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メディア空間にもっと〝分断〟を煽りたい ABEMA Primeプロデューサー・郭晃彰=ノンフィクションライター・石戸諭

「ニュース」でテレビと違う切り口を追求する
「ニュース」でテレビと違う切り口を追求する

 挑む者たち/19

 閉塞感漂う時代に「風穴」を開けようとする人々を訪ねる好評連載。今回は、オールドメディアのテレビ局社会部記者からインターネットニュース局に転じた30代男性だ。ネットニュースは地上波とどう違うのか、そしてどんな葛藤があるのか。その深層を探る。

 インターネットは、マスメディアの存在理由を決定的に変えてしまった。ほんの数年前まで、長いテキストはネットには馴染(なじ)まないといわれていたが、今ではそんな指摘をする人はいなくなってしまった。短いエンタメ系の動画ならともかく、数十分単位のニュースを扱う動画など誰も見ないといわれていた。これも過去の常識になった。テキストでも、動画でも起きたことは同じだ。そして、課題もまた似通っている。

 ネットはニュースへの新しい関心を掘り起こし、新しい経済圏と議論の場はできた。だが、社会の複雑さへの関心を広げる動きは弱すぎる。ある人物の好き嫌い、自分たちの常識とは異なる異様な集団への嫌悪ばかりが動力になり、極論ばかりが広がっていく。テレビ朝日の社会部記者から、インターネットニュース番組の雄「ABEMA Prime」、通称アベプラのプロデューサーになった郭晃彰(かくてるあき)もまた葛藤を抱えながら、次の時代の価値観を見つけようとしている。

 郭は1987年に生まれた。育ったのは、神奈川県大和市である。「在日」という言葉も、在日コリアンの家系に生まれたことを意識する機会はほとんどといっていいくらいなかった。10代で夢中になったのは部活のゴルフと、高校では会長を務めた生徒会活動だった。

 早稲田大学に入学した郭は、高校時代の先輩のもとを訪ねた。先輩の生徒会長も早稲田に進学しており、なにか楽しく学生生活を送れるサークルはないかと聞きにいったのだ。

「変わったサークルがいいなら、大隈講堂の前に行ってみたらいい。新歓でコンドームを配っているサークルがある」

 確かに「qoon」と名乗るサークルが、一角を陣取って活動していた。興味本位で彼らの主催イベントに参加したことで、人生は少し変わった方向へと動き出す。サークルのコンセプトは、入り口=エンターテインメント、出口=社会問題だと紹介された。コンドームを配っていたのは、性行為によって感染するHIVへの関心を高めること、過去の薬害エイズ問題を知ってもらうというのが狙いだった。郭はそのままサークルに入り、やがて活動にのめり込んでいく。

 薬害エイズ訴訟――。「厚生省が承認した非加熱血液製剤にHIVが混入していたことにより、主に1982年から85年にかけて、これを治療に使った血友病患者の3割、約1400人もがHIVに感染しました。被害者はいわれなき偏見により差別を受け社会から排除され、さらに感染告知が遅れ、発病予防の治療を受けなかったことに加え、二次・三次感染の悲劇も生まれました」(はばたき福祉事業団ホームページより)

 郭にとっても、過去の歴史は知らないことばかりだったが、当事者の話を聞くことは何より刺激的だった。自分以外、全員がHIV陽性者と一緒に鍋を囲む。頭では、感染はしないとわかっていても、最初はやはり「大丈夫だろうか」という思いが先に立つ。それでも酒を酌み交わし、鍋の具材が減る頃になると、自分が持っていた偏見は消え去っていく。彼らも講演やインタビューといった表の場とは違う表情を見せ、より率直な言葉を聞かせてくれるようになった。メディアで語られる当事者像は〝かわいそうな被害者〟だったが、当たり前だが彼らにも一人一人の人生がある。

 知り合った人物の一人に、薬害エイズ訴訟の中心メンバーだった大平勝美がいた。彼自身は酒を飲まなかったが、飲み会にはよく顔を出していた。ある宴席で大平は、郭にこんなことを言った。

