週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

心をつかむ「しゃべり」=下田恒幸・スポーツアナウンサー/826

    「頭の中で選手1人1人を映像として整理するのが速く、瞬間的に言葉にする習慣が身に付いています」 撮影=中村琢磨
    「頭の中で選手1人1人を映像として整理するのが速く、瞬間的に言葉にする習慣が身に付いています」 撮影=中村琢磨

     サッカーの実況で、必要な情報を的確に伝えるだけではない。ここぞの場面での絶叫が多くのファンの心をとらえる。そんな人気アナ、下田恒幸さん矜持とは――。

    (聞き手=元川悦子・ライター)

    「自分は生粋の職人。究極の実況を追い求めるだけ」

    「担当はサッカー年200試合。どんなチームにもファンがいる。できる限りの努力をしたい」

    ── スポーツ総合サイト「スポーツナビ」が2020年夏に実施した「好きなサッカー実況アナ投票」で見事、1位に輝きました。

    下田 ああいうファン投票は初めて。正直、うれしかったですね。僕は「瞬間の描写」を極力分かりやすい言葉で表現しようと思っているだけですが、その言葉が想像以上に響くこともあるみたいですね。例えば、元スペイン代表FWフェルナンド・トーレス選手の引退試合となった19年8月のJ1鳥栖対神戸戦。田中順也選手(神戸)のゴールシーンで「田中順也の左足」と絶叫したら、神戸ファンが「ものすごくよかった」と評価してくれ、20年元日の天皇杯決勝(神戸対鹿島)でゲートフラッグ(旗)にして掲げてくれました。(ワイドインタビュー問答有用)

    ── それはアナウンサー冥利につきますね。

    下田 漫画家の千田純生さんもサッカー専門誌の一コマ漫画に描いてくれたりと、反応はかなりありました。「田中順也の左足」という表現自体は自分独自のものではありませんが、僕の場合は音色がポップに聞こえるのかな。音楽でも「フックがある」という表現を使いますが、自分のしゃべりにはそういう要素があるのかな、と自己分析しています。

    ── 今、主に実況しているのは?

    下田 Jリーグ、イングランド・プレミアリーグ、ドイツ・ブンデスリーガの三つがメインです。通常時は土日に3試合実況というのがベース。土曜日にJとブンデス、日曜日にプレミアといったように掛け持ちし、毎年200試合前後を手掛けています。ただ、20年はコロナ禍で週中の試合も多く大変でした。

    ── 200試合も? 準備はかなり大変なのでは。

    下田 実況の予定は1~2カ月前に出るので、そこから逆算しながら担当カードの試合をできるだけ多く見るように組んでいますが、これだけ過密日程だと直近の2戦を見るので精いっぱいだったりします。ただ、どんなマイナーチームにも熱心なファンはいるので、手を抜いたらすぐ分かる。彼らの気持ちも酌んで、できる限りの努力をしようと、05年末にフリーになった時から常に意識しています。

    「足元に(ボールを)入れながらスピードを上げます、三笘。パスにした。家長、打つ──!」。J120年シーズンの最終節となった12月19日の柏対川崎戦。川崎3点目となる勝ち越しゴールの場面で、三笘薫選手からのパスを受けた家長昭博選手が決め、放送席の下田さんの絶叫が響いた。スタジアムの臨場感そのままに視聴者の気分は自然と盛り上がる。

     下田さんの実況は、選手のプレースタイル紹介や試合展開を追うだけでなく、ゴール前の混戦でもよどみなく正確にボールが渡る選手の名前を連呼し、見る人の理解も助けてくれる。その実況にいつしかファンが付き、動画配信サイトのユーチューブでは、下田さんの絶叫場面をまとめた動画までアップされるようになった。

    「脳を通さず口から」

    アイルランド・ダブリンで行われたヨーロッパリーグ決勝で解説の野々村芳和さん(左、現北海道コンサドーレ札幌社長)と=2011年5月 下田恒幸さん提供
    アイルランド・ダブリンで行われたヨーロッパリーグ決勝で解説の野々村芳和さん(左、現北海道コンサドーレ札幌社長)と=2011年5月 下田恒幸さん提供

    ── アナウンサーは選手を一瞬で判別しなければなりませんが、名前と特徴をどのようにインプットしているのですか?

