週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

「努力は忘れたころに報われる」空のF1で世界一に輝いた男、室屋義秀はどのようにしてエアレースの世界に入ったのか

「同世代に比べてちょっと濃い目に生きてきたと思う」 撮影=武市公孝
「同世代に比べてちょっと濃い目に生きてきたと思う」 撮影=武市公孝

 時速370キロの小型航空機を自在に操る曲技飛行。その最高峰レースに唯一のアジア人として参戦し、世界一も成し遂げた。日本で先達のいない道を切り開いてきた第一人者は、今なお技術の向上に余念がない。

(聞き手=浜田健太郎・編集部)

「人生の分岐点で志した道を走り続けた」

「自分で道を切り開くには、飛行機を買うしかない。借金をして3000万円で購入した」

── 室屋さんがアジア人初の年間総合優勝(2017年シーズン)に輝いた「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」は、スポンサー撤退により19年9月開催の千葉大会以降中止となっています。新型コロナウイルスの感染拡大も収束していませんが、現在の活動の中心は?

室屋 操縦技術世界一を目指し、技術の向上を追求していることに変わりありません。トレーニングは継続していて、大会が再開すればいつでも出場できる状態です。

── 世界各地を転戦するエアレースは「空のF1」とも称される世界有数のモータースポーツです。16年に千葉で開催された大会でアジア人として初優勝し、17年の年間総合優勝をつかみました。

室屋 操縦技術で世界一を志したものの、ここまでは困難な道のりでした。途中、何度もやめてしまおうという葛藤を抱えながら、選択を迫られる分岐点で志した道を走り続けて、世界一という成果につながりました。

 レッドブル・エアレースは03年に始まった曲技飛行の世界最高峰レース。化学繊維を空気で膨らませた、高さ25メートルの円すい形の柱(パイロン)を十数カ所に設置して、全長約6キロのコースを構成する。小型のプロペラ機が地上約20メートルの高さで飛行しながらパイロンをくぐり抜け、コースを約2周してタイムを競い合う。

米国修業時代の恩師だったランディ・ガニエさんとのツーショット。「おまえは将来、世界一になれる」と励まされた。97年、米カリフォルニア州で。同年、ガニエさんは練習中に墜落死する パスファインダー社提供
米国修業時代の恩師だったランディ・ガニエさんとのツーショット。「おまえは将来、世界一になれる」と励まされた。97年、米カリフォルニア州で。同年、ガニエさんは練習中に墜落死する パスファインダー社提供

時速370キロを自在に

── 小型飛行機のスピードは時速370キロ。これを自在に操るとは、例えるならどんな感じなのですか。

室屋 自動車の運転に例えるなら、「首都高速中央環状線(全長47キロ)を時速250キロ超で走り続けて1周10分を切らなければ、あなたの全財産を取り上げる」と、毎日言われ続けているような状態です。鼻歌を歌いながら時速250キロで首都高を走行できるような技量が必要で、100%安全というわけにはいきませんが、自分で超えてはいけないラインはどこにあるのかは自覚しています。

── エアレースの再開の見通しは?

室屋 モータースポーツとしては自動車のF1やオートバイのモトGPに次ぐくらいの知名度を持つ競技に成長し、世界中で年間8億人も視聴者がいました。コロナ禍の発生以前には再開の動きはあったのですが、(感染拡大が収束しない)この状況だと再開にプラスとはならないでしょう。FAI(国際航空連盟)の承認が必要なレースであり、再開の検討状況については分かりません。今は待つしかありませんね。

 テレビアニメ「機動戦士ガンダム」に影響を受け、幼少時からパイロットに憧れていた室屋さん。中央大学の航空部に入ってグライダーに乗り、渡米して飛行機の免許の中でも基本となる「陸上単発」(単発エンジンの陸上飛行機)の免許も取得。しかし、就職活動の時期はバブル崩壊の影響で大手航空会社がパイロット候補生の募集を停止していた。空への憧れは抱きながら将来を考えあぐねていた時、あるイベントを見て衝撃を受ける。

── 1995年に兵庫県の但馬空港で開かれていたエアロバティックス(曲技飛行)の国際大会「ブライトリング・ワールドカップ」を見たことが、その後の人生に大きな影響を与えたそうですね。

