映画「人と仕事」森ガキ侑大監督が語る 感染拡大下でも「家で過ごせない」人たちの生き様
有村架純さんと志尊淳さん主演の映画「人と仕事」が、10月8日から3週間限定で公開されている。新型コロナウイルス禍の最前線で働く保育士や介護士、農家ら「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人々を中心に、様々な仕事に従事する人々の声をリポートする話題作だ。公開を前に、監督を務めた森ガキ侑大氏が、今回の映画制作の動機につながった現在の社会状況への思いや、今作への意気込みを語った。
元々は「保育士をテーマにした劇映画を撮影するつもりだった」という森ガキさんが、同作の出演者やスタッフととともに劇映画でなくドキュメンタリーを作ろうと決めたのは、1度目の「緊急事態宣言」が発令された2020年4月。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、同劇映画制作の企画が頓挫した直後のことだった。
「予定していた作品の制作中止が決まり、『今後、僕らの仕事はどうなっていくんだろう?』と自分自身が考えさせられたタイミングでした。普段は感じられない感情を抱いたからこそ、河村さんから『この映画をドキュメンタリーで作らないか?』と言われたとき、『ドキュメンタリーを作りたい』という衝動がこみ上げてきて…。急きょ予定を変更し、制作を決めました」
当時は今よりずっと、「未知なるウイルス」への恐怖感、緊張感に満ちていた。その中で、森ガキ監督の制作意欲を後押ししたのは、「ソーシャルワーカーや、リモートワークでは仕事を完結することができない人々が“コロナ禍”で抱いている不安や、率直な思いを聞いてみたい」という感情だった。
「家で過ごせない」人々の生活から気付かされたこと
登場人物としてピックアップしたのは、キャストの有村架純さんと志尊淳さんが「インタビューしたい」と思う職業に就く人や、監督自身が「ドキュメンタリーを撮影しなければ接点が持てない」と考える人たちだ。緊急事態宣言下の日本を生きるさまざまな人々の、等身大の姿を描こうと考えた。
インタビューを続ける中で、強く印象に残った言葉がある。「楽しく“ステイホーム”が出来る人は限られている」。そう語ったのは、歌舞伎町でホストクラブを経営する手塚マキさんだ。
「昨年の春には、星野源さんの『うちで踊ろう』を聴きながら自宅で過ごすキャンペーンが流行しました。当時は自宅にいることが“正解”でしたし、もしかしたら、今もずっと家にいるべきなのかもしれない。でも“夜の職業”で生計を立てている人の話を聞いていくうちに、「家で過ごそう」と呼びかけたい気持ちがありながらも、自宅で過ごせない環境の人もたくさんいる現実を知った。同時に、これまで自分の生活環境の視点でしか社会を見てこなかったという“怖さ”も感じさせられた。撮影を通じてさまざまなものに気付かされましたね」
作品では、“コロナ禍”によって浮き彫りになった社会の「分断」にも触れている。
「『分断が始まった』とか『価値観が変わりつつある』などと言われるようにはなりましたが、撮影を通じて格差や価値観の分断はずっと前から始まっていて、今回たまたま浮き彫りになっただけなんだなと感じるようになって…。ニートや“夜の世界”にいる人たちに触れながら作品を描いていくと、それこそ人間が誕生した頃からずっと『分断』は存在していたことが分かった。どちらか一方だけが“正しい”ということはないと思いますけど、『世の中って何なんだろう?』などと考えさせられる機会が多かったですね」
鋭い勘に妥協のない姿勢… 森ガキ監督が見た有村架純さんと志尊淳さんの「仕事感」
思わぬ形でドキュメンタリー作品を制作することになった森ガキ監督は、映画界を彩る最旬の二人の役者、有村架純さんと志尊淳さんの、仕事に向き合う姿勢について、こう語る。
「まず感じたのは、二人の鋭さですね。『勘の良さ』に加えて、人間としての魅力、そして何よりも『絶対に妥協しない姿勢』も兼ね備えている。だから、競争が厳しい世界で生き残り、トップを走り続けてこられたんだろうなと感じさせられました。志尊君は、以前共演させていただいた映画の撮影とはまったく違う姿が見えましたし、有村さんは時間をかけながら徐々に本当の姿が垣間見えたような感じでしたが、共通して言えることは、二人とも『すごく人間らしいな』と…。当たり前のことを改めて感じさせられました」
