週刊エコノミスト Online サンデー毎日
東京・調布道路陥没その後 「仮移転」が引き起こす住民の分断
東京・調布の道路陥没は新たな局面に入っている。今年3月に事業者側が住民に「2年間の仮移転をお願いしたい」と表明したのだ。その補償内容は一見、良さそうに見える。だが、団体交渉を受け入れない事業者側の姿勢は、住民間の分断を引き起こそうとしている。
2020年10月18日。東京都調布市東つつじケ丘2の生活道路が陥没した。その地下47㍍では、直径16㍍という日本最大級のシールドマシン(掘削機)が東京外郭環状道路(外環道)のトンネルを掘削していた。
外環道は千葉県、埼玉県、東京都を結ぶ、NEXCO東日本とNEXCO中日本、国土交通省の3者による高速道路計画だ。陥没したのは大泉ジャンクション(練馬区)~東名高速道路(世田谷区)の16㌔の未開通区間だ。建設中のトンネルはNEXCO東日本が管轄する「南行」と、NEXCO中日本の「北行」の2本。シールドマシンは17年に東名側、19年に大泉側を発進し、南北各トンネルで計4台が掘削しながら進んでいた。東名側から発進した「南行」の掘削機は、ルート直上で振動や騒音を頻発して陥没が起きた。
事故発生と同時に工事は中止。翌日には、南行を管轄するNEXCO東日本を含めた3事業者が、原因究明のために設置した「有識者委員会」(委員長・小泉淳早稲田大名誉教授)が記者会見を開いた。以来、多くの住民は神経をすり減らしている。自分たちの将来が見えなくなったからだ。
陥没後も現場周辺のトンネル直上では、最大長さ約30㍍の空洞が三つ見つかった。近隣の入間川の増水時に雨水を別の川に流す入間川分水路の円形管が8カ所で損傷していた。ある住民は不満をぶちまける。
「もう地面の下はグシャグシャ。ここに住めるのか住めないのか、住みたくないけど引っ越せるのか。資産価値も激減して家も売れない。どうしたらいいのか」
今年2月12日。6回目となる記者会見でNEXCO東日本と有識者委は事故原因の最終報告を出した。概要は、小石の多い「特殊な地盤」でシールドマシンが回転不能になり、回転を促す大量の気泡剤を注入して「何となく掘ってしまった」(小泉委員長)という施工ミスのため、大量の土砂を取り込み過ぎて陥没に至ったとの説明だった。ともに、これは「特殊な地盤はめったに現れないし、今後は慎重にやれば」工事再開するとにおわせる内容だった。
一方、NEXCO東日本は、振動による家屋のヒビや傾きは補修する方針を示し、不動産補償にも「家屋補償等に関する相談窓口」を設置すると公言した。だが、条件があった。「個人交渉のみに応じる」。理由を記者から問われると「個々の住民が受けた被害はそれぞれ違う。住民に個別に寄り添うため」と回答した。
陥没直後に結成した住民団体「外環被害住民連絡会・調布」(以下、連絡会)の滝上広水代表は「『寄り添う』なら、地域の問題として全住民で情報を共有させてほしい。個別交渉は専門知識に弱い人は不利な条件で折れるし、情報のやりとりさえ私たちは知ることがない」と顔を曇らせる。連絡会は個別交渉をしても不利な合意を避けるため、「すぐには答えを出さないよう」と住民に周知をした。
そして3月19日。「再発防止策」の公表となった第7回記者会見で住民に衝撃が走る。NEXCO東日本は「陥没現場周辺の住民には2年間の仮移転をお願いしたい」と公表したのだ。オンライン傍聴していた連絡会の菊地春代さんは「なぜ、私たちじゃなく、記者会見でいきなりの公表なの」との憤りを覚えた。菊地さんは陥没現場から徒歩1分の距離に住んでいる。だが、そんな説明をしに、NEXCO東日本が訪ねてきたことがないからだ。
