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「花形」から「ベンチャー」社員への転身 元テレビ朝日アナウンサー 大木優紀=ノンフィクションライター・石戸諭〈サンデー毎日〉

大木優紀さん
大木優紀さん

 「今、飛び込んだ方が楽しい」

 閉塞感の漂う時代に「風穴」を空けようとする人々を訪ねる隔週連載「挑む者たち」。3回目は、大手メディアの「花形」とも言えるテレビのアナウンサーを辞め、設立されたばかりの旅行代理店の社員に転身した女性が主役だ。決断はどのようになされたのか。

 日々どこかから流れてくる誰かの成功譚(たん)や人生の教えをスマートフォンで読みながら、もしかしたら……と思ってしまう瞬間が、たぶん誰にでもあるはずだ。あの時、自分だって決断していたら違った人生があったのではないかと思いながら、日々の慣れ切った仕事へと向かう。なにもかもが新鮮だった時期はとっくに遠のき、鋭敏だったはずの感性はすっかり鈍くなる。周囲の人たちが昨日までの延長線を仕方ないと思いながら歩くなかで、立ち止まり、別の方向に歩き始めた人は、それだけで異端だろう。

 2020年12月、テレビ朝日のアナウンサーだった大木優紀(ゆうき)は40歳を前にこんな決意をした。40歳から50歳に向けての10年は、自分が指名される仕事を増やして、テレ朝の名脇役になろう。現実的な目標である。

 アナウンサーといえど、会社員である以上異動はついてまわる。フレッシュな新人は毎年やってきて、キャリアを積んだアナウンサーは適性を見極められる。本人が希望しても、力が伴わなければ、椅子は無くなってしまうのだ。ところが彼女はある日、突然思い立ち、2022年に新しい仕事への転職を決めてしまう。

 それも眠れない時間に開いたスマートフォンで偶然読んだ、一つのブログを契機に――。

「どうですか。石戸さん、私、本当に転職しちゃったんですよ」

 渋谷駅から徒歩数分のビルにある「令和トラベル」のオフィスを訪ねると、テレビ時代と変わらない快活な大木がそこにいた。私が独立したばかりの頃、右も左もわからないまま出演オファーを受けたニュース番組で、キャスターを務めていたのが彼女だった。進行は的確で、コメンテーターの言いたいことをきちんと引き出し、まとめていく力があった。

 昨年秋、突然の退社報道が出た時、私がまず思ったのは「意外だな」ということだった。理由は二つある。第一に打ち合わせでも、CM中の雑談でも彼女が一貫していたのは「私にはフリーでやっていく力はない。だから会社をやめずに伝えていく仕事を続けたい」と言っていたことだ。事実、報道が出る直前まで夕方のニュース番組でコーナー担当を任されていた。

 第二にアナウンサー職ではなく、一会社員として転職を決めてしまったこと。彼女が入社した「令和トラベル」は2021年4月に始まったばかりの若いベンチャー企業である。スタートアップ業界では知られた起業家、篠塚孝哉が創業し、資金調達にも成功したポスト新型コロナ時代の旅行代理店と目されている。その特徴といえば、とにもかくにもデジタル化、スマホに最適化された形でユーザーが旅行プランを組めることにある。したがって、会社の雰囲気はほとんどIT企業に近い。中心は20~30代で、出社している全員がMacBookを開き、大型のディスプレイと連動させながら画面に向き合い、ある人はオンラインで打ち合わせを、ある人は開発中の自社アプリを磨き上げるため、ホワイトボードに課題とQ&Aを書き出していた。

「渋谷のIT企業じゃないですか」と私が話しかけると、彼女も「そうそう。旅行会社だと思って応募したら、予想以上にIT系でわからない言葉も多いんですよ。人間の想像力なんてそんなもんですよね」と言って、笑った。

 1980年生まれの大木がテレビの、それもアナウンサーを志望したのは漠然とした憧れからだ。幼少期に偶然流れてきた、NHKの夜のニュース番組で女性のアナウンサーがアンカーを務めていた。母親が「この人の後ろには、やりたい人がたくさんいて、一つのニュースを伝えるのにも多くの人が関わっているんだよ」と言った。テレビで伝えるというのはすごいことなのだ、と思った。これがアナウンサーという職業を意識した最初の経験である。

