週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

「長い人は4~5年も収容」「何の罪もない子供がなぜ強制退去に」元入管職員はなぜ入管問題を訴える団体を立ち上げたのか

「学べば学ぶほど、僕と入管の距離がどんどん離れていくように感じました」 撮影=蘆田 剛
「学べば学ぶほど、僕と入管の距離がどんどん離れていくように感じました」 撮影=蘆田 剛

 外国人に対する出入国管理の人権侵害が社会問題化している。「入管のはみだし者」を自称してきた木下さんは50代半ばで入管職員の職を捨て、今度は外部から入管のご都合主義、裁量行政の改革に立ち向かう。

(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)

「内側で見てきた入管行政のひずみを伝えたい」

「その場主義の裁量行政のために在留外国人の人生が狂ってしまう。そんなことが許されるはずはない」

── 外国人に対する出入国在留管理庁(入管庁、旧入国管理局)の人権侵害は以前から指摘されていますが、なかなか改善されず、問題は深刻化しているようです。

木下 潜在的には不法就労者、日系ブラジル人、技能実習生など、その時々で「外国人問題」は確かにクローズアップされましたが、入管行政自体に改めてスポットが当てられたのはごく最近。昨年3月に退職するまで私は入管の内部にいて、入管行政が国益を大きく損ない続けているのではないかという、漠とした意識を持ち続けてはいました。

── 入管の施設に収容される外国人たちは、劣悪な処遇に絶望のあまり自殺したり、ハンガーストライキを行ったり、シャンプーを一気飲みする人もいるそうですね。

木下 そうです。精神的に追い詰められちゃって、糞尿(ふんにょう)を壁に塗りたくったりして、すごいですよ。でも、それは今の出入国管理法を中心とするシステム、入管体制のあり方に根本的な問題があるからだと思っています。一例を挙げると、日本は「全件収容主義」といって、極端にいえば子どもだろうが誰だろうが、1~2週間ぐらいビザが切れちゃった人でも、基本的には非正規在留者全員を収容するのが建前です。

茨城県牛久市の「東日本入国管理センター」。多くの外国人が収容されている
茨城県牛久市の「東日本入国管理センター」。多くの外国人が収容されている

仮放免の「ご都合」

── ただ、全員を収容すると非常にコストもかかりますね。

木下 そうなんです。非正規在留者は在留特別許可(法務大臣の裁量で在留を特別に認めること) をもらえなければ、本国に強制送還されるまで収容されますが、入管の収容施設も人員も限られています。しかも、収容者への3食は国の税金で賄わなければなりません。法律の建前としては全件収容主義でも、現実にはそんなことできるわけがないんです。さらに、全件収容は人権にも大きな影響を及ぼします。

── 収容期間が3年以上の長期にわたることも珍しくないようですね。

木下 そう。だから「仮放免」(収容した外国人にやむを得ない事情がある場合、例外的に身柄の拘束を解くこと)という形で解放するんですが、では誰を仮放免するのかということは入管の裁量で決めているわけです。入管のさじ加減一つで外国人の人生が左右されていくわけですよ。出入国の可否を国家として峻別(しゅんべつ)するのは当然ですが、日本の入管は裁量の幅が非常に大きいのが特徴です。

 在留特別許可でも、同じようなケースである人は認められ、ある人は認められない。その理由もしっかり説明されることはありません。行政は行政手続法で不利益処分の理由を伝えなければならないことになっていますが、外国人にかかる部分に関しては適用除外のような形になっています。入管の裁量をコントロールするすべが整備されないまま、今に至るまで入管行政が行われているのが現状です。

 厚生労働省によると、2019年10月時点の外国人労働者は約166万人と、この10年間で3倍に増えた。同時に非正規在留者も増え続け、入管は7・5万人と推定している。新型コロナ禍前まで訪日外国人が増えていたこともあり、昨年4月には法務省の一組織だった入国管理局は外局の出入国在留管理庁へと格上げ。職員数も5000人超へと増員された。しかし、木下さんは「組織改編だけでは問題は解決されない」と考えている。

