教養・歴史書評

中国 歴史の残像「協和語」研究=辻康吾

 歴史研究の中で日中関係史の研究は、関係者も研究成果も比較的多い分野で、言語についても中国語が日本語の生い立ちにも大きくかかわり、日本文化の一部となってきたこと、あるいは近代に入って大量の和製漢語が中国に逆流したことなど、話題は多い。だが、かつて日中の言語的交雑の中から生まれ、やがて消えていった「協和語」の存在は忘れ去られようとしている。

「協和語」とは日清戦争の頃から、日本人と中国人が交じり合う中で生まれた言語で、それ以前から、欧米列強が世界に進出した時、各地で現地語と英語などが混じり合ったピジン言語と言われる特殊な言語が生まれたように、「協和語」も日本語と中国語が混じり合ったピジン言語の一種であった。一例を挙げるなら「マンマンデー(漫漫的=ゆっくりでは)プシン(不行=だめ)だぞ」のように、日中両言語が混じり合ったものである。その「協和語」を改めて研究対象として紹介したのは大連海洋大学の宮雪講師の『「協和語」研究』(社会科学文献出版社、2020年9月)であった。

 同書は「協和語」が生まれ、使われた分野を「日本軍との接触」「中国にいた日本人知識人」「中国にいた日本人児童」「当時の文学作品」「ピジン言語としての協和語」の五つに分け、それぞれの分野における「協和語」の成立や特徴を詳細に分析している。従来「協和語」については、「日本軍との接触」から生まれた、いわゆる「兵隊支那(しな)語」を取り上げ、日本の中国侵略の一面として論じるものが多かった。確かに中国語を知らない日本兵と、日本語を知らない中国人の庶民との間では「アンポンタン」(中国語・王八蛋(ワンパータン)=ばか)とか、「ペケ」(同・不可(プコー)=だめ)というような珍妙な言葉が生まれ、一部は日本語となって今でも使われている。本書は、こうした「兵隊支那語」だけではなく、一つの時代の言語、文化交流・交雑の現象として取り上げ分析している。

 お断りしておくべきは、「協和語」という呼称は日本が中国から撤退し、「協和語」が死語となってから生まれた呼称で、日本進出時代に実際に使われていたさまざまな日中混交言語の総称である。また日本が中国人に使用を強制したものではない。

(辻康吾・元獨協大学教授)


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