「佐渡島の金山」世界遺産推薦で安倍元首相が高笑いしたワケ=伊藤智永
保守派が力誇示した佐渡金山 安倍元首相の高笑い=伊藤智永
衆院予算員会で本格的な論戦が始まった1月24日、一番最初に質問した自民党の高市早苗政調会長が開口一番切り出したのは「佐渡島(さど)の金山」問題だった。昨年末、文化庁文化審議会は新潟県の佐渡金山をユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産登録の推薦候補に選定したが、政府は「戦時中の強制動員現場だ」と撤回を求める韓国に配慮して今年の推薦を見送るのではないか、と突き上げたのだ。
新型コロナ感染症の第6波、ロシアのウクライナ侵攻圧力、金融市場の動揺、北朝鮮の連続ミサイル発射、中国情勢……。山積する重要課題を脇に置き、真っ先に佐渡金山を取り上げたのは、総裁選で高市氏を推した保守派の勢力を、改めて岸田文雄首相に見せつける意図が露骨だった。
安倍チルドレンが一斉に
背後にいたのは、総裁選で高市氏陣営の指揮を執った安倍晋三元首相だ。「論戦を避けるかたちで登録を申請しないのは間違っている。日本の誇りと名誉を守るため堂々と反論すべきだ」。安倍派の会合やメディアの取材で勇ましく主張。号令に応じたとも見える形で「安倍チルドレン」たちが一斉に動いた。高市氏の質問の翌日、安倍氏が顧問の議員連盟「保守団結の会」は久しぶりの会合を開き、政府は毅然(きぜん)と申請すべきだと決議し、首相官邸に提出しようとした。面会を避けた官邸の対応が困惑ぶりを物語る。保守派の攻勢を察知した官邸は、前週末に岸田首相の最側近、木原誠二官房副長官が記者会見で「佐渡の金山に関する韓国側の独自の主張は日本側として全く受け入れられない」と予防線を張っていたが防げない。議連決議の3日後、あっけなく推薦する方針に転換した。
長年、強制労働の歴史検証に取り組む市民組織「強制動員真相究明ネットワーク」によると、戦時中、同鉱山には約1500人の朝鮮人労働者がいた。500人以上の名簿、未払い金史料、配給台帳、逃亡者検挙記録などが残っている。『新潟県史 通史編8近代3』(1988年)の「強制連行された朝鮮人」の項には「昭和14年(39年)に始まった労務動員計画は、名称こそ「募集」「官斡旋(あっせん)」「徴用」と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった」とある。
新潟県相川町(現佐渡市)の『佐渡相川の歴史 通史編 近・現代』(95年)にも「佐渡鉱山の異常な朝鮮人連行」として具体的な記述がある。92年には「強制連行被害者」を招いた証言集会も開かれたという。最後の生存者とされたイム・テホさんは97年、亡くなる直前にも真相調査団に体験を証言した。今も神奈川県川崎市に暮らす高齢の娘さん二人に韓国メディアが1月に取材し、報じた。
ユネスコの世界遺産委員会(締約国から選ばれた21カ国で構成)には、歴史認識を巡る対立を念頭に、推薦前に「当事者間の対話」を促す指針がある。世界遺産登録は、委員国の3分の2以上の賛成で決まるが、実務的に全体の合意を基本に運営されているからだ。
歴史的資料を後世に引き継ぐ「世界の記憶」(旧記憶遺産)については2021年4月、加盟国が反対すれば登録されない「異議申し立て制度」が導入された。中国の申請で「南京大虐殺」などが世界記憶遺産に登録されたのを受けて日本の主導で作られた。その流れで同7月「当事者間の対話」指針も採択された。主導した日本が「対話」を怠れば、国際的に信用されない。
ナショナリズムの危うさ
外務省は木原官房副長官の会見後も抵抗したが、参院選前に保守派の機嫌を損ねたくない官邸の保身に押し切られ、泥をかぶらされる羽目になった。外務省幹部は「韓国の異論に委員会が難色を示して登録が見送られたら、多分もう次はない」とため息をつく。北朝鮮の相次ぐミサイル発射で日米韓の連携が試され、韓国大統領選後に日韓関係再構築の糸口をつかむ大事な時期に、とんだ火の粉が振ってきた。しかし、自民党内で「目をつぶって(推薦を)出してしまうのではなく、しっかり(登録を)通す地合い(環境)を作るのが必要ではないか。ただ出せばいいものじゃない」(福田達夫総務会長)といった良識論の声はか細い。
保守派は勢いづく。しばらく休眠状態だった「伝統と創造の会」(稲田朋美会長)も1月、会員を50人以上に増やし、安倍氏を最高顧問に迎え活動を再開した。元々は小泉純一郎政権の女性・女系天皇容認政策に反対して集まったが、選択的夫婦別姓に理解を示す稲田氏に失望した「伝統的家族」観を重視する議員らが「保守団結の会」に分裂した経緯がある。稲田氏は男系男子による皇位継承維持など安倍氏好みのテーマを掲げ直した。岸田官邸のキーマンである木原氏も会の幹部として名を連ねる気の配りようだ。
安倍氏は両方の会に君臨する。手応えに満足なのだろう。1月末の安倍派総会で挑発した。「国会で岸田さんが時に机をたたき気味で反論された。私、ああいうのが好きです。時には言い返す、ガチンと言うことが大切だ」。首相在任中の自分を見習えと言わんばかり。ナショナリズムの論理と用語は大衆に通りやすく受けがいい。だが、それで失敗した政権も歴史上、枚挙にいとまがない。
(伊藤智永・毎日新聞専門記者)