「コロナで入場料収入が激減しても、つぶれるクラブは絶対に出さない」 旅行会社経営からBリーグチェアマンになった異能の経営者が語る 逆境に負けない仕事術
コロナ禍の中で男子プロバスケットボールBリーグの新チェアマンに就任した島田慎二さん。千葉ジェッツをリーグ随一の人気クラブに押し上げた手腕で、この逆境も「新たな魅力を作り出す絶好のチャンス」として乗り越えようとしている。
(聞き手=元川悦子・ライター)
「コロナ禍の中でも、一つのクラブもつぶさない」
「千葉ジェッツの時もそうだったけれど、難局の方がモチベーションが上がる」
── 国内男子プロバスケットボールBリーグの「千葉ジェッツ」(千葉県船橋市)会長から今年7月、Bリーグ3代目の新チェアマンに就任しました。
島田 チェアマンの選考で、情報発信力や求心力、クラブの意見に耳を傾けて実行する能力、スポンサー獲得能力といった要素を満たすのが私だというお話を4月にいただきました。新型コロナウイルス禍の中でしたが、「巡り合わせだから引き受けるしかない」と直感的に思い、決断した瞬間からポジティブに捉えていました。ここで固辞すれば(リーグ運営が)迷走してしまうという危機感も抱いていましたね。
── 10月から2020―21シーズンのBリーグが開幕しますが、コロナ対策などやるべきことが山積しています。
島田 選手の行動をアプリを使って管理したり、検温の徹底や2週間に1度のリーグ公式のPCR検査を実施したりするなど、Jリーグの仕組みと似た形になると思います。現状ではリーグ公式のPCR検査は2週間に1回くらいがコストと現実の折り合うところ。Jリーグの村井満チェアマンらにも話を聞きながら、考えていくことになるでしょう。
── 試合会場となるアリーナへの観客動員も難しい点です。
島田 現状では5000人上限のアリーナだったら、半分の2500人までは入場が可能です。でも、客席の間隔を空けるのはそれほど単純な話じゃない。アリーナで左右3席を空ければ1000人も入らなくなってしまう。ファン心理も考えながら妥協点を見つけないといけないでしょうね。
“3本の矢”で支援
── 入場料収入の大幅減は避けられません。
島田 私がいたジェッツのように、満員のお客さんで埋まっていたようなクラブは特に打撃が大きくなります。これらすべてを勘案したうえで、私は「一つのクラブもつぶさない」と言っています。そのために、チェアマンとして(1)全36クラブへの合計7億6000万円の特別支援金、(2)ユニフォームスポンサー枠の緩和、(3)リモート観戦の視聴環境整備と課金の仕組み作り──を“3本の矢”として打ち出しました。
── 特別支援金とは?
島田 今回のコロナ禍で国から支給された1人10万円の特別定額給付金と同じで、クラブに返済義務がないお金を用意し、B1(Bリーグ1部)のクラブには3000万円、B2には1000万円を配分します。銀行から低利子貸し付けなどを受ければ、返済義務がクラブの経営負担になってしまうため、こうした危機時には「返さなくていいものを用意すべき」というのが私の持論。そのために資金創出に奔走しました。
── クラブには通常のBリーグからの配分金も変わらず支払われる?