── 収容される外国人にしてみると、恐ろしいですね……。

木下 仮放免については比較的柔軟に運用されていたのですが、最近はどんどん厳しくなって、長い人だと4年も5年も収容される人がいる。これは外国人にしてみたら、「何で?」と思うわけです。そうかと思えば、今は新型コロナウイルス対策として収容施設が「密」になるのを避けるため 、また仮放免を増やしています。とにかく一貫性がない。

振り出しは「公安」

── 仮放免で身体的な拘束は解かれても、行動の制約が非常に多いと聞きます。

木下 仮放免の状況では、就労もできないし、移動の自由もない。健康保険にも入れない。それでどうやって生きていくのか。憲法が定める生存権を奪われているようなものです。だから、昔の入管はある種の「お目こぼし」をしていました。「働いちゃダメだけど、働かなきゃ食べられないよね」「その辺、うまくやってね」というわけです。今はそれができず、厳しくやっているので、外国人たちにはしんどいですよ。

── 入管の職員たちはおかしいと思わないんですか。

木下 僕はそれをすごく感じていて、入管行政のひずみというか、限界を強く感じていましたし、多くの職員も疑問に思っていました。しかし、大きな組織の中で裁量の広い権限を行使し続けてきたという現実があって、「何かおかしい」と思いながらも、「入管行政ってこんなもんなんだろう」と多くの職員は思い、私もそう考えようとしました。

── 公務員としてのスタートは法務省の外局の公安調査庁でした。

木下 過激派の調査をしたり、オウム真理教事件などもやりましたよ。積極的に公安調査庁を選んだわけではないけれど、私が20歳前後のころは共産主義と自由主義のイデオロギー対立があって、共産主義は自由主義の敵というイメージが刷り込まれていて、その延長線上で公安調査庁に入りました。その後、たまたま人事交流で01年に入管に移っただけで、入管行政にはまったく興味はありませんでした。

── 入管に移った当初の仕事の印象は?

木下 実際に入管に来てみると、公安調査庁に比べて裁量の権限も大きく、やりがいを感じて張り切っていました。初めは外国人は厳しく管理してしかるべきで、悪い外国人はどんどん取り締まって本国へ還していくべきだと思っていましたね。ところが、あることをきっかけに違和感を覚えるようになりました。

「子どもも送還」に疑問

── どんなことですか。

木下 今でもはっきり覚えていますが、06年に東京入国管理局横浜支局(横浜市) の審判部門に移り、初めて非正規在留者の審査を担当した時のことです。それまでは正規在留者の審査とか空港での入国審査をしていて、非正規在留者、いわゆるオーバーステイの人に直接関わることはありませんでした。横浜支局の審判部門で初めてオーバーステイの人たちと話をするようになって、その子どもの問題に疑問と衝撃を受けたんです。

 日本で男女が共に生活をすれば、当然、子どもも生まれる。ところが、親がオーバーステイなので、やっぱり子どももノービザになっちゃう。一家でノービザ、非正規在留者になるわけです。その子どもには何の罪もないはずなんですが、一家全員で強制送還されちゃう時があるんですよ。日本で長く暮らして日本語しかできない子どももいるのに、ビザがないからといって海外へ追放するのはどうかと思いますよ。

── 入管時代に大学院で法律を学び、昨年3月の修了と同時に退職しました。

木下 もしかしたら僕の疑問は間違っているのかもしれない。基本的に裁量は行政に幅広く持たせるべきであり、それが正しい行政のあり方なのかもしれない。そこで、行政の裁量のあり方をいろいろ突き詰めて考えたいと思い、法律の勉強を始めることにしました。大学院で学び始めた時は、辞めようとは思っていなかったんです。しかし、学べば学ぶほど、「入管、ちょっと違うんじゃないの」ということを実感し、僕と入管の距離がどんどん離れていくように感じました。

