「褒めることは大事だが、それだけでは足りない」長谷川健太・FC東京監督が語る指導術
1月4日に開かれたJリーグの「2020YBCルヴァン・カップ」決勝。
J1得点王・オルンガ選手擁する柏レイソルを封じ、11年ぶり3回目の優勝に輝いたのがFC東京だ。
就任から3年間、「勝てるサッカー」を突き詰めた長谷川健太監督に迫った。
(聞き手=元川悦子・ライター)
「目指すのはJリーグでの全勝優勝です」
「タイトルはお金と一緒。手にするまでは大変だが、一度取れば、何度も集まる」
── 1月4日のJリーグYBCルヴァン・カップ決勝では、監督として率いるFC東京が優勝し、最高の形で2020年シーズンを終えることができましたね。
長谷川 FC東京の監督となった18年シーズン以降、J1、ルヴァン・カップ、天皇杯の国内3大タイトルの一つを何でもいいから取りたいと思っていました。
自分が清水で選手時代に取ったのも、ガンバで監督として初めて獲得したのもカップ戦。何か縁があるのかなと感じました。
タイトルというのはお金と一緒。実際に手にするまでは非常に大変ですが、一度手にすればどんどん集まってくる。
次はFC東京を常勝軍団にしたいですね。
── 20年シーズンのJ1得点王、オルンガ選手ら柏の強力攻撃陣を封じた采配も見事でした。
長谷川 試合前からオルンガ、クリスティアーノ、江坂任の柏3選手のホットラインを止めることが最大のポイントだと考えていました。
その意味を選手がしっかり理解し、実践してくれました。
失点以外は狙いが全てハマった。本当に素晴らしい仕事をしてくれた選手たちに感謝しています。
── 新型コロナウイルス禍による4カ月の中断期間に加え、カタールでのアジアチャンピオンズリーグ(ACL)も含めたその後の超過密日程など、20年シーズンは本当に大変でしたね。
長谷川 活動休止期間は選手やその家族の健康が最優先。
もともと自分はそんなに長生きしたいと考えるタイプではなかったのですが、生命を守ることを真剣に考えました。
7月にリーグが再開された時は感謝の気持ちしかなかったですね。連戦でタイトな日程でしたが、試合ができるだけで奇跡のような日々でした。
応援してくれたクラブスポンサーやファン、サポーターを含めて、みなさんの頑張りのおかげだと痛感しています。
── J1では川崎が圧倒的なボール支配力を見せつけて優勝しました。
長谷川 川崎が強いのは事実ですが、それ以外にも要因はあります。
一つは我々ACL組が川崎を止められなかったこと。FC東京はコロナ禍の影響で19連戦というスケジュールが組まれてしまい、安定した戦いをするのが難しかったですね。
二つ目は20年シーズンのJ1は「J2への降格なし」という特別ルールがあり、例年なら残留争いを強いられる下位グループが引き分け狙いの戦いをしなかったこと。
彼らが川崎相手に真っ向勝負をしていたら、負ける確率はどうしても高くなる。それも川崎の独走につながったと思います。
我々も優勝を目指していたのに6位に終わり、悔しい結果になりましたが、21年シーズンこそは貪欲に頂点を取りにいきます。
守備力重視に転換
国内屈指のサッカーどころ・清水市(現静岡市)出身の長谷川監督。少年時代から「規格外のストライカー」として名を馳(は)せた。漫画家のさくらももこさんとは小学校の同級生で、さくらさんの「ちびまるこちゃん」にも登場。県立清水東高校2年時には全国高校サッカー選手権優勝、筑波大学時代には関東大学リーグ1部制覇、日産自動車時代も黄金期の一員となり、1993年のJリーグ開幕後も地元クラブの清水で活躍するなどスター街道をひた走ってきた。
挫折らしい挫折と言えるのは、94年W杯米国大会のアジア最終予選で、日本代表としてあと一歩で本大会出場を逃した「ドーハの悲劇」くらい。ただ、その長谷川監督も、指導者としての駆け出しでは大きな壁にぶつかった。00年に浜松大学(現常葉大学)サッカー部監督として指導を始めたが、人に教えることの難しさを痛感。現役時代の超攻撃的なプレースタイルから一転、守備力の高い安定したチーム作りが特徴となった。
── 守備力の高いチームを作るようになったのは?