「もし自分が世界に興味を持たなかったら、HIVに感染しなかったよ」 ぽつりとつぶやいた一言が重たかった。血友病患者だった大平は幼少期、治療で外に出られない時間、ずっと地球儀をながめ世界旅行を夢見ていた。血液製剤による治療を受ければ、海外旅行もできるということが人生の希望だった。ところが、その希望だった血液製剤にHIVが混入していた。

 大平は訴訟だけでなく、HIV陽性者の障害認定や医療体制の整備にも力を入れた。仲間を失うケースも決して少なくなかったが、血友病患者会の枠を超えて、性交渉でHIV感染が広がっていたゲイのコミュニティーとも「一緒に生きよう」と連携し、治療の研究にも協力した。前を向いて進む姿は魅力的だったが、その根底にあるかすかな後悔に、郭は人としての魅力を覚えた。一面的ではない人間の姿を描き、伝えていきたい。そう思った時、テレビというメディアは最適なものに思えた。

違いをおもしろがれるメディアを作りたい
違いをおもしろがれるメディアを作りたい

 なぜワイドショーで著名人の恋愛ネタをやるのか

 テレビ朝日に入社し、最初に配属されたのは早朝の情報番組だった。ワイドショーという仕事を軽くみていたが、そこには仕事の基礎が詰まっていたのだ。

 ある日、アメリカから映画俳優の訃報が飛び込んできた。葬儀には、彼の前妻も参加していた。映像をなんとか見つけ出したものの、前妻の姿を真正面からはっきりと捉えたものではなく、それと言われればわかるというぼんやりとしたものだった。こんな情報はどうでもいいのではないか、と思って使用を見送った。100人近いスタッフが集った全体反省会で、当時の上司はディレクターになったばかりの彼を叱責した。理由はこうだ。

 なぜワイドショーで、著名人の恋愛や葬儀のネタを使うのか。それは、恋愛あるいは人間関係の「教科書」だからだと上司は説明した。フィクションの世界ではなく、現実の世界でどんなプロポーズをした、どんな結婚式を開いた、どのような葬儀で誰が来たか……といった話は、多くの人は芸能ニュースでしか話題にしない。前の妻が参列したという情報をうまく磨くことは、新しい夫婦関係のあり方、価値観の変化を伝えることになる。何を伝えるかを、深く考えていないから、わざわざおもしろいネタを放置してしまったのではないかというのだ。

 上司は彼にワイドショー流の「おもしろがり方」を伝えていた。目の前の情報と真剣に向き合い、たった2秒なら2秒の映像を使い、伝えたいストーリーを作ることもできるのだ、と。

 社会部記者に異動した郭は、一本のVTRを作った。ヘアドネーションに携わる美容師を取り上げた企画だ。病気などで髪をなくしてしまった子どもたちに、医療用ウイッグを作るという活動である。美容院などでカットした長い髪の寄付を受けて、本物の髪で作る。著名人が「世間を騒がした」懺悔(ざんげ)のために、長い髪を切るという話が芸能ニュースをにぎわせていた時期でもあった。ただ切るのではなく、切った後にも使い道があることを伝えたいと思った。入り口はエンタメニュース、ワイドショーの芸能ネタだが、出口はきっちりと社会問題に落とし込む。

 仕事のおもしろがり方をわからなかった時期は、3年で辞めて、NPOやソーシャルビジネスの世界に転じようと思っていた。だが、伝えるという仕事は底知れぬ魅力があった。一つ、また一つと仕事を重ねて、彼はインターネットの世界に飛び込んだ。

 テレビでは考えられないような自由

 2016年、東日本大震災・福島第一原発事故から5年、テレビ朝日の報道を検証するドキュメンタリー「その時、『テレビ』は逃げた~黙殺されたSOS~」の制作チームに加わった。しばらくルーティンワークを外れていた郭に、そのままテレ朝とサイバーエージェントが共同出資して同年4月に本開局した「ABEMA」(当時は「Abema TV」)に応援にいってほしいと依頼があった。最初は「会社に言われたから……」くらいの気持ちでしかなかったが、いざ始めてみると思いがけず魅力的な職場だった。