 木下さんは入管問題を社会に発信するため、退職と同時に「入管問題救援センター」を立ち上げた。代表は木下さんで、構成員は彼1人だけ。もちろん、安定収入もない。だが、「法律を含めたシステムすべてを根本から変えるしかないと思っています」と意気軒高だ。今年9月には「未来入管フォーラム」に名前を変え、 講演会やセミナー講師のほか、弁護士、行政書士らと組んで個別相談に応じるなど活動に励んでいる。

── 50代半ばでの転身は大変な決断です。

木下 もちろん迷いましたよ。54歳で入管を辞めましたが、定年まで自分をごまかしつつ、その後は嘱託みたいな再雇用、再任用で入管に残り続ける生き方もありました。でも、それは自分の気持ちとは違う。やっぱり、僕には我慢し続けることができなかった。妻にはすごく感謝しています。非常に厳しい生活が待っているのに、何ら反対もせず、一つの文句も言わずに受け入れてくれましたから。

── 出入国管理政策懇談会(法相の私的懇談会)は今年6月、外国人の入管施設への長期収容問題で対応策を提言しました。

木下 送還を忌避する人に対して「送還忌避罪」を導入するという意見が盛り込まれています。それに加え、難民認定申請中は送還されないという「送還停止効」に例外を設け、一定の要件を満たせば送還できるように法改正しようという内容もあり、送還忌避罪の導入や送還停止効に例外を設けるのは極めて慎重であるべきだと考えています。ただ、提言にはその半面、傾聴に値する項目もあります。

── 例えばどのような?

木下 強制退去に該当する外国人であっても、家族関係などさまざまな事情を考慮して在留特別許可をもっと活用するべきという内容や、仮放免とは別に収容施設外で生活できる新たな措置の導入を検討することなどです。 これは、入管が変わるいいチャンスかなと思っていて、提言のいい部分をしっかり受け止めていい方向へ改革が進むようにしたいですね。

入管瀬施策の”ご都合主義”や矛盾を訴えていく 撮影=蘆田 剛
入管瀬施策の”ご都合主義”や矛盾を訴えていく 撮影=蘆田 剛

システムを変える

── 今年9月に「未来入管フォーラム」に名称替えしました。

木下 辞めてからの1年間は、とりあえず好きなことをやって、入管の問題を発信していこうと思っていたんです。この1年間で、自分ができること、できないことをいろいろ学びました。「入管問題救援センター」という名前にした理由はすごく単純で、入管にはいろんな問題がある、そこで困っている人たちを救わなければならないと思ったからです。

 ただ、僕は当初、直接的な支援をしたいと思っていたんですが、弁護士などいろんな人との交流を重ねるうちに、訴訟などの直接支援はそうしたプロに任せ、入管OBの僕には別のやり方、例えば入管を取り巻くシステムの刷新といった支援の方法があるのではないかと思うようになりました。そこで、未来を見つめるという意味を込めて名前を変えることにしたのです。

── 今後の活動は?

木下 勉強会やセミナーを開いて、弁護士やNPOの活動家らと連携しながら、入管システムをより良いものにするための情報発信活動をしていきたいですね。僕のように入管を内側から見てきた人はあまりいないので、やっぱり内側から見てきた風景を語らなければいけない。自分の経験に基づいた情報発信を続けていくことが自分に課せられた使命であり、役割だと思っています。(問答有用)

(本誌初出 外国人の人権を守る=木下洋一 「未来入管フォーラム」代表、元入管職員/812 20201013)


 ●プロフィール●

木下洋一(きのした・よういち)

 神奈川県出身。大学卒業後の1989年4月、公安調査庁に入庁。2001年、法務省の入国管理局(現・出入国在留管理庁)へ異動。19年3月までの18年間、入国審査官として在留審査などに従事。17年4月、神奈川大学大学院法学研究科に社会人入学し、法学修士を取得。19年3月に早期退職し、個人で「入管問題救援センター」を発足。20年9月に「未来入管フォーラム」に名称変更。

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