長谷川 基本的に自分ができないことは学ぼうとするし、学んだことは教えたがる。そういうことだと思いますね(笑)。
このスタイルになったきっかけは、00~04年にサッカー部監督を務めた浜松大学時代。部員は15人しかいない東海学生リーグ2部のチームで、何から手をつけていいのか全く分かりませんでした。
一つ一つ細かく指導していたら何年もかかってしまう。そこで大きなところから落とし込もうと考えました。
フォーメーションを頻繁に変えてトライさせ、改善策を考えてトレーニングするということを繰り返した結果、いい守備から速くゴールにつなげるスタイルが勝利への近道だと気づいた。
実際、1年で東海学生リーグ1部昇格、3年目には全日本大学サッカー選手権大会出場と結果も出た。新人指導者だった自分にとっては大きな自信になりました。
── 若い選手をやる気にさせるポイントは?
長谷川 その選手には直接言わず、遠回しに伝わるように仕向けたり、ストレートに注意したり、褒めたりといろんな方法があります。
私自身は現役時代、怒られ役だったんで「褒められたい」という願望は常にあった。実際、褒めることはモチベーションを上げる意味ですごく大事だと思います。
ただ、それだけでは足りない。ダメなところはダメだと包み隠さず言うべき時はあります。
本音でぶつかるのは自分の信条。タイミングや言い方に気をつけるようにはしていますが、選手にはあまり感情にうそをつかずに話す形で今までやってきましたね。
── 過去に手を焼いた選手はいましたか?
長谷川 20年シーズン限りで引退した岩下敬輔選手(鳥栖)かな(笑)。彼は鹿児島実業高校で主将として全国制覇し、05年に清水入りしたんですが、怒っても響かないタイプだった。
ただ、怒られ慣れている選手は、逆に放っておかれると気になるもの。小さい子もそうですよね。
彼にはそうやってさまざまな方向から働きかけました。清水とガンバ大阪で10年間一緒に仕事をしましたが、清水時代には日本代表にも入り、ガンバ時代は3冠の主力になってくれました。
若手を見極める目
── 清水時代には、岡崎慎司選手(ウエスカ)も大きく成長させています。
長谷川 岩下選手と同じ05年入団だったんですが、当時はFWのポジション争いが激しく、「サイドバックをやってみるか」と打診したこともあります。
ただ、オカは貪欲に上を目指し続ける性格で、試合になると点を取っていた。結果を出し続けてはい上がった男なんです。
足も速くないし、身長も高くないけれど、努力で体を作って欧州で活躍した。やはり指導者を引きつける何かを持っていました。
── ガンバ時代には宇佐美貴史選手(ガンバ大阪)や堂安律選手(ビーレフェルト)、FC東京に来てからも久保建英選手(ヘタフェ)と、次々に若い才能を引き上げています。
長谷川 若手を見極める力は経験によるところが大きいですね。岩下選手と岡崎選手が入ってきた清水での05年、高卒新人を使わざるを得ない状況が起きた。
その時に「このレベルの選手ならJで使える」という感覚を得たんです。
それは口で言えるものではないんですが、“目を養う”しかない。
19年に関東のJクラブの監督が集まって、いい若手の見分け方について議論した時も「最終的には選手を見抜く目を持った人間を適正なポジションに置くことが大事」という結論に至りました。
自分を信じて選手を起用できるかどうか。そこが監督として成功する絶対条件なんだと私は考えています。
清水の監督時代(05~10年)は無冠に終わったが、ガンバの監督時代(13~17年)には四つのタイトルを取り、日本人屈指の名将の仲間入りを果たした。当時は「次期日本代表の指揮官は広島の森保一監督(現・代表監督)か長谷川監督のいずれか」とさえ言われたが、本人はFC東京を選択。「理想の監督像はない」と言いながらも、指導者としての極みを求め、勝利への飽くなき野心を抱く。
── ガンバに行ってから変わったことはありますか。
長谷川 フィジカル強化の方法を変えたのが一つなんですが、もう一つ大きかったのが選手やスタッフとよく話をするようになったことですね。
清水時代は監督室があって、他の人と四六時中顔を合わせて話しているわけではなかったので、(コミュニケーションに)少しズレが生じたり、距離ができたりした部分があった。
ガンバに行ってからは監督室を設けず、スタッフと常に話せる環境にしたんです。
気付いた時にすぐ意見を言い合える距離の大切さは、タイトルを取る中でも再認識したこと。やはり適度な距離感は大切ですね。
── スポーツ界もIT化が進み、分析技術も高度になって、負担も大きくなったのでは?