別に「北行トンネル」も掘削予定
記者会見で仮移転の詳細は語られなかった。後日、分かった仮移転計画の概要は以下の通りだ。
〈トンネル直上で緩んだ地盤は長さ190㍍。この地盤を改良するため、まずトンネル直上の家屋、つまり幅16㍍にかかる家屋を解体し、庭木も伐採する〉
190×16㍍の区間のみが対象で、菊地さん宅も含め約40軒が該当する。
〈解体後は攪拌(かくはん)工法(地上から回転しながら固化材などを噴霧してかき混ぜる機械を地中に入れる)などで地盤改良する。家屋の解体と引っ越しの費用、移転先の家賃、2年後に戻っての戸建て建設費用もNEXCO東日本が負担する〉
一見、良さそうに見える条件だ。だが、滝上さんは「納得できない」と語る。
「そもそもトンネル直上だけ緩んでいるとは信じがたい。どの程度の仮住まいや新築が保証されるかの具体的な話も一切ない」
滝上さんがこう語るのは理由がある。連絡会は陥没現場周辺で、事故の前後に起きた被害状況アンケートを実施し、被害の範囲が広がっていることを確認しているからだ。構造物被害は58軒でドアや床の傾きが19件、コンクリートひび割れが17件など。体感的被害は102軒で振動95件、騒音72件、低周波音51件などだ。
最終報告と再発防止策を受け、3事業者は4月2~7日に10回の住民説明会を開いた。筆者は同3日、調布市立第四中学校での説明会を取材した。
「確実に工事を行うため、別の場所に仮移転を案内させていただきます。その費用は補償します。買い取ってほしいとの住民には、個別対応いたします」
事業者のこの説明の後、連絡会事務局の菅野千文さんが質問の手を挙げた。
「トンネル直上だけが緩んでいるとの説明に疑問を覚えます。広い範囲で振動が1カ月以上続いた家もある。直上以外でも振動などの苦情をあげた土地でボーリング調査をやるべきです」
NEXCO東日本の社員は、こう回答した。
「追加のボーリング調査、微動アレイ調査(地表面から地盤の振動を測定する)、音響トモグラフィー(ボーリングの穴から発進して地中を通った音波を解析する)を行い、直上だけに緩みがあると認識しました」
菅野さんは二つの懸念を抱く。一つは「南行」で仮移転のギリギリ対象外となる家屋が危険ではないのか。二つ目は、この仮移転案はあくまでも「南行」だけの計画であることだ。
連絡会の被害状況アンケート結果で興味深いのは、陥没した「南行」周辺より、未掘削の「北行」周辺でこそ、被害例が多いことだ。たとえば、調布市若葉町1の河村晴子さんの自宅は昨年9月からブロック塀などに無数の亀裂が走った。
怖いのは「南行」からわずか数㍍離れた「北行」が近い将来に掘り進められることだ。自宅が「北行」の直上になる河村さんは「『北行』を管轄するNEXCO中日本からは何の連絡もない」と言う。NEXCO中日本は20年12月、「北行」直上で微動アレイ調査を実施した。だが、その結果を公開していない。これも不安を煽(あお)っている。
NEXCO中日本総務課に筆者は電話を入れた。
――NEXCO東日本と同様の地盤改良の予定は?
「NEXCO東日本と国交省と調整しながら、対策を今、話し合っている」
――追加調査の予定は?
「検討中だ」
――NEXCO東日本は地盤改良の2年間は当該地で工事中断する。中日本は?「答えられる段階にない。ただ住民の不安解消のために心のケアは行いたい」
――心のケア?
「補償や家屋買い取りなどのご相談に、東日本と一緒に個別相談に応じている」
――団体交渉には応じる?
