『香港政治危機 圧力と抵抗の2010年代』=評者・近藤伸二
著者 倉田徹(立教大学法学部教授) 東京大学出版会 3520円
遅すぎた民主化開始のタイミング 中国を追いつめた「時限爆弾」
香港では昨年6月に国家安全維持法が施行されてから、デモや集会などの街頭活動はすっかり姿を消した。日本のメディアをにぎわせた香港報道も、最近は影を潜めている。
なぜ、香港の民主化運動はあれほど盛り上がり、中国は強硬に封じ込めたのか? 香港の「闘い」は終わったのか? その問いに、歴史的な経緯から説き起こし、中国や英国、香港の力関係や駆け引きを緻密に分析して答えたのが本書である。
英植民地だった香港は長年、総督が強い権限を持つ「民主はないが、自由はある体制」だった。1982年の中英交渉開始直前になって、英国は香港の民主化を進めた。
これについて、著者は「返還後にわたって民主化を続けることを中国に約束させることに成功した」と評価する一方で、「香港に完全な民主主義を導入するためには、この民主化開始のタイミングは遅すぎたとの見方もできる」と述べる。香港の民主化の基盤はもろかったのである。
それでも97年の返還後10年ほどは、中国は表立った介入を控え、香港と中国の蜜月期が続いた。新型肺炎SARSの流行もあって香港経済が悪化すると、中国は個人観光旅行解禁などで香港を救った。だが、大陸からのヒト・モノ・カネの大量流入は香港人の反感を買い、経済融合は深刻な副作用をもたらした。
選挙制度を巡っても、行政長官の普通選挙を求める香港の世論と、「愛国者」しか出馬させない中国の意向は相いれず、2014年には市民が道路を占拠する雨傘運動が起きた。
しかし、中国には一貫して、普通選挙を認める意思はなかった。この点、習近平政権になって強権化したイメージが強いが、著者は「前任者たちが設定した『時限爆弾』の処理を迫られたとも言いうる」とみる。すなわち、“返還後に民主化する”という決め事を中国は何とか取り除こうとしたのである。
交渉で民主化を勝ち取るという穏健民主派の戦略は行き詰まり、若者を中心とした過激な主張が支持を増した。中国と香港の対立は激化し、19年の相次ぐ大規模デモを招いたが、中国は国安法と選挙制度変更によって力ずくで抗議活動を抑え込み、民主派を政治の舞台から排除した。
今や、民主化運動は完全に制圧されたかに見える。だが、著者は市民の意識調査などから、「彼らが次に何らかの情勢の変化が生じた際には行動を起こす可能性もある」と指摘する。香港の人々が再び立ち上がる日は果たしてくるのだろうか。
(近藤伸二・追手門学院大学教授)
倉田徹(くらた・とおる) 1975年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程修了。在香港日本国総領事館専門調査員、金沢大学人間社会学域国際学類准教授などを経て現職。著書に『中国返還後の香港』など。