新・炉辺の風おと/1 梨木香歩
鉄人の日々/1
しばらくおとなしかった持病が再び活発化して、三週間ごと六クールを繰り返す化学療法に入った。一つのクールの始まりから十日ほどはほとんど寝たきりになっているのだが、十日を過ぎれば、何とか起き上がって簡単な用事なら済ませられる。人の――といってしまえば人類全体を自分のレベルへ道連れにするようないい方ではあるが――精神状態というのは、体の状況に簡単に左右されるものだとしみじみと思い知った。『病牀(びょうしょう)六尺』、正岡子規の明るさの、尋常でない偉大さが改めてわかる。
今は通院加療中の身である。体の調子がよくなると、何とかやっていけそうな気になり、一度など調子に乗って近くの公園に散歩に出かけた。退院以来数ヶ月、ほとんど病院と自宅との行き来に終始して(コロナ禍での自粛生活ということもあって)いるだけだったので、短い散歩時間ではあったけれど、春の魁(さきがけ)の花々が――そのときは小さなハクモクレンのようなコブシなど――季節の移ろいを感じさせ、オオイヌノフグリに柔らかな陽の光が当たっているところなどを見ると、このときもまた、何とかやっていけそうな気がしたし、また、やっていけなくてもいいような気もした。自棄になっていたわけではなく、気分がいいとおおらかになり過ぎ、そういう境地になるのだった。だがいつもの五分の二ほど歩いたところで身体中の細胞がもうやめておけ、と警告を鳴らした(ように感じられた)。
この治療に伴う副作用は(人によってずいぶん違うらしいが)延々とあるのだが、なかに味覚異常、という、新型コロナウィルスに罹患(りかん)した人の症状として最近よく聞くようになった症状がある。その場合の味覚異常は、何を食べても味がしない、ということらしいが、それとは違い、一日中口の中でジャリジャリとした金属っぽい感覚があって、これは何かに似ている、とずっと考えていて、ああ、口の中を切ったときの味だ、あれは血液だ、と連鎖的に考えつつ、そうだ、赤錆(さび)が詰まっているようなのだ、とようやくぴったりの言葉を思いついた。赤錆に塗(まみ)れたスチールウールが口の中を占拠している――それでものを食べても、すべてが鉄っぽい。口の中だけではない。身体中の細胞に金属の繊維が織り込まれているようで、自分の体ではないような違和感がある。特に胃は、鋼鉄の塊が入っているようだ。すっかり、「鉄人」になってしまった。しかし十日間だけのことで、それを過ぎれば次のクールが始まるまでは生身の人間に戻る。生身の人間に戻ったからといって、急に活動できるわけでもない。痛めつけられた記憶がボディブローのように体に残っていて、ただぼんやりと、擬似回復期を過ごす。現在進行形で痛みがないということが、どんなに幸せかしみじみと味わっているうちに、次のクールが始まる。
鉄人になると、当然のことながら体が重い(28号はよくもああ、身軽に飛び跳ねられたものだ)。体も冷たくなる。血行が悪いのだろう。
ここ数年通っていた山小屋へ、なかなか行けない。炉辺に座り、薪(まき)の炎で体の芯から温まりたい、と夢見た。
なしき・かほ 作家。八ヶ岳の自然に囲まれた山小屋での日々を綴ったエッセイ集『炉辺の風おと』が好評発売中。近著に『物語のものがたり』『草木鳥鳥文様』