 これだけなら誰にでも起こりうることかもしれない。彼女には、憧れが具体的な目標になるという偶然も重なった。高校時代に通っていた塾の講師だった学生に、アナウンサー試験を受けていた女性がいた。最終的に惜しいところまでいきながら、どの局からも内定を逃してしまった。塾の先生から「尊敬する先輩」に関係が変わっていた彼女は、大学生でキャリアを考えはじめた大木に言った。

「あなたはアナウンサーに向いていると思うよ」

 手に職をつけてキャリアを磨こうと、公認会計士試験の勉強も同時に進めていた彼女にとって、試しに入社試験を受けるだけ受けてみよう、と思うには十分な動機だった。結果的にあれよあれよという間にテレビ朝日から内定が出て、彼女はテレビの世界に身を投じることになった。

 ヒット番組にも恵まれた。くりぃむしちゅーが司会の「くりぃむナントカ」にアシスタントMCとして出演が決まる。バラエティ番組の雰囲気にぴたりとハマる明るいキャラクターの「大木ちゃん」は視聴者にも好感をもって受け止められ、一気にテレ朝の人気アナウンサーへと駆け上がっていった。

「うーん、でも私は迷っていましたよ。あれはくりぃむしちゅーさんと番組スタッフによる『大木ちゃん』で、裏ではいつも反省ばかりしていました。バラエティとはいえ、アナウンサーですからきちんと進行をすることが本業なんですよ。でも、番組の空気を盛り立てていくようなリアクションや笑いを取ることだってやっぱり求められるし、そこに個性がついてこないと『大木じゃなくてもいい』となってしまう。番組の空気に馴染(なじ)みすぎればアナウンサーらしくない、進行に徹しても誰も評価してくれない。結局、どの選択にも答えはない」

 答えのなさを楽しむには若すぎたのかもしれない。だが、結果はついてきた。バラエティ、スポーツ、情報番組と担当を割り振られたことで、フィールドは広がり、経験を積む中で自分自身の最適解を徐々につかんでいった。

オフィスの外には渋谷の街が広がる
オフィスの外には渋谷の街が広がる

 入社募るサイト記事 「新しい人生」を予感

 結婚と出産を経て、テレビ朝日に復帰するとそこにはもう一つ別のフィールドが待っていた。軸足が報道番組に移ったことだ。多くの職場がそうであるように、2010年代に入っても、女性が仕事に復帰するハードルは格段に高い。出産後、復帰した先輩アナウンサーを見ても、たとえば育児をしながら帯番組に出続けることの困難さはあるように思えた。事実上、彼女は自分で自分のキャリアを切り開くことになった。すべての番組を降板し、産休・育休に入るということは、すべての仕事が復帰時には無くなることを意味している。しかも、周囲はキャリアを積んだアナウンサーに、若手時代のように「あれも試してやろう」「次はこっち」とチャンスを与えることはない。自分で仕事を取りに行く、そのくらいの気概がなければいけないのだと彼女は悟った。

 0歳から保育園に預けた長女、長男の育児を夫と分担し、BSの報道番組、インターネットで昼ニュースのキャスターなど仕事の場を広げた。特にインターネット番組「けやきヒルズ」(AbemaTV)は決定的な転機だった。テレビ以上にアナウンサーが自分の言葉でニュースを伝える時間がそこにはあった。原稿を読むことに加え、ニュースの要点をまとめたパネルの解説も求められ、しばしば打ち合わせた内容から脱線していく専門家やコメンテーター陣――その一人は私だった――とのやりとりも彼女が仕切っていた。地上波のバラエティ以上に正解のない空間、予定調和が絶対に生じない生放送を彼女は楽しんでいた。

 インターネットのニュース出演を終えて、テレビで夕方のニュースを担当すると決まってからも「自分の言葉」で語る時間を大切にしているように思えたのだが……。そこで、話は冒頭に戻る。