島田 はい。そのため、合計約20億円をクラブに回すことになります。Jリーグやプロ野球のように安泰なリーグではないので、このお金は本当に大きいと思います。また、ユニフォームスポンサー枠の緩和については、今季限定でユニフォームのパンツ右上部への広告を認めるなどの案を考えています。クラブが少しでも稼げるような環境を整えることが我々の役割ですから。
── 三つ目のリモート観戦の視聴環境整備も一つの目玉ですね。
島田 Bリーグの観客年齢は野球やサッカーに比べれば非常に若く、ダンクシュートの得点シーンなど観客が歓喜する場面が多いのが特徴です。映像・通信技術などとの親和性が高いと考えていて、今年7月末にはBリーグとトップパートナー契約を結ぶソフトバンクの5G(第5世代移動通信システム)を使った新たな観戦スタイルを提供することを発表しました。「投げ銭」のようにファンから直接、資金提供してもらえる仕組みもどんどん取り入れる方向です。
── 新たなビジネスにもつながりますね。
島田 そうなんです。私は“ビヨンドコロナ”という言葉をよく使いますが、コロナ禍を乗り越えた後、これまでのリアル観戦に戻るだけでなく、リモートでの新たな視聴体験も定着していれば、観客は好きな方を選択できます。リアル観戦だとアウェーの試合に行ってもお金はアウェークラブにしか落ちませんが、リモート観戦ならホームクラブに収益還元することも可能になります。
新潟県で生まれた島田氏は魚屋の次男。仕出し配達で利益を出す家業を見ながら「ひと工夫して売る努力をすればもうかること」を自然と学んだ。日本大学の学生時代には悠々自適な人生を送るタレントの大橋巨泉さんに憧れ、俳優を目指して一時、「欽ちゃん劇団」に入ったこともある。しかし、「やっぱり金を稼ぐために経営者になりたい。そのために社会人になる」と決意。1992年3月に日大卒業後、格安航空券などを扱う旅行会社「マップインターナショナル」に入った。
心を入れ替えた経営者
── マップインターナショナルでの仕事は?
島田 最初は経理で性に合わない仕事だと思いましたが、「数字に強くないと巨泉さんにはなれない」と言い聞かせて取り組みました。2年目には営業になり、当時あった旅行雑誌『AB―ROAD』を見た顧客の電話対応を担当したんです。それを数多くこなすうちに、相手がどんな目的で電話してきたのか、何に喜ぶのかを先読みできるようになり、数百人の社員の中で営業成績は2年連続トップ。社長賞も受賞しました。相手のニーズを察知する力は、後の千葉ジェッツでも生きています。
── 95年には新たな旅行会社の共同経営者になります。
島田 はい。会社の先輩たちに誘われて参画したんですが、もともと「人の下では働けない」と言っていた人間なんです(笑)。そして01年、法人向けの海外出張専門の旅行会社「ハルインターナショナル」を創業して独立しました。1年目から黒字を計上するなど順調でしたが、勝手気ままにやっていたら、創業時からの女性社員にいきなり辞められてしまった。その4~5年後にも、いい気になって夜遊びなどをしているのを見た社員から、反発を受けることになりました(苦笑)。
── それで、どうしたんですか。
島田 気付いたのは「自分の会社には理念がないんだ」ということ。初めて経済書を読みあさり、出会ったのが京セラ創業者の稲盛和夫さんの『敬天愛人』という本。「経営者は従業員の幸福を追求するもの」という言葉を見て、頭をトンカチで殴られたような気がしました。傲慢な考え方を捨て、社員の幸せのために働こうと心を入れ替えるきっかけになりました。
── 08年にはリーマン・ショックが襲います。
島田 当時の会社も大きな打撃を受けました。経済環境の急速な悪化に加え、インターネットが一気に普及し、旅行業自体も大きな転換を迫られていました。そこで「全社員の幸せを守れる今のうちに打開策を講じなければいけない」と思い、10年1月に東証1部上場企業に会社を売却することにしました。東証1部上場企業に売れば社員の待遇も良くなり、自分自身も巨泉さんのような人生を送る資金を得られる。そう考えたら迷いはありませんでしたね。
── しかし、千葉ジェッツの経営再建請負人の話を受けることになりました。
島田 1年ほど日本と海外を行き来する巨泉さんのような生活を送っていましたが、私の結婚の仲人を務めてくれた人からジェッツが経営危機に陥っているという話を聞き、恩返しのつもりで手伝い始めたんです。でも社内は殺伐とした雰囲気で、立て直しの厳しさを痛感しました。40ページに及ぶリストラ計画書を提出した後、離れるつもりでしたが、「社長をやってくれ」と打診された時は驚きました。でも、バスケ愛にあふれるスタッフを見ていたら「自分がやらなきゃ」という気持ちが強まり、12年2月に社長に就任しました。