「華々しい芸能界の第一線で活躍しているけれど、時折、ぽろりと弱さや人間らしい部分が出ることもある。メディアに追われて自由もないなかで、数字に追われ続ける生活を続けないといけない。『きっと辛いこともあるんだろうな…』と思いましたし、僕自身も、『もっと自分もいろんな意味でグレードアップしていかないと、良い作品作りが出来ないな』と感じさせられる機会にもなりました」
森ガキ監督をはじめ制作スタッフ全員、「答えが分からないまま、撮影を続けた」という。その恐怖や不安を乗り越えたことで、有村さんや志尊さんにも変化があったという。
「役者って、“自分以外の誰か”になる仕事じゃないですか。でも実際の社会を見ると自分が理解できない部分もあった。『100%に近づけたいけど、なかなか理解できない』という経験は、有村さんや志尊さんにとっても大きなターニングポイントになったのではないかと思う。僕自身も制作している時に、『これまで嘘を作ってきたのかな?』と感じさせられたりもして…。自分自身を省みるきっかけになりました」。
二人に「本音を話してもらえるかどうか」が勝負だった
暗中模索が続く中、良い作品に仕上げるために森ガキ監督が重視したのは、「二人と真摯に向き合うこと」だった。作中には、有村さんと志尊さんの対談も収められている。二人は自身の「仕事」に対するさまざまな葛藤について、語り合った。
「真正面から彼らと向き合うことで、本音を話してもらえるかどうかが、僕にとっての“勝負”でもありました。『カメラを置いてある部屋で、二人だけで話して欲しい』とお願いして、撮影させていただいたのですが、僕らが理解できないような苦しみの中で、二人は戦っているんだなと…。分かっていることではありますが、世の中に“楽な仕事”なんて存在しない。当たり前のことを改めて感じさせられた瞬間でしたね」。
「夢も希望もない」可能性を奪われた若者に伝えたいこと
もがき、苦しみながら生きる人々の姿をとらえた今作。だが、一方では“コロナ禍”の影響でやりたいことができず、可能性を奪われているごく普通の若者たちの日常も、リアルに描かれている。
「日常の飲み会や、夢を必死で追いかけるといったような、僕らが当たり前にやっていたことが経験できない。もし僕がこの時代の学生だったら、『絶望的』だと思うんですよ。でも、過去の歴史を見ると、スペイン風邪がルネサンスを生み出すきっかけになった。かつてのミケランジェロが活躍したように、モヤモヤした想いを抱えた若者たちがこれから活躍するきっかけになるのかもしれない。僕は若い世代が夢を描ける映像業界を作り上げていくことしかできませんが、苦しい時代に育んだ才能が日の目を見る日は絶対に来るので、その時に向けて諦めずに頑張って欲しいですね」
厳しい感染対策や、いつ撮影が中断してしまうかもしれないリスクを抱えながら、今日も映像作りを続ける森ガキ監督。「もちろん、コロナ禍がない社会の方が良かった」と前置きしたうえで、「でも、さまざまなことを見つめ直す良い機会になったかもしれない」と続けた。
「『“コロナ禍”が起こる前の生活が素晴らしかったのか?』と言われると、僕自身は違うと思うんですよ。数字や効率性ばかりを追い続けるような考え方や、競争が格差を生み、それによって出来たピラミッドが分断につながっていくような状況は、徐々に改めていかないといけないのかもしれない。資本主義でも社会主義でもない、新たな社会のあり方を模索する必要があるのかなと感じたりすることはありますね」
自分の存在意義は何なのか
今後の抱負については、「生物(なまもの)なので、その時に描きたい作品を撮れたらいい」。そして、「社会との接点がある作品を作り続けていきたい」と語った。
「自分の作品を通じて、“何か”を感じてくれる人はいるかもしれないけど、それが本当に“正解”かどうかはわからないですし、その意味や解釈も、さまざまな見方や時代の移り変わりとともに今後も変わってくるとも思う。自分の存在意義や、作品を作り続ける意味。常にそれらを考えながら、作品を作り続けていますが、まだ確固たる答えには巡り会えていない。これからもさまざまな現実との葛藤しながら、僕にとっての“永遠のテーマ”を追求していきたいですね」
取材・文 白鳥純一