 ある日、眠れなくなった彼女はネットサーフィンの先に、「note」のある記事に辿(たど)り着いてしまった。篠塚が記した「【長文】株式会社令和トラベルはじめます。」だ。1万字超の分量を読み進めると、創業にあたっての思いや狙いが記された最後に太字で「今、もっとも伝えたいことは、そんな船に乗ってくれる仲間を全力で探しているということです」とあった。自分もそこに加わりたい、と感じた。ほんの数カ月前に立てた目標よりも、新しい人生が待っている気がしてしまったのだ。

 直感を拒む理由はいくつもあった。給与が恵まれており、ベンチャーより安定しているテレビ局を出る理由は? 社会人になってアナウンサーしかやってきていない自分に何ができる? 冷え込んでいると散々報じてきた海外旅行業界に?と自分に問い返してみたが、一週間考えても「今、飛び込んだ方が楽しい」以上の答えは出なかった。驚いたのは、応募フォームから面接を担当した「令和トラベル」の社員たちの方だった。それもそうだろう。テレビで見ていたキー局のアナウンサーが送ってきたのだから。もっとも採用の過程は他となんら変わらず、一人の応募者としてフラットに扱われた。

 慣れるだけで精一杯 「新卒」に戻った感覚

「やりたいことは絶対に聞かれると思ったんですよ。なんて言ったと思います? 私は令和トラベルの〝スポークスマン〟役をやりたいって言いました。具体的なことは何も言えないけど、とにかくやりたいって思いだけを伝えたんですよ」

 何度かのオンライン面接を繰り返し、内定が決まったあと、退社の意向を伝えた。ある同僚は「いいなぁ大木。もうちょっと若かったら、自分も挑戦したかもな。大きな声じゃ言えないけど」と祝ってくれた。最後まで泣かないと思っていたが、10月の最終出社日に方々への挨拶(あいさつ)を終えて、多かった荷物をまとめて夫が運転する車に詰め込んで、六本木の社屋を後にした時、18年間流したことがなかったような量の涙が流れた。達成感と安堵(あんど)感、ほんの少しばかりの後ろ髪を引かれる思いと。全てが入り交じった涙だった。

 多様性を経営に活(い)かしていくD&I、社員間の連絡やコミュニケーションに使うビジネスツールSlack、そして全員がMacBookを開いて参加するミーティング……。会社のYouTube配信のために台本を書き、やってくる取材に立ち会って、「こちら側」から取材を見ながらコメントのアドバイスを送る。まだまだ慣れるだけで精一杯の日々だが、がむしゃらだった新卒時代に戻ったような感覚が戻ってきたという。 転職が「意外」という私の考えは少し、間違っていたのかもしれない。30代からのステップアップで達成する「名脇役」は難しいが、新しいものではない。ならば、アナウンサーという社会経験を携えて次へ挑戦する。育児を経ての職場復帰という実は高いハードルを越えてきた彼女には、このくらい難易度が高い挑戦こそふさわしい。

 オフィスの入り口に「酉(とり)の市」で手に入れたとても小さな熊手が飾ってあった。商売繁盛を願う縁起物である。

「大木さん、これ……」

「新型コロナが収束したら、すぐに事業で収入をあげようってみんなで準備をしています。今年でもう少し大きく、来年再来年でもっと大きな熊手にするんです。成長していきたいですからね」

 大木優紀、元アナウンサー。肩書を軽やかに変えて、次に動き出す。

(文中敬称略)

(撮影・中村琢磨)

いしど・さとる

 1984年、東京都生まれ。2020年「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。21年『「自粛警察」の正体』(文藝春秋)で、PEPジャーナリズム大賞を受賞。新著に『東京ルポルタージュ』(毎日新聞出版)

「サンデー毎日2月6日増大号」表紙
「サンデー毎日2月6日増大号」表紙

 1月25日発売の「サンデー毎日2月6日号」には、他にも「読売との包括協定の内実とは?維新とメディアの危険な関係 維新共同代表馬場伸幸×新聞記者望月衣塑子」「オミクロン撃退 3回目接種、遅れた元凶」「本誌独占 全国177国公立大『合格』ボーダーライン 共通テスト『38点ショック』でも志望校貫徹のワケ」などの記事を掲載しています。

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