室屋 ユルギス・カイリスとパトリック・パリスという2人の天才パイロットが対決し、人間業とは思えない精度で機体を自在にコントロールするのを見て、とてつもない衝撃を受けました。自分がある程度、空を飛ぶことに自信を持ち始めていた時期でもあったので、なおさら大きな衝撃でしたね。それ以来、「操縦技術世界一」は今でも抱き続けている目標です。

── その後、再び米国へ渡ってエアロバティックスのトレーニングを受けます。

室屋 アルバイトで資金をため、ランディ・ガニエという人に師事しました。過去にエアロバティックスの全米チャンピオンを何人も育てたトレーナーで、97年7月に米国で開かれたエアロバティックスの世界選手権に出場できたのも彼のおかげです。しかし、帰国後の10月、彼は飛行機事故で亡くなってしまい、しばらくは空を飛ぶ気がうせてしまいました。

「マネーの虎」を頼る

── その後はどんな生活を?

室屋 しばらくは荒れた生活をしていましたが、自分が進むべき道は飛行機しかない、と思い直しました。ただ、日本には競技飛行のパイロットとして身を立てる環境はなく、それであれば飛行機を買って、自ら道を切り開くほかに選択肢はないと考えたんです。そこで02年、29歳の時に「スホーイ」というロシア製の競技用中古機を3000万円で購入しました。

── 資金調達はどのように?

室屋 銀行からの融資のほか、自家用機のオーナーなどからの借金です。ただ、念願の飛行機は手に入れたものの、それだけでは仕事になりません。スポンサーを必死に探す中で出会ったのが、当時リサイクルショップチェーン「生活創庫」(浜松市)を経営していた堀之内九一郎さんでした。

── テレビ番組「マネーの虎」に出演し、事業を起こしたい人のプレゼンテーションを聞いて、出資するかどうかを判断していた人ですね。

室屋 堀之内さんも出ていた「マネーの虎」をたまたま見ていて、「エアロバティックスのパイロットになりたい」と提案した女子大学生が600万円を手にしていました。パイロットの免許も持っていない女子大学生より、自分の方がよっぽど具体性があると思い、翌日には堀之内さんに直接電話していました。堀之内さんにはポケットマネーで直接、お金を出してもらえることになり、感謝の気持ちでいっぱいでしたね。

── その後はどうやって生計を?

室屋 エアショー(人々を楽しませる航空イベント)での曲技飛行の依頼も少しずつ増え、05年には「スカイタイピング(飛行機の煙で空に文字を書くこと)」による広告キャンペーンの仕事も受注しました。スカイタイピングでは米国からパイロットのチームを呼んで飛行機を飛ばす段取りをしたりして、当時のビジネスとしては一番の成功事例。借入金完済のメドも立ったのですが、同時にいろんな葛藤も生まれていました。

── どんな葛藤だったのですか。

室屋 「操縦技術世界一」を目指して飛行機も買ったのに、エアロバティックスの大会に出場するにはとてもお金がかかります。エアショーをやれば収入も少しは得られるようになり、とりあえず食べていける見込みがつき始めていたので、世界一は諦めるような心境になっていました。そんな私に、ビジネスパートナーの芦田博さんが「逃げているのではないか」と問いかけてきたのです。

── 迷っていた心の底をのぞかれたような感じだったのですか。

室屋 人間はそこまで強くありません。やらない理由はいくらでも並べられます。でも、結局はやるかやらないかだけ。芦田さんは私がスホーイを買うことを相談した時も、前向きに話を聞いてくれた唯一の人でした。そんな芦田さんに見透かされて、「世界一への思いは本当だったのか」と問われると、そこから逃げようとする自分を認めたくない、もう1人の自分がいることに気づきました。

 室屋さんに転機が訪れたのは07年。エアレースのスポンサーであるレッドブル社の日本法人とスポンサー契約を結ぶ。08年に欧州で10カ月間のトレーニングを受けた後、09年にエアレースにデビューしたが、このシーズンの成績は15人中14位。翌10年シーズンもさまざまなトラブルに見舞われる。