    下田 選手が局面局面でどんなプレーをするのかを意識しつつ見ていますが、必死に覚えようと思って取り組んでいるわけではないです。僕の場合、1990年に仙台放送(仙台市の民放テレビ局)に入ってからずっとスポーツ畑を歩いてきたので、頭の中で選手1人1人を映像として整理するのが速く、瞬間的に言葉にする習慣が身に付いていると思います。

    ── 独特の感覚ですね。

    下田 局時代の先輩からは、「目で見たことが脳を通さずに口から出てくる感性がないと一流のスポーツ実況アナになれない」と言われていました。そういう能力はやはり必要で、「実況アナはアスリートと同じ」だと僕は思っています。経験として大きかったのはJ1仙台の前身だったブランメル仙台がJFL(2部リーグ相当)に参入した95年から丸9年間、全試合を取材して実況を付けたことです。

    ── なぜですか。

    下田 全試合で実況を付け、その音声をローカルニュースの中で使ってメリハリをつけたいと提案し、現場取材させてもらいました。その準備としてJFLに参加している全チームの選手の出場記録をつけ、名鑑を見てある程度の情報をたたき込んで、現場で実況を付けました。これで実況スキルを体得しただけでなく、番組制作の奥深さを学べたことも大きかった。

     実況も番組の一環ですし、番組はディレクターが構成を立てて、カメラマンに絵(映像)を撮ってもらい、音声スタッフも関与しています。時にはスポンサーを獲得してきた営業部門の意図を酌んだり、会社の方向性も意識して製作します。今の時代は局アナを経なくてもしゃべり手にはなれますが、そういうディテール(細部)を知る意味でも、僕は一つの局で7~8年は経験を積んだ方がいいと考えています。

    ブラジルの「一流中継」

     実況アナ・下田さんの原点となったのが9歳から4年間のブラジル生活だ。父の転勤に伴って赴いた南米大陸のサッカー大国には、独特な個性を持つ名調子アナが数多くいた。少年時代の下田さんの琴線に触れたのが、ラジオ局「ラジオ・グローボ」でしゃべっていたオズマール・サントス氏。「サッカー選手が技術を身につける一番重要なゴールデンエージに、自分はブラジルで一流のサッカー中継を聞いていた」と振り返る。

    ── 仙台放送入社後、最初に手掛けたスポーツ実況は?

    下田 入社半年後にしゃべった野球のリトルリーグです。この時はそう苦労しなかったんですが、翌年の少年サッカーの実況には難しさを実感しました。93年のJリーグ開幕前はサッカー中継のベースがなかった。野球や五輪種目はある程度のものがあったんですが、未知なる世界で大変だった印象しかないです。壁にぶつかった分、モチベーションが湧いたというのはありましたね。

    ── 待遇のよかった放送局を05年11月に辞めて、フリーになったのは?

    下田 いい選手がJ1では出番がなく、J2に行ったら大きく飛躍することがあるように、アナも場数を踏まなければ成長しない。「やっぱり試合に出ないと意味ないな」と感じました。アナの寿命も永遠ではないし、会社にいれば管理職になったりしてしゃべる場が減ることも多い。いつか引退するなら、どこまでスキルアップできるかチャレンジしたいと思いました。

     退社後、旧知のJ2の放送プロデューサーにあいさつにいったところ、ありがたいことにとんとん拍子に仕事が広がりました。06年に日本で開催されたバスケットボール世界選手権、同年のバレーボール世界選手権も声をかけてもらい、(バイクレースの)スーパーバイクも長い間、しゃべらせてもらっています。いろんな人との縁でつながっていることも多いので、一つ一つ大事に取り組んでいます。

    ── 下田さんの実況をまとめたユーチューブでの動画のように、ファンも付くようになりました。

    下田 SNS(交流サイト)も含めて自分自身の認知度が上がったことは前向きに捉えています。でも僕自身はあくまでもテレビ屋。きっちり作っていいものを見せたいという哲学は変わりません。加えて言うと、自分は地上波で育った人間なので、誰が聞いても楽しめて、サッカー好きからも一理あると思ってもらえるようなしゃべりをしたい。その理想像を追い求めてここまでやってきました。

    「老い」と向き合う

    ドイツ・ゲルゼンキルヘンのフェルティンス・アレーナで、欧州チャンピオンズリーグのシャルケ対チェルシー戦を控えた放送席の下田さん=2014年11月 下田恒幸さん提供
    ドイツ・ゲルゼンキルヘンのフェルティンス・アレーナで、欧州チャンピオンズリーグのシャルケ対チェルシー戦を控えた放送席の下田さん=2014年11月 下田恒幸さん提供

    ── 自分にとっての人生最高の実況とは?

