『チャランケ物語 富士フイルム変革「敗戦」記 ミドルが仕掛ける企業変革』 評者・加護野忠男
著者 神谷隆史(戦略人材開発研究所代表) ファーストプレス 2750円
企業変革めざすミドル層へ 社内有志グループの闘いの記録
写真フィルムは電子カメラと電子媒体にとってかわられた。このような大革命のなかで、写真フィルムをつくっていた会社は苦戦した。写真フィルムをつくっていた会社は世界で4社しかなかった。トップ企業だったコダックは倒産した。4社のうち2社は日本企業だった。そのうちの1社、コニカはミノルタとの経営統合を行って事業構造の転換を図った。残る1社の富士フイルムは、精密化学技術を生かせる分野で事業開発を行った。その過程で技術系のミドルの有志がどのように動いたかを記録したのが本書である。
忍び寄る大革命の中で会社は、代替技術である電子イメージングの分野に参入した。ところがこの分野では富士フイルムは独自能力となるような深い技術蓄積はない。ここで、12人の技術系課長が立ち上がり、研究会を組織。電子イメージング分野には本格的には参入すべきではない、社内に蓄積されている精密化学技術の応用できる精密複合化学分野をもう一つの事業ドメインとすべきだという提言を行った。
この集団は自らを「チャランケ」と呼んだ。「転機を求めて流氷の上で考えよう」と冬のオホーツクを旅行した時に出会った言葉である。部落の酋長(しゅうちょう)の集まりをさすアイヌの言葉で、「議論を尽くす」という意味を持つ。チャランケグループは会社を支配していた市場のパラダイムから技術のパラダイムへの発想転換を提唱した。著者はチャランケの生みの親となった部長の戦略研修を仕掛けた人物であり、会社を去った後、大学で技術戦略の研究と教育にたずさわっている。
さて、グループの提案は本格的な採用には至らず、その意味で、チャランケは本書のタイトルにあるように「敗戦」したとみなされている。とはいえ、会社内に間接的な影響を及ぼしたことは確かで、グループが残した活動の軌跡や思考の経緯を後世に伝えることには、とても大きな意味がある。
会社の戦略は論理的にベストの方向へ進むとは限らない。論理的に正しい戦略も、組織の力学とうまく合致しなければ、日の目を見ない。戦略によって相対的な地位が低下する部門の反対に出合うからである。
本書は、一つの会社におけるミドル層の闘いの記録であるが、自らのイニシアチブで会社を大きく変えたいと思っているミドルに役立つさまざまな教訓が示されている。そのような志を持つ読者はまず15章と「おわりに」を読んでから、本書を通読していただきたい。
(加護野忠男・神戸大学特命教授)
神谷隆史(かみや・たかし) 1970年、富士写真フイルム入社。人事部長、取締役会室長を経て戦略人材開発研究所を設立。著書に『無から生みだす未来〜女川町はどのように復興の軌跡を歩んだか』などがある。