田中康夫 独占インタビュー120分 なぜ僕は横浜市長選に挑むのか!〈サンデー毎日〉
倉重篤郎のニュース最前線
安倍・菅政治の罪と罰/5
日本の閉塞感を変える触媒役に
元長野県知事で作家、真っ当さを失う政治と社会への「しなやかな諫言」を本誌に寄稿してきた田中康夫氏が、横浜市長選に出馬表明した。カジノ以外にも現代の諸問題が集中する大都市であり、菅首相のお膝元である横浜の動向は、全国に影響を与えること必至。田中氏は何を構想し、どう実行するのか――。
政治の停滞は民意の注入、つまり選挙によって活性化されうる。ここにきてようやく、この民主主義の基本原則が起動し始めた観がある。 過日の都議選結果では自民党の一人負け、立憲民主・共産両党を軸にした野党共闘奏功が民の声だった。
そして今一つ注目すべきは8月8日告示・22日投開票の横浜市長選である。単なる一首長選ではなくなっている。奇(く)しくもオリンピック閉会式の日が告示日、パラリンピック開会式前々日が投票日という巡り合わせだ。菅義偉政権が無理を重ねた無観客・強行開催五輪への都市住民による初の審判という役回りを担わされてもおかしくはない。
政局的な意味合いも深い。横浜と言えば菅氏が市議時代から金城湯池を誇ってきた「菅王国」と言っても良い。ところが今回菅氏側近の前閣僚・小此木(おこのぎ)八郎氏と、前回菅氏が押した現職市長・林文子氏の双方が立つ、という分裂選挙となった。このこと一つとっても王国の亀裂は深刻だが、結果によっては菅氏の権力基盤が選挙区の足元から揺らぐことになりかねない。
候補者の多彩さも目を引く。元閣僚、現職市長以外にも、公衆衛生学を専門とする元大学教師、元特捜検事、元衆議院議員ら現時点で9人が名乗りを上げている。さすがに、カジノ誘致でもめる、予算規模3・9兆円、職員数4・3万人という全国最大級の政令指定都市トップの座である。この選挙への関心が草の根票を掘り起こし、政治のダイナミズムを体現、その民意のうねりが秋の衆院選本番にまで届くことを望みたい。
この欄では今月8日に出馬表明した田中康夫氏の視座に焦点を絞る。21年前、44歳で長野県知事に当選、脱ダム宣言や車座集会など地方政治に新風を吹き込んだ行動する作家が、今回なぜ65歳にしてこの勝負に手を挙げたのか。何をしようとしているのか。果たして勝算はあるのか。閉塞状況にある「安倍・菅政治」からの出口がそこにあるかもしれない。そんな思いで2時間ヤッシーと向き合った。
カジノをやめ統合型レスキュー拠点を
――東京生まれで信州育ちのあなたが、なぜ今回は横浜市長選なのか?
「横浜エフエム放送で6年前から音楽番組のパーソナリティーを担当、番組スタッフや出演を通じての知人、横浜在住の大学時代の友人たちと話をする中で、横浜の表のイメージと、実際に暮らしている人たちの実感とのギャップ、光と影を感じるようになった。カジノ誘致だけでなく変だなと思うことが積み重なった」
「例えば、20ある政令指定都市の中で唯一中学校の給食がなく、代わりに『ハマ弁』という弁当を売っていたり、待機児童は16人と発表しているが、保留児童という独自の定義を作り、育児休暇を延長、あるいは自宅で休職中の母親の子供2842人は待機児童ではないという。メートル法の時代に尺貫法を使っている」
「調べてみると、問題はいくつもあった。政令市最大の378万人の人口なのに保健所は1カ所だけ。65歳以上の高齢者97万人のうち51万人が一人暮らし。空き家は2割近い18万戸。土砂災害警戒区域に指定されている市街化区域に7万3479戸もの家がある。親御さんが教育環境の充実を求めているのになぜカジノ誘致なのか。住みたい街、憧れの街といわれてきたのに、実は住民税も一番高いらしい、とかだ」
「僕は、行政の仕事は、超少子・超高齢社会における、お代を先に頂戴する総合サービス産業だと思っている。サービスとは、人に喜んでもらってなんぼの仕事。ボランティアと一緒で、自分がしたいことを押し付けても相手はその時もういらないかもしれない。相手が望んでいるのが何かを常に見極めるのがプロの行政官だ。僕はそういう行政官になりたい」
――現市政はそのニーズに応えきれていない?
