各国要人に次々取材。『フィナンシャル・タイムズ』前編集長回顧録=評者・上川孝夫
『権力者と愚か者 FT編集長が見た激動の15年』 評者・上川孝夫
著者 ライオネル・バーバー(『フィナンシャル・タイムズ』紙前編集長) 訳者 高遠裕子 日本経済新聞出版 4400円
波乱の時代を駆け抜けた ジャーナリストの回顧録
2005年から20年まで英紙『フィナンシャル・タイムズ』(FT)の編集長を務めた著者の回顧録である。この15年はリーマン・ショックに始まり、ポピュリズムの台頭、民主主義の危機で終わった波乱の時代である。中国の台頭や大手IT企業へのパワーの集中も顕著であった。著者は、この劇的に変化していく世界を、取材メモなどをもとに克明に追っている。
本書には、主要国の首脳とのインタビュー、ウォール街やロンドン金融街の関係者との接触、王室関係者への謁見(えっけん)、さらに記者仲間や社内でのやり取りなど、豊富な情報が収められている。そもそもFTの理念とは何だろうか。著者はそれを、市場重視の自由主義的国際主義、そして民主主義的資本主義の称揚だと指摘している。
リーマン・ショックは、何よりこのFTの理念を脅かす事態だった。西側の市場資本主義モデルの優位性や、グローバリゼーションは不可避的な進歩だとする仮説に異議を突きつけた出来事であり、資本主義の未来についての議論を進めていく決意を固めたという。危機後のインタビューの目玉に就任直後のオバマ米大統領を選んだが、グローバル・プレーヤーとして台頭し始めた中国の温家宝首相へのインタビューも画期的だったと振り返る。
英国のEU離脱(ブレグジット)についての情報も得がたい。著者は英国のEU加盟を熱心に支持しており、FTのオピニオン欄でも残留運動を展開した。しかし国民投票の動向を追い切れていなかったと反省の弁を述べる。トランプ氏の米大統領選もFTの期待や予想ははずれた。トランプ米大統領はインタビューを受けた際、ポピュリストとして知られたジャクソン米大統領(1829〜37年在任)の肖像画と並んでの写真撮影に応じたという。
クレムリンでのプーチン露大統領へのインタビューでは、ポピュリストの脅威について質問した。彼は、西側エリートが自国民の現実から乖離(かいり)し、リベラルの思想は陳腐になってしまったと語る。リベラル思想の終焉(しゅうえん)を言明したこのプーチンの発言は、大きな波紋を呼ぶだろうと当時書き残している。
本書のタイトルが意味するのは、絶大な権力を持つが、時に愚かである人々と間近に接し、真実を突きつける特権を享受してきたという著者の強い思いだろう。FT自身のデジタル変革にも紙幅を割いている。ジャーナリストの今を伝える興味深い書物である。
(上川孝夫・横浜国立大学名誉教授)
Lionel Barber オックスフォード大学卒業後、『サンデー・タイムズ』紙などを経て『フィナンシャル・タイムズ』入社。編集長時代には有料購読者数100万人を突破、多くの国際的なジャーナリズム賞にも輝いた。