。

    ── コロナ禍とはいえ、俳優としてのキャリアの長い松重さんでも焦るんですね。

    松重 役者である前に一生活者ですからね。

    若い頃の僕なら、間違いなく失業していたでしょう。

    なかなか俳優として食えなくて、30歳過ぎまでアルバイトをしていましたから。

    石屋など日銭になるような肉体労働ばかりです。

    生活のための糧を探すのは今も同じなので、デリバリーのアルバイトができない代わり、本なら書けたというだけです。

    ── 小説の中にも建設現場が登場する話が出てきます。

    松重 27歳ごろ、俳優の仕事を一生続けるのは難しいんじゃないかと思い、ちゃんと給料をもらえる仕事に就こうと、建設現場の作業員になりました。

    俳優に復帰後も、石屋のアルバイトで駅のトイレを作ったりしていました。

    そういう時期があるので、苦しい状況に今、置かれている俳優のことを考えると本当にいたたまれない。

    これから頑張る人たちが夢をあきらめているかもしれないと思うと、演劇や映画の将来も危うくなってきます。

     松重さんは映画の製作スタッフになることを志し、福岡から上京した。明治大学では演劇学を専攻していたが、寺山修司や唐十郎などの舞台作品に魅せられ、俳優の道を選ぶ。大学卒業と同時に1986年、演出家・蜷川幸雄が主宰する「ゲキシャ・ニナガワ・スタジオ」(現ニナガワ・スタジオ)に入団。フリーとなった後、バイプレーヤーとして長く活躍し、12年にドラマ初主演を務めた「孤独のグルメ」(テレビ東京系)がヒットした。

    「空洞」は「無」ではない

    ── 長い俳優人生の中で転機となった出来事は?

    松重 20代前半の、僕が何者でもない時に、蜷川幸雄さんから「俳優として生きていくための方程式」を徹底的にたたき込んでもらったことですね。

    細かな演技指導というよりは、「役者は、自分に敷かれているレールを疑い、その上で何をしていくかセルフプロデュースしていかないとダメなんだ」「その発想はおもしろいのか?」「昨日と同じことやってないか?」と。

    あれは、とにかく強烈な体験でしたね。

    ── 蜷川さんといえば、演技指導中に灰皿が飛んでくる……というのは有名な話ですね。

    松重 ええ、とにかくいろんなものが飛んできましたね(笑)。

    『空洞のなかみ』でも触れていますが、今でも蜷川さんが夢枕に出てくるんですよ。

    コロナ禍でも「見てみろよ! お前ら劇場がなくなってどうするんだ! どうやって生きてくんだ!」「劇場が開くまで待つんじゃないだろ! 劇場がなくなったら何ができるか考えろよ!」と言われています。

    ── 今回の小説では、本のタイトルにも含まれる「空洞」が大きなキーワードです。松重さんもまた「空っぽ」なのですか?

    松重 そうですね。画家や音楽家は、自分の内側にある物を絞り出して形にしていますが、僕ら俳優はせりふがあらかじめ用意され、監督の指示によって表現していきます。

    そこでは自我や自意識は邪魔でしかない。

    だからこそ、「空っぽ」にしておくことが、俳優として生きていく上では大事だと思っていますね。

    だって、サスペンスドラマに出演する時でも「あれ? 今日は殺されるんだっけ?」「いやいや松重さん、殺す方ですよ」とコロコロと変わるのが日常ですからね(笑)。

    ただ、空洞ではあっても、「無」ではないんですよ。

    「何もない」わけじゃない。そこには、自分が今まで見てきたことや経験したことが、空洞の壁に刻み込まれていますから。

    僕らは、そういった経験値の上積みのなかでやっていかないといけないので。

    ── それは俳優にとっての掟(おきて)のようなもの?