「皆で議論しているうちに、この街のあり方を変えなければと思えてきた。2000年の長野県知事選の時も、県政の立て直しを望む県民の声なき声に応え、政治経験がなかった僕は出馬した。横浜でも、これでいいんでしょうかというところから始まった。市内に家を借り、4月12日の誕生日に、住民票を移した」
――何をどう変える?
「横浜は日本で最初に世界に開かれた街だ。政令市でも最大級だ。大きなポテンシャルと可能性があるのに眠っている。それを引き出したい。例えば、同じコンサートホールで、同じ曲目で、同じ楽団員が演奏していても、指揮者が変われば音色も変わる。いわゆる役人仕事で思考が冷温停止状態の職員がいたら、人間の体温に戻してあげる。繰り返すが、同じ楽団で、そこに暮らしている聴衆でも、福祉とか学校授業で全く違う音色を出せる、と僕は信じている。それを長野でもやってきた」
――カジノは可能性の外?
「横浜にカジノ・IRは設けないという市民のコンセンサスはすでに取れている。あらゆる調査で常に過半数を大きく上回る方がノーと言っている。市議会で一度否決された住民投票の再実施は必要ない。そもそも、人口が減少するとか、財政赤字だからカジノだというなら全自治体が作らねばならなくなる」
「横浜は関東大震災で2万5千人も亡くなっており、その瓦礫(がれき)を埋めて作ったのが、山下公園だ。隣接する丘の上は文教地区で、歴史のある女学校も数多い。鎮魂の場、教育の場であって、カジノの場所じゃないだろう、というのが、横浜港運協会の藤木幸夫前会長の意見で、この点は僕と期せずして似てる」
藤木氏といえば、「ハマのドン」とも呼ばれる実力者。今回の選挙でも誰につくかが注目されている。小此木家とは先代から深い縁があるが、一方で横浜エフエム放送会長としてあなたともつながりがある。サンデー毎日(2018年9月9日号)でも対談し「カジノは街を滅ぼす」で一致、あなたも「イデオロギーを超越した国士と呼びうる俊豪だ」と評価している。
「番組を担当する前から大変に親しい。だが、カジノに反対しコロナに打ち克(か)つという藤木氏の主張だけが今回の争点ではない」
――カジノではなく何を?
「内陸部に上瀬谷という、在日米軍の通信施設跡地がある。東京ドーム51個分の土地だ。テーマパークにするとの案はすでに破綻しているが、僕は、ここにマンション群を建てるといった従来型発想を取らず、消防・救急・医療・保健の統合型拠点、『インテグレイティッド・レスキュー』を設けることを提案している。お代を先に頂戴した本来のサービス業で市民を護(まも)り、救う行政だ」
「先述した高齢独居世帯の多さからすると、保健師や民生委員の方々がどれだけ身を粉にして踏ん張られても、とてもかなわない。保健所も統廃合を重ねた結果市内に一カ所、市庁舎の中にしかない。このある意味、骨粗鬆(こつそしょう)症のような惨状の医療、保健体制の抜本的改善を図る。市内を縦断する国道16号、東名高速の横浜町田インターに隣接している。災害列島の日本、一旦緩急あればお手伝いに出かけることもできる。行政サービスのあり方や意識を変えることだ。幸い横浜には経験豊富なスタッフがいて、予算措置も可能だ」
人は私的な時間に公的な存在になる
――12の取り組みを提起。「中学校へ真(ま)っ当(とう)な給食を導入、小学校には長野でやったように『地域食材の日』を設ける。待機児童、保留児童という全国1747市町村中唯一の詭弁(きべん)を解消する。コロナ対応は早期検査・早期対応の基本に立ち返る。空き家率2割を活用、広葉樹や竹を植えたミニ公園、地域住民菜園化で防火帯の役目も果たす。コンプライアンス(手続き)、ガバナンス(統治)を再構築し、横浜スタジアム向かいの旧市庁舎を僅か7700万円で売却する案件も見直す」
「今日からできることと同時に、次にできることもやらねばいけない。それはハコモノ行政とは異なるアコモデーション(暮らし向き)の改善、心地よさの追求。街と人に潤滑油を与えること。その意味で、これまでの僕の恋愛とボランティアと行政は同じかもしれない」
――議会対策は?「首長と議会は、真の意味での車の両輪を目指したい。長野県知事時代の後半、少額ながらも町村長や地域の取り組みを支援する『コモンズ支援金』を予算化した。既存政党の集票マシーンになるようなものではなく、本当に地域の活力となるものだ。提案する議員も、予算提出権を持つ首長も厳しく問われる。そうした市議会議員提案の予算枠を横浜で実現する」
――横浜市民の潜在力は?