 ドキュメンタリーやニュース番組の特集は評判もついてきたし、手応えもあった。しかし、自分は大勢の中の一人という感覚でしかなかった。せっかく通った企画も、デスクの手が入った瞬間からどこか自分の手を離れていくように思えた。それがテレビというものだと納得させてきたが、インターネットでは何もかもが自由だった。

 たとえば人も企画も不足していた開局当初はスタッフ3人で20分の番組を作っていた。視聴者が喜ぶのなら、何をやってもよいというのだ。開局の目玉だったニュース番組もまた同様で、企画だけでなく出演者の選定まで、テレビでは考えられないような自由があった。無論、自由を謳歌(おうか)するにも力がいる。

「王道のニュースを扱い、しかし、テレビとは違う切り口を追求する。そこで、ネットのマスコミ批判にも応えようと決めました。自死を連鎖させる自死報道、セカンドレイプにつながる伝え方、過剰なメディアスクラム……。どれもアベプラで、時間をかけて検証してきました。僕も最初は知らなかったけど、ユーザーが教えてくれたんです」

 地上波とは違い、一つのテーマを30分以上かけて掘り下げ、スタジオでは専門家を招いて、芸能人や著名人が議論を交わす。予定調和で終わらない一つのスタイルが完成し、時に専門家も地上波以上に言いたいことが言えると出演を喜ぶようになった。だが郭には、まだメディアとしてのポテンシャルを生かしきれていないという思いが残った。それは何か。

「インターネットには、分断が足りないんですよ」

 思い出すのは成人式前日のことだ。彼は意を決し、父親に「あんたは一体、何人だ」と聞いた。父は両親ともに在日コリアンの家庭に生まれたこと、通名を使うのではなく本名のまま、日本国籍を取得したと語った。生まれた名前に誇りを持ち、しかし、自分は日本で生まれ育った日本人という自意識があるから、そう決断した。それが父の考えだった。

「俺の手を切ってみるか、晃彰? 赤い血が流れるだけだ」と言った。

 成人式当日、高校の同窓会で、郭は同級生に自身のルーツを初めて語った。

「実は俺、在日だったんだよ。みんなと違うんだ」

 思い切った告白だと思ったが、友人たちの受け止め方は違った。

「いや、元から違うと思っていたよ。親も郭くんの家は違うって言ってたし」

 自分はずっと周囲と同じだと思っていたが、友人たちは違うという認識で接していた。当時は、その事実に小さくないショックを受けていたが、今となってはそれでいいと思っている。人はそれぞれに違っていて、お互いに違うという一点を共通点につながったり、仲良くしたり、適切な距離を置いたりすることが可能になるからだ。ネットはむしろ、過剰な共感とつながりを呼び込んでいる。同じ考えで固まっているように見えるが、本当は一人一人、もっと違うはずだ。彼が目指すのは、その先、違いをおもしろがれるメディア空間である。

「僕はもっと〝分断〟を煽(あお)りたい。でも、自分だけが変わっていくだけではダメですよね。メディアも、メディアで作る側も変わっていかないと」

 紆余(うよ)曲折を経て、入り口は作った。では出口は? 彼の挑戦はこれからが本番である。

いしど・さとる

 1984年、東京都生まれ。2020年『ニューズウィーク日本版』の特集「百田尚樹現象」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。21年『「自粛警察」の正体』(文藝春秋)で、PEPジャーナリズム大賞を受賞。新著に『東京ルポルタージュ』(毎日新聞出版)

「サンデー毎日10月9日増大号」表紙
「サンデー毎日10月9日増大号」表紙

 9月27日発売の「サンデー毎日10月9日増大号」には、ほかにも「東京五輪汚職 コレが腐食の構図だ!特捜部が狙う本丸 『バブル』『スポーツ』に巣くった高橋兄弟の血脈」「〝爆笑〟役立ち対談 ぶっちゃけ『鎌倉殿』 東大史料編纂所教授・本郷和人×時代劇研究科・ペリー荻野」「ワンマン宰相へ『100人の弔辞』 1967年・吉田茂元首相国葬 サンデー毎日が見た100年のスキャンダル」などの記事も掲載しています。

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