メンタルも鍛える

── 10年シーズンは第4戦(カナダ・ウィンザー)前のテスト飛行でキャノピー(コックピット上部を覆う透明な窓)が吹き飛び、次の第5戦(ニューヨーク)に向かう飛行で、着陸時にプロペラが滑走路をこすったことで、2戦連続の欠場になりました。

室屋 2週間連続でトラブルが起きて、安全な状態ではなかったですね。体力的にも精神的にも相当に追い込まれていました。

── 10年の途中からエアレース自体が安全対策を理由に中止になり、14年に再開するまでにかなり間が空きました。

室屋 技術的に足りないところは、09年と10年の経験から分かっていたので、もう一度、操縦技術を磨こうと、11年にイタリアで開催されたエアロバティックスの世界選手権に出場しました。ただ、その年の東日本大震災と原発事故で生活の拠点を置いていた福島県が被災し、周囲の期待を背負いながら参戦したものの、予選落ちに終わってしまいました。

── エアレースとエアロバティックスとでは、求められる能力が違うのですか。

室屋 基本技術は一緒です。エアレースの場合、タイムが速ければ勝ちになりますが、エアロバティックスは、審判が採点して点数を競う競技です。その大会では大きなルール変更があり、その理解を誤ったことが、予選落ちの原因でした。落ち込んでいた時に巡り合ったのが、メンタルトレーニングを専門とする福島大学の白石豊教授(現名誉教授)の本でした。

── 同じ福島の縁ですね。

室屋 面識はなく思い切って白石さんを訪ねてみると、トレーニングを受けられることになりました。白石さんは五輪選手を何人も指導していて、スポーツ選手に必要な要素を熟知しています。競技前は猛烈に緊張しますが、なぜ緊張するのか、どうしたら集中力が持続するのかなど、全体的な考え方を含めて教えてもらいました。

急上昇する室屋さん操縦の機体。2018年レッドブル・エアレースUAE(アラブ首長国連邦)アブダビ大会で パスファインダー社提供
急上昇する室屋さん操縦の機体。2018年レッドブル・エアレースUAE(アラブ首長国連邦)アブダビ大会で パスファインダー社提供

次世代教育にも力

── 室屋さんの著書『翼のある人生』(ミライカナイ、16年)で最も印象深いのは、エアレースが再開された14年のクロアチア大会で初めて入賞(3位)したときの心境を、「努力は忘れたころに報われる」と表現した箇所です。

室屋 インターネット時代には何事もすぐに答えが分かってしまいますが、飛行機の操縦技術は努力を積み上げないと伸びません。また、技術は上達すればするほど、その度合いは見えにくくなります。スポーツでは運が転がってくる瞬間があったりなかったりしますが、実力があれば必ず巡ってくると考えられるようになりました。

── これからの目標は?

室屋 夢は二本立てです。一つは、自分自身で「操縦技術世界一」を狙い続けることです。19年シーズンは総合順位で2位につけていたし、千葉大会では優勝しました。ライフワークの競技を続けたいし、引退する気もありません。

── もう一つの夢とは?

室屋 次世代教育です。今年7月から「ふくしまスカイパーク」(福島市)などを拠点に、「ユースパイロットプログラム」という高校生を対象にしたパイロットの訓練を始めました。すでに第1期生として3人の高校生が参加し、教官が同乗して実際の操作を経験してもらっています。これまで多くの人たちにお世話になったお返しとして、世界で経験してきたことを若者に伝えていく使命が私にはあると思っています。(問答有用)

(本誌初出 「空のF1」世界一=室屋義秀・曲技飛行パイロット/811 20201006)


 ●プロフィール●

室屋義秀(むろや・よしひで)

 1973年奈良県生まれ、96年中央大学文学部卒業。大学で航空部に所属し、在学中に観戦した「エアロバティックス(曲技飛行)」の世界選手権「ブライトリング・ワールドカップ」の観戦をきっかけに「操縦技術世界一」を目指す。米国や欧州での訓練を経て2009年に「レッドブル・エアレース」(RBAR)に参戦。17年にRBARでアジア人として初の年間総合優勝を果たす。福島市在住。17年福島県県民栄誉賞を受賞。

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