「哲学者の浅田彰との対談で、彼がエマニュエル・カントの言葉として語っていたことに共感した。カントによると、人間というのは、勤務時間というパブリックな時に最もプライベートな保身という動きをするが、帰宅しプライベートな時に最もパブリックなことを考える、という。政治に対する愚痴や批判に留(とど)まらず、今年の夏祭りはどうやるか、子供たちが隣町の高校に通うスクールバスの時間を10分早めるべきじゃないか、などとビールを飲みながら語り合う。浅田によると、『非社交的社交性』と言うらしい」「城山三郎の『無所属の時間』というエッセイもある。会社を辞めたら年賀状が来なくなった。残業や宴会もなくなったが、家には居場所もない。無所属の時間だ。その時に初めて自分の居場所を求め、NPOやボランティア、町内会に参加、カントがいうところの『プライベートな時に最もパブリック』な人たちになる。そういう人たちが、今どこの街にも、もちろん横浜にもいて、カジノがきっかけで、いろんなことに気付き始めた。目の前を見たら、給食もない、保留児童もいっぱい、独居老人もいる、保健所も一つしかない、なのになぜカジノなのか……と」
――既成政党受け皿ならず?
「4月の国政3補選、今回の都議選を与党の惨敗・野党の勝利と捉えるのは浅薄だ。今の世の中、政治への絶望は深い。けれどもフランスやイタリアのようにデモをするわけでもない。じゃ無関心かといえばそうではない。政治や社会のあり方を問うたり、問うだけではなくて、どのように護り、どのように創り直すのか、誰もほとんど示せていないのが現状だ。与野党含めて今の政党、組合や団体を向いた政治は消費者という人間に根差していないんじゃないかと皆気付き始めている」
――それをあなたが示した?
「田中康夫はメディアム(触媒)のような能動的存在です。僕自身が物書きとして、市民活動家として政治にアンガージュマン(知識人が社会運動に参加すること)、そこに首長としての執行権限が与えられる。その中で僕が発信、実行し、責任を取っていく。ある意味メディアの役割をも兼ねている」
命よりカネが大事という不条理な五輪
「田中康夫は、自分も一人の消費者として真っ当な費用対効果というパフォーマンスを重視する人間だ。今回の選挙も、政局論としては首相のお膝元、自民党がいくつにも割れて液状化したメルトダウンだ。そこが目に見える形で変わっていくことは、単に首相の座がどうなるとか、そういうちっちゃな政局の話で終わらない。全国の小さな自治体で既にやっていたことが、良い意味でバンドワゴンのようにシンクロして、日本全体の疲弊した制度や閉塞(へいそく)感を変える契機になる。そういう触媒役を果たせたら本望だと思う」
――五輪についても聞きたい。
「『Tokyoインパール2021』とも呼ばれる今回の五輪は、まさに『おもてなし』で、表がない。裏ばっかりってことだ。人の命よりもカネの力の方が大事だという不条理を日本政府とIOCが全世界に広めた、歴史的なイベントだ。『逆ノーベル平和賞』をあげたいくらいだ」
「五輪には縁がある。長野県知事に当選の2000年は、1998年の冬季長野五輪の宴(うたげ)の後。五輪招致の帳簿は焼いたと居直っていた長野県は財政再建団体転落寸前だった。外部委員で『長野県』調査委員会を作り、県有施設内で見付けた帳簿の一部や資料、関係者から事情を聞き出し、使途不明金や過剰接待、違法な割り当て寄付、不自然な複数口座の利用や入出金管理、虚偽の監査報告などの実態を詳細に調査、県民に報告した。今回も同様な調査が必要となるかもしれない」
田中氏は、安倍・菅政治については多くを語らなかった。ただ、両政権の記録、公文書の管理を軽んじる体質には、呆れ果てていたようで、「後で納税者が過去に何が起きたか確認できない行政は最悪だ」と述べた。五輪の公的検証、記録作りの重要性が改めてクローズアップされた形だ。
ここで私としては打ち明けるべきことがある。田中氏出馬の報を耳にした際、いずれ野党陣営で一本化する布石ではないかとの失礼な感想を抱いたことである。田中氏の本気度を疑ったのである。8日の出馬表明会見でも同様な質問が出た。これに対し田中氏曰(いわ)く、「ウルトラ無党派層の一人として私は立候補表明した。その後に他候補とすり合わせをしたなら、それは開かれた談合になる。民主主義のあり方ではない」 この決然たる口調に田中氏の意気地を感じるとともに、彼は勝ちに来ているということを実感したことも付け加えておきたい。
たなか・やすお
1956年生まれ。一橋大法学部卒。作家。元長野県知事。https://tanakayasuo.me/
くらしげ・あつろう
1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員