新連載 社会学的眞子さまウォッチング!/1 国民に「祝福」される結婚が幸せなのか=成城大教授・森暢平〈サンデー毎日〉
秋篠宮家の長女眞子さま(29)が、婚約が内定している小室圭さん(29)と年内に結婚することとなった。皇室の恋愛・結婚を研究する社会学者が、今回の結婚について、さまざまな観点から考察を進める「社会学的 眞子さまウォッチング!」を始める。
眞子さまは10月にも秋篠宮邸を出てマンションなどに滞在しながら、渡米準備にあたることになった。小室圭さんとの結婚を歓迎しない人が多いことは分かる。ただ、過去において国民が「納得し、祝福する」結婚であってもプリンセスが幸せになったわけではない。
メディアが追い詰める東京ひとり暮らし
9月11日、紀子さまの誕生日。宮内庁記者クラブの質問に対し、紀子さまは「長女(眞子さま)の気持ちをできるだけ尊重したい」と書いた。昨年とほぼ同じ言い回しである。〈いろいろなことがあったが、今は娘の結婚への気持ちを重んじ、認める〉――。そう読むほかはない。
眞子さまが10月に宮邸を出るのは、皇籍から離脱して「小室眞子」にならないと、米国の配偶者ビザ申請ができないためだ。一般人が外国に渡るときも準備は容易ではない。現地の不動産業者と連絡を取って住居の目途(めど)をつけるなどやることは山積である。かなりの準備期間がいる。
「駆け落ち婚」という呼び方は適切ではない。なぜなら、眞子さまの渡米準備を秋篠宮家が支援するのは確実だからだ。「自分で決めたことだから勝手にやりなさい」と両親殿下が眞子さまに言い放つとは私には思えない。
眞子さまはニューヨークで小室さんと2人で暮らす。買い物や食事づくりも2人で協力して行わないといけない。眞子さまの「東京ひとり暮らし」は、米国生活の準備の意味がある。興味本位のマスメディアが、新生活準備にあたる眞子さまを追い続けないかと心配だ。買い物にも行けないメディア・スクラム状況が出現する可能性がある。
昭和天皇三女の悲劇的結婚
小室さんが皇族の相手に相応(ふさわ)しくないと考える人は多いが、「相応しい人」との結婚が悲劇を生んだ例もある。
1950(昭和25)年、昭和天皇の三女、和子内親王は鷹司平通(たかつかさとしみち)氏と結婚した。鷹司家は五摂家(ごせっけ)で、旧公家の最上位である。当時の世論は、鷹司氏が日本交通公社に勤務するサラリーマンであることを含め結婚を大歓迎した。
ところが、16年後の1966(昭和41)年、鷹司氏(当時42歳)は愛人関係にあった銀座のクラブのママ(当時39歳)と事故死する。店が終わり、彼女の自宅マンションに向かった2人は、ガスストーブをつけたまま寝たため一酸化炭素中毒で亡くなってしまう。
このママは愛知県の高等女学校を卒業し、国語教師を目指し、奈良女子高等師範学校への進学を希望していた。たが、戦争のため女子挺身(ていしん)隊にとられて断念。戦後は洋裁や美容を学ぶうち、結婚しないままホステスとなっていた。酒場で短歌や詩を語る文学好き。苦労人の彼女に鷹司氏が惹(ひ)かれたのは容易に想像できる。国民が「納得する」結婚の結末であった。
旧皇族の離婚は、ほかにもいくつか例がある。閑院宮春仁王(かんいんのみやはるひとおう)の妃殿下だった直子さんは1961(昭和36)年、52歳のとき、同性愛の性的指向があった夫のために「夫婦としての生活」が結婚後2年しかなかったと雑誌『婦人倶楽部』で告白した。
夫は性的パートナーである軍隊時代の部下を敷地に住まわせ、自分は妻として扱われていないと嘆いた。記事のサブタイトルは「皇族の名誉と栄光のために過ごしてきた偽れる愛の半世紀」である。この旧皇族夫妻は泥沼裁判の末、協議離婚が成立した。
多様性と自由の現代、眞子さまに「偽れる愛」を押しつけるわけにはいかない。
受け取りを辞退する意向という1億3725万円の一時金についても議論がある。「原資は税金だから使途は限定的に」との意見があるが、昭和天皇の四女、厚子内親王の例を考えると、使い道は任意である
彼女の結婚相手は、旧岡山藩主家の池田隆政(たかまさ)氏であった。池田氏は動物好きが高じて岡山で牧場を経営していた。1952(昭和27)年の結婚を機に動物園も開園した(現在も続く池田動物園)。
しかし、経営難となり、地元財界の支援で何とか持ちこたえた。国会では「一時金がゾウとトラに食われた」と批判された(1961年3月、参議院予算委員会第一分科会)。一時金が配偶者の夢のために使われた前例である。
内親王の結婚はプライバシー領域
眞子さまと小室さんが「公より私を優先している」という批判がある。だが、内親王の結婚は100%の私事である。公的側面は全くない。
結婚後、眞子さまが何をしようと自由である。昭和天皇の五女、島津貴子さんは東京・芝公園のプリンスホテル内の高級ショッピングモールPISAのアドバイザーに就任した(1970年)。眞子さまも、極論すれば、国政選挙に立候補してもよいし、宗教法人代表になってもよい。
公と私の線引きも時代により変動する。50年前、芸能誌『平凡』『明星』にはタレントの住所が掲載され、ファンレターは自宅に送るものだった。今の芸能人は結婚相手の名前も写真も公表しない。
私は、内親王の結婚相手は今後、公表しなくてもよいとも考えている。誰と結婚しようが、生活がどうなろうがプライバシー領域に属する事項だからである。
秋篠宮さまは3年前、「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」をつくるように小室さんに求めた。マスメディアの影響力が絶対的だった昭和の時代、多くの人(国民)が「納得し、喜ぶ」状況は簡単に実現できた。しかし、意見が二極化、多様化するSNS時代、それは不可能である。
佳子さま・愛子さま・悠仁さまの結婚でも、同じ状況がやってくる。「お相手バッシング」は必ず起きる。
10月に実現する、眞子さまの「東京ひとり暮らし」を私たちはどう見ていくのか。静かに見守るのか、引き続き批判するのか。その態度が21世紀の皇室と私たちの関係の試金石となる。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年、埼玉県生まれ。博士(文学)。毎日新聞で皇室や警視庁担当、CNN日本語サイト編集長、琉球新報ワシントン駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮社)、『近代皇室の社会史』(吉川弘文館)など