資金不足の今こそ図書館が地域の核になる好機 永江朗
図書館の変化の背景には、変わらないと存続できない、待ったなしの厳しい現実があることも事実だ。
自治体が図書館を支えきれない
誰もが自由に出入りでき、本の貸し出しや資料の閲覧などのサービスを受けられる図書館。これらはすべて無償で行われるため、収入はない。それでも公共図書館が存続できるのは、地域社会に必要な文化施設として認められ、そこに税金が投入されているからである。
しかし長引く不況のため財政の逼迫(ひっぱく)した自治体も多く、従来とは異なる運営に踏み切る図書館が次々に現れた。必要に迫られた変化の実態と、今後への期待を述べてみたい。
カフェ併設など複合化
21世紀に入ってからの図書館の大きな変化の一つは、公共図書館の運営を民間組織に委託できるようになったことである。2003年に地方自治法が改正され、指定管理者制度が導入されると、ジリ貧の自治体は運営のノウハウを持つ民間企業などに管理を委託するようになった。
例えば佐賀県の武雄市図書館。ここは民間書店である東京の代官山蔦屋書店を手本とする図書館で、指定管理者は蔦屋書店を運営するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)である。年中無休で9時から21時まで開館するなど公共図書館としては異例のサービス拡大に努め、大きな話題になった。当初は図書館の貸し出しカードにTSUTAYAの「Tカード」を使ったため、個人情報流出の危険を巡って批判も多かったが(現在は「図書利用カード」といずれかを選択できる)、同館が曲がりなりにも成功できたのは、施設内にカフェを併設すればどうにか継続できることがわかったからで、これはいま書店で起きていることと同じである。書店が、書籍・雑誌を売るだけでは厳しく、人件費削減ももう限界となるとカフェやコワーキングスペース、塾といったサイドビジネスで稼ぐしかないという「複合化」に踏み切り、利用者への理解が周知されたことと軌を一にしている。
とはいえ課題も多く、指定管理者制度を採用する自治体の首長や議会がその意義をよく理解しているかどうかは疑問である。民間に委託すれば自動的に素晴らしい図書館になる、しかも従来のような自治体全面負担でなく指定管理者に管理費を払うだけだから予算も安く済む、とだけ考えているケースも多いのではないだろうか。
米では館長が寄付集め
そして今後の図書館が避けて通れないのはお金の問題だ。ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマン監督の作品に「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」(2017年)という映画がある。ここは本館のほかに分館が実に92館もあり、6000万点におよぶコレクションで有名な、世界中の司書が憧れる図書館だが、その運営の舞台裏を克明にカメラが追う内容である。
この映画の中で私がいちばん衝撃を受けたのは、館長たちの寄付集めだった。同館のレファレンスやサービス内容が素晴らしいことは有名で、ジャーナリスト・菅谷明子さんの『未来をつくる図書館 ニューヨークからの報告』(岩波新書)などで知っていたけれども、それを成り立たせるためにはお金集めがどうしても必要だ。そのための苦労と努力を、館長はじめ職員たちが日々議論しながら行っている。ここがニューヨーク「市立」ではなく「公共」図書館であるゆえんである。
今後は税金以外のお金の入れ方を真剣に考えるべきで、私は利用にあたっての有料化もタブー視すべきではないと考える。もちろん、図書館が無料で利用できることは重要な原則だが、美術館や博物館、文学館などは実際、有料にしているところがほとんどだ。
図書館と経済を結び付けて考えてこなかったのは、これは指定管理者制度導入の動機ともつながるが、図書館を評価する指標が来館者数・利用者数や貸出冊数などの「数字」しかないことが問題の根底にあるようにも思う。来館者の属性の傾向や、どのような本が多く借りられているかといった分析、本の並べ方など「質」を注視しているとは思えない。予算を握っているのが首長や議会だとして、たとえば区立図書館を利用している区議はどれくらいいるだろうか。現場の実態を知らずに数字だけで判断しているわけで、彼らを納得させる指標を図書館側も提示しなければならない時期に来ている。
街の個性と連携せよ
コロナ禍のせいで私自身、ふらりと目的もなく図書館を訪れる機会は減ってしまったが、以前は取材や打ち合わせで訪れる街の図書館をよくのぞいた。その地域ならではの特徴があって楽しいからだ。在日韓国朝鮮人の多い東京・新大久保の図書館は外国語の資料が多いとか、大田区馬込の図書館は関東大震災後に多くの文士、芸術家がこの地に移り住み、互いの家を行き来して交流を深めた馬込文士村についての部屋があったりとか。私立ではなんといっても大宅壮一文庫が重要で、雑誌のインタビュー仕事は大宅壮一文庫の資料を活用することなしにはできなかった。
課題の多い日本の図書館だが、変革の動きは随所に出てきている。山形県川西町の町立図書館と遅筆堂文庫では、作家の故井上ひさし氏の蔵書をまるごと引き受けて地域に開放しているし、長野県塩尻市の市民交流センター「えんぱーく」内にある市立図書館に行った時は、館内のあちこちのテーブルで中学生が集まって勉強していたり、お年寄りたちが共同で何か手