── スタッフ全員との1対1のミーティング、会議は30分以内、残業ゼロ、整理整頓など次々と新たな改革を断行したそうですね。
島田 「ジェッツを取り巻く全ての人たちとともにハッピーになる」という活動理念を体現するために、何でもやろうと思ったんです。関わり始めたころは「金ない・人いない・休みない」の“3ない”状態。本拠地の「船橋アリーナ」は閑古鳥が鳴き、預金残高も数百万円とじり貧でしたが、私自身も率先して営業に行き、社員にも明確なビジネス感覚を持たせようと仕向けました。当時は男子リーグが分立状態で、12年6月にbjリーグを脱退して日本バスケットボールリーグ(NBL)へ移ることを発表した時は、「裏切者」とも批判されましたが、収益増加のためにも強豪ひしめくNBLで「下克上」の夢を作った方がいいという確固たる信念がありました。
第2、第3の八村選手を
10年に設立された千葉ジェッツ。島田さんが社長に就任後は、居酒屋など地域の小口スポンサーもトップセールスして回り、経営が安定するにつれてチーム成績も上昇軌道に乗る。15年には米プロバスケットボールNBAに挑戦した富樫勇樹選手と契約し、16年にリーグ統一によってBリーグが発足後、18―19年シーズンのプレーオフ、チャンピオンシップで2年連続の準優勝、19年の天皇杯では3連覇を達成した。
チーム成績だけでなく地域を巻き込んで入場者数も大きく伸び、19―20シーズンには30試合平均で5204人と4年連続リーグ1位に。19年6月期の売上高も17億円を突破するなど、リーグ随一の人気クラブに成長し、島田さんは「充実した時を過ごせた」と振り返る。千葉ジェッツは昨年4月、1万人収容の新アリーナ建設を目指し、ゲーム、SNS(会員制交流サイト)などを手掛けるミクシィの子会社に。島田さんはクラブの次のステージを見据え、昨年8月に社長を後進に譲って会長となっていた。
── プロスポーツの経営者の醍醐味は?
島田 お客さんが増えたり、ありがとうと言われたり、優勝して選手と抱き合ったり、といったリアルな感動がありましたね。旅行会社だけでなく、ジェッツの時もそうでしたが、私は難局の方がモチベーションがすごく上がる。今のチェアマン職も、コロナが落ち着いていた時に「やりますか」と言われたら、引き受けていないかもしれない。ジェッツの社長を退いて会長になり、親会社のミクシィが昨年10月から全面的に運営する体制に移行していた時だったから決断できました。物事はすべてタイミング。私、持ってるんです(笑)。
── 米NBAの八村塁選手(ワシントン・ウィザーズ)の活躍が注目を集めていますね。
島田 彼のような逸材はプロ野球選手にもプロサッカー選手にもなれたと思います。逆に、元プロ野球選手のイチローさんならバスケ日本代表のポイントガード、大谷翔平選手(米大リーグ・ロサンゼルス・エンゼルス)ならセンタープレーヤーになれたでしょう。そういう素材がこぞって来たくなるようなバスケ界にすることが、第2、第3の八村選手を生み出すポイントだと考えます。
── そのためにはどんな試みが必要ですか?
島田 ユース育成システムの強化ですね。例えば、映像や通信などさまざまな技術を使って富樫選手にポイントガード向け特別講座をリモート指導してもらうとか、考えられることはたくさんあると思います。課金制にできればBリーグにお金が入るし、スポンサーも付けられるかもしれない。そうやって育成とビジネスをリンクさせていくことも私に託された仕事の一つ。私自身も時代に適応して、しっかりとBリーグをけん引していけるように頑張ります。(問答有用)
(本誌初出 プロバスケ界を変える=島田慎二・Bリーグ新チェアマン/808 20200915)
●プロフィール●
しまだ・しんじ
1970年、新潟県朝日村(現村上市)生まれ。日本大学卒業後、92年に旅行会社マップインターナショナルに入社。2001年に旅行会社ハルインターナショナルを創業。10年に会社を売却し、コンサルティング会社「リカオン」を設立。同年10月から当時bjリーグの「千葉ジェッツふなばし」の経営に携わり、12年に社長就任。19年8月に会長となり、20年7月にBリーグ3代目チェアマンに就任。家族は妻と娘2人。趣味はウオーキング。