長谷川 Jリーグで長く監督をやっているので、そんなに詳しく分析しなくても、リーグに在籍している選手の特徴はほぼ把握しています。
もちろん私も映像を要所要所で見ますが、分析担当のコーチに任せることも大事です。
こうした分析以上に重要なのは、どんな相手に対してもしっかり戦える自分たちのサッカーを構築しておくこと。そして試合が始まって即座に対応できる臨機応変さを養うことなんです。
自分自身を磨く
── お手本にしている監督は?
長谷川 特別に1人挙げるのは難しいですが、清水で引退直前に指導を受けたオズワルド・アルディレス監督は素晴らしいと思います。
独特な人柄でみんなを引きつけるし、選手の意欲を引き出すモチベーターとしては最高の指導者。大きな刺激を受けたし、今も学ぶべきところは多いですが、自分にまねはできない。
誰かの戦術やアプローチ方法を見習っても同じ成績は残せないので、やはり自分自身を磨くことが一番大切なんですよ。
── 「いずれ代表監督をやってほしい」との期待もあります。
長谷川 日本代表監督というのは「やりたいです」と言えるようなポジションではないですね。
「もしも……」と考えても恐ろしい(苦笑)。FC東京での優勝が最優先です。
自分が目指しているのは、Jリーグでの全勝優勝。それが理想ですね。
── 「恐ろしい」と感じるのは、「ドーハの悲劇」を現場で経験したからですか?
長谷川 ドーハのことは特に気にしていないですよ。あの時は日本サッカーが弱かっただけで、負けるべくして負けたと認識しています。
(対イラク戦で同点ゴールを決められた)ロスタイムにしっかり時間を使えなかったのは、日本がまだまだ成熟していなかった証拠。
今では時間帯を考えながら当たり前にやっていますし、選手個々の技術戦術レベルも飛躍的に向上した。僕らのころと見ている景色が全く違うなと強く感じます。
今の日本人選手たちは、若いうちから海外を視野に入れ、移籍を考えていることが多いです。
我々の現役時代は、どこか特定のチームで引退するまでプレーし続けるのが美徳とされましたが、今は考え方がまったく違う。
強豪クラブに移籍して自分の価値を高めることに貪欲な若手にはある意味、頼もしさも感じます。
彼らが世界のビッグクラブで活躍できるよう、僕ら指導者も努力していきます。
(本誌初出 ルヴァン・カップ獲得=長谷川健太・FC東京監督/827 20210202)
●プロフィール●
長谷川健太(はせがわ・けんた)
1965年、静岡県清水市(現静岡市)生まれ。県立清水東高校時代は大榎克己選手、堀池巧選手とともに「三羽がらす」として名を馳せた。筑波大学を経て日産自動車、清水エスパルスでプレー。日本代表として「ドーハの悲劇」も経験。99年の引退後、指導者に転身。清水、ガンバ大阪、FC東京を率いる。ガンバ時代の2014年にはJ1、カップ戦、天皇杯の国内3冠を獲得。21年1月のFC東京でのYBCルヴァン・カップ優勝は監督として五つ目のタイトル。