    下田 ゲームが流れている時、耳障りにならず、いざという時にふっと口を突いて出る言葉で人をうならせるような感じですかね。そういう実況はまだありませんが、中村憲剛選手(川崎)が40歳のバースデーゴールをたたき込んだ20年10月31日の川崎対FC東京戦は納得できる要素が多かったです。

    「多摩川クラシコ」(多摩川をはさんでホームタウンが近接する両チームの対戦の呼称)と言われるこのカードにはいろんな因縁があります。この試合では、事前にFC東京の元選手だった川崎の戸田光洋コーチに着目しようと打ち合わせ、ディレクターが撮ってくれた映像に私がコメントしたりして、作り手とのコミュニケーションが形になりました。

     解説の水沼貴史さんも僕の情報に触れつつ、試合を冷静に俯瞰(ふかん)していいコメントをつけてくれるなど、関わる全ての人の力が結集されたいい放送になったかなと。翌日に中村選手が引退発表するとは思いませんでしたが、それも含めて印象深い試合になりましたね。

     90年代から活躍を続ける下田さんも53歳。実況アナがアスリートだとすれば、そろそろ引き際も考えなければいけない時期に差し掛かってきた。「衰えとどう向き合うかはこれからのポイント」と本人も言うが、競泳の鈴木大地選手や岩崎恭子選手、スピードスケートの清水宏保選手などの五輪金メダル実況で知られる島村俊治さんが80歳近い今も活躍している例もある。

    ── 中村憲剛選手の引退を聞いて、自らの引き際を意識したりは?

    下田 50歳を過ぎたあたりから、そういう時期に入ってきたなと頭では感じています。若いころから50歳を一度考え直すポイントと捉え、その時点でしゃべれなくなっている可能性も考えていましたが、実際にその年齢を迎えた時は「まだ平気だな」と感じました。ただ目は老眼になっていますし、睡眠不足のダメージも若いころとは違う。今後は自分と向き合いながら何ができるのかを丁寧に考えつつ、先に進むしかないと思っています。

    ── 現役サッカー実況アナの最年長は60代ですね。

    下田 生き残っている人はクオリティーが高いし、あそこまでやれる人がいるんだなというのは励みになっています。島村さんが70代でしゃべれているのもホントにすごい。150キロで勝負していた野球のピッチャーが、年齢を重ねるにつれ、違う投球術に転換するのと同じで、僕も試合展開への反応の速さが持ち味だとして、それがなくなっても違う面白さや強みがあれば続けていけるのかなと感じます。

    言葉の選択と強弱

    ── 現役中に絶対にやっておきたいことは?

    下田 人生最高の実況ですね。サッカーの欧州チャンピオンズリーグ決勝やワールドカップの日本戦を担当したいという若いアナが結構いますが、僕にとってはそういうのは道のりの一つでしかない。追うところは追いすぎるくらい追って、黙るべき時に黙って、言葉の選択にミスがなく、強弱をしっかりつけながら90分間話せればベストです。

     ずっとミスしないアナなんていない。選手もそうですが、ミスもうまくカバーしながらベストに持っていければいいんです。そういう究極の実況を1試合1試合、追い求めていくしか僕にはできない。自分は生粋の職人。「求道者感やストイックさが気持ち悪い」ってよく言われますが(苦笑)、これからも頂上を目指して登り続けたいと思います。


     ●プロフィール●

    下田恒幸(しもだ・つねゆき)

     1967年、東京都町田市生まれ。9歳から丸4年間をブラジルで過ごし、サッカー実況への夢を抱く。慶応義塾大学卒業後、90年に仙台放送入社。スポーツアナウンサーとしてサッカー、野球、バレーボール、陸上などの実況を経験。ベガルタ仙台も発足時から取材し続けた。2005年11月に退社し、フリーに転身。Jリーグ、プレミアリーグ、ブンデスリーガなど年間200試合前後の試合実況をこなす。

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