    松重 いえいえ、僕が勝手に思っているだけです。

    でも、小説の中に出てくる仏像のように、空洞なのが一番強い構造なんですよ。

    俳優の心の置き所としては、空っぽの器に徹するのが一番楽なんじゃないかな、と思います。

    実際に、俳優としても人間としても生き方としてものすごく楽になれましたから。

    「空洞」は自分を見つめて小説を書くうえで、どうしても避けられないテーマだったんです。

    ── 簡単には理解が難しそうです……。

    松重 めんどくさいでしょ?(笑)

    こういう妄想ばかりしていると、ある意味で精神的に病むことと紙一重なんですよね。

    しかも、そんな役者たちがコロナのせいで演技する機会を奪われてしまった。

    誰も見に来ないし、カチンコも鳴らない、そんな状態でずっと待機しろと言われているような状況は独房にいるようなもので、精神状態はギリギリになるんですよ。

    その一方、売れたら売れたで、いろんな価値観を変えて生きていかなければならないという、別の葛藤もあります。

    そうやって、あらゆる局面で苦しまなきゃいけないのは、俳優の宿命なんだと思います。

    ユーチューブの「松重豊 公式チャンネル」で、Kan Sanoさんとも共演
    ユーチューブの「松重豊 公式チャンネル」で、Kan Sanoさんとも共演

    ユーチューブも配信

     一時期は音楽の道も志していた松重さん。DJを務めるラジオ「深夜の音楽食堂」(FMヨコハマ)では多彩なゲストを迎え、熱い音楽トークを繰り広げる。ミュージシャンとの親交も深く、星野源さんとは映画で共演した際に音楽の話で盛り上がり、互いのラジオに出演。また、甲本ヒロトさんとは俳優の下積み時代、東京・下北沢のラーメン店で一緒にアルバイトしていたころからの30年来の仲だ。

    ── ユーチューブにチャンネルを開設し、今年10月から向井秀徳さんのギターやKan Sanoさんのキーボードに載せて、松重さんが「愚者譫言」を朗読する動画のアップを始めました。

    松重 一人の俳優として作品に参加する時は、「こんな曲をかけてほしい」と思っても、思い通りになるわけではありません。

    あくまで僕の趣味でしかなかった音楽が、自分で書いた小説の企画の中なら思う通りに表現できる。

    それなら、本当に音楽と向き合ってみたいと思ったんですよね。

    動画は経堂(東京都世田谷区)にある知り合いのバーで収録しています。

    ちょっと距離の離れたバーの中で、物語の朗読を、横で演奏者が紡いでくれる。

    こんな動画を、日本だけじゃなくて世界に発信できるのは、この時期だからこそできた表現なのかなと感じます。

    コロナでこんな目に遭っていますが、コロナに復讐(ふくしゅう)できるのかなって思いました。

    ── さまざまな経験を積み重ねたからこそ、表現の幅も広がっているのでは?

    松重 そうですね。こんなおっさんがね、もがきながら何かをやっている、っていうのは(動画を見ている人の)刺激にならないはずがないと思うんですよね。

    結局、お客さんを喜ばせたいとしか考えていないんですよ。

    何かくだらないことを考えて、何で遊べるのかな、って考えるのが僕らの根源。

    体の動く限りは、お客さんに喜んでもらえることをずっと考えているんだろうな。

    むしろ、それをやり続けることでしか、自分が存在する理由はないんじゃないかと思っています。

    ── 初の著書で読者にどんなことを感じてほしいですか。

    松重 劇場や映画館に来られなくなったお客さんが『空洞のなかみ』を読んで、「役者ってこんなバカなこと考えてるんだ」という風に思ってもらえればうれしいですし、ユーチューブの動画を「へ~、本人が朗読しているんだ、バカだねぇ」「音楽家と一緒にやってるんだ、バカだねぇ」と思いながら見てもらえれば。僕らは遊んだ対価として、おひねりをもらうのが仕事。

    多くの人が動画を見てくれれば、経済が少しでも動くかもしれない。

    遊び方を考えるのは今、僕らに課せられた最大のテーマじゃないでしょうか。

    (本誌初出 初の小説&エッセー集=松重豊・俳優/815 20201103)


     ●プロフィール●

    松重豊(まつしげ・ゆたか)

     1963年福岡県生まれ。明治大学文学部在学中から芝居を始め、86年にゲキシャ・ニナガワ・スタジオ(現ニナガワ・スタジオ)に入団。2007年に映画「しゃべれども しゃべれども」で第62回毎日映画コンクール助演男優賞。12年「孤独のグルメ」でドラマ初主演。20年のミニドラマ「きょうの猫村さん」で猫村ねこ役が話題に。20年10月に初の小説&エッセー集『空洞のなかみ』を刊行。「深夜の音楽食堂」(FMヨコハマ)ではパーソナリティーも。

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