「家屋の損傷はそれぞれ別なので、個別に対応させていただく」
売れず、引っ越せず、補償もなし
この回答でもあるように3月19日以降、NEXCO両社は住民との個別相談に入っている。その数は菊地さんに言わせると「意外と多い。20軒くらいかと」。
菊地さんと菅野さんは、「仮移転案は時期尚早」だと伝えるため、陥没現場周辺の数百軒を戸別訪問した。その時、NEXCOと個別相談をした人たちからも話を聞いている。「『あ、やはり』と思ったのは、NEXCOがいくつもの家で『お宅だけは特別な見積もりで』と声掛けしていることです。話を総合すると、NEXCOの目的は、『仮移転』より『買い取り』なのではと思ってしまいます。手続き的にも、そちらが楽だし」
もちろんこれは菊地さんの推測だが、どちらの場合でも、菊地さんが恐れるのは地域社会の分断だ。
「これを機に引っ越す住民はいるでしょう。仮移転を拒んで残る人もいる。転校を拒む子どももいれば、仮移転先で子どもが新しい学校に馴染(なじ)んだら、戻ってこないかもしれない。また、独居高齢者は移転できるものではない」
陥没現場近くに住むAさん(女性)は庭木を大切にしている。何十年もかけて育てた庭木は家族の思い出だけに、悩みは深い。
「それがなくなることがどれだけ悲しいことか。でも、緩んだ地盤の上に住むことも不安。そもそも仮移転から戻っても、前と同じ家が建つのかの保証もない。私はどうしたら……」
そして、もっともジレンマを抱えるのが対象地区からギリギリ外れる人たちだ。もしかしたら家が傾くかもしれない。でも、地盤改良されない。引っ越したくても土地も家屋も売れないから、引っ越すことができない。補償らしい保証を受けることもできない。隣人が2年後に新築に入居する時、素直に喜べない……。
さらに、菊地さんや菅野さんが恐れるのは、残った住民に、仮移転した住民が「ごね得狙いか。残る人がいれば、改良工事ができないから戻れない」と言われないか、である。
「だから」と菊地さんが提唱するのは「誰でも納得できる補償範囲の設定、賠償や補償の基準、正当な慰謝料を公にすること。そうすれば〝疑心暗鬼〟も生まれない。団体交渉が必要なんです」ということだ。
4月3日の住民説明会の後、連絡会は歩道上で記者会見を開いた。河村さんもこの点を訴えた。
「家屋解体、仮移転での住居環境、期間、新築建設にはさまざまなプランがあるはずで、それが明確にコスト化されて初めて移転の決断ができる。でも、数日前、NEXCOに『プランはあるのか』と尋ねたら『初ケースなので検討中』との回答です。明確な基準が一切ないんです」
「団体交渉で公正な基準作りを」
団体交渉を実現できないのか。2月から考えていた住民有志がたどり着いた解決策の一つが、弁護士を窓口として実質的な団体交渉に持ち込むことだ。
住民有志は2月24日、都内で記者会見を開き、企業コンプライアンス(法令順守)に詳しい郷原信郎弁護士を団長とする被害者弁護団の発足を明らかにした。郷原氏はこう述べた。
「NEXCOは1月から不動産買い取り希望者と話しているが、いまだに回答はない。正当な補償があるかも不透明。それら情報の共有もできない。これで個別交渉しては、納得できる補償は得られない。そこで同社との交渉窓口として弁護団を結成した。まずは公正な補償基準を作ることが目的」
弁護団は3人で参加住民は約20人(当時)だった。4月9日、郷原弁護士は動いた。3事業者へ「振動で損傷した家屋などの原因分析の実施」「地域全体の地盤の緩みの確認」など6項目を求める要請書を送った。NEXCO東日本は回答を直接、郷原氏に送付せず、5月18日にホームページ上の「メールやお電話等でのご質問とその回答の取りまとめ」という文書で、一般市民への回答に織り交ぜるように公開した。その内容は「適切に対応してまいります」などの努力目標が散見されるだけだった。
弁護団が実質的な団体交渉をすることで、補償基準を公にすることには意味がある。地域社会の分断を最小限にするには、それしかないはずだ。(ジャーナリスト・樫田秀樹)
かしだ・ひでき
1959年、北海道生まれ。89年より国内外の環境問題や社会問題を取材。2015年、『〝悪夢の超特急〟 リニア中央新幹線』(旬報社)で日本ジャーナリスト会議賞を受賞。近著に『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(岩波書店)など