「富士四湖」を「富士五湖」にした貞観噴火のすごさ=鎌田浩毅
「火山」としての富士山/4 西湖と精進湖を分けた貞観噴火/79
富士山の北西麓には「青木ケ原樹海」と呼ばれる広大な原生林がある。鬱蒼(うっそう)とした林の下にはごつごつした溶岩が見える。これは、平安時代中期の864~866年にかけて起きた貞観(じょうがん)噴火によって流れ出した青木ケ原溶岩である。
富士山で最大級の噴火である貞観噴火では、長さ6キロにわたる長大な割れ目ができ、その上に火口が数多くできた。そのうち、長尾山から大量の溶岩が流出し、「青木ケ原溶岩」と呼ばれる玄武岩の溶岩原となった。
この溶岩は、当時の北麓にあった大きな湖(「剗海(せのうみ)」と呼ばれる)の中に流れ込み、その中央を陸化して湖を分断して、現在の西湖と精進湖となった。すなわち、それまでの「富士四湖」が「富士五湖」になったのである。なお、青木ケ原溶岩は、現在の精進湖登山道付近に開いた割れ目火口から2カ月以上にわたって流出したと考えられている。
貞観噴火から1100年以上が経過し、樹海の地表には今、溶岩の流れを示す「溶岩じわ」や「溶岩樹形」が多数残っている。さらに地下をマグマが通った溶岩チューブ(溶岩トンネル)も見られる。溶岩の表面は早く冷えて固まるが、内部はまだ高温で溶けているために流動を続け、その抜けた部分が空洞となって残った地形である。溶岩洞窟としても有名な富岳風穴や鳴沢氷穴などはこうしてできた。
マグマの噴出量最多
2002年に剗海を埋め立てた溶岩の坑井掘削が行われた。その結果、青木ケ原溶岩のマグマの総量は14億立方メートルであることが判明し、有史以来の富士山の噴火では最も多量のマグマを噴出した噴火であったことが分かった。
その後、富士山の北麓では10~11世紀にも割れ目噴火が起こり、溶岩が大量に流れ出した。平安時代の937年に噴出した剣丸尾(けんまるび)第1溶岩で最大のものは、20キロ下流の山梨県富士吉田市まで流れている。実はこの時期には北麓だけでなく南麓でも噴火が起き、南北の火口が同時に活動したのではないかと考えられている。
ちなみに、今年3月に改定された「富士山ハザードマップ」では、想定される最大の溶岩噴出量が13億立方メートルとして計算された。この量は貞観噴火の噴出量が基準になっており、「溶岩流の可能性マップ」では、「大規模(13億立方メートル)」「中規模(2億立方メートル)」「小規模(2000万立方メートル)」の3段階に区分して図示されている。これによって溶岩流に伴う被害地域と到達時間を確認することができる。
富士山は火口によって貞観噴火のような北西と、1707年の宝永噴火のような南東とで異なるタイプの噴火をしてきたが、将来の噴火に対しては両方の側火口に対して準備・警戒が必要である。
■人物略歴
かまた・ひろき
京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授・名誉教授。1955年生まれ。東京大学理学部卒業。専門は火山学、地質学、地球変動学。「科学の伝道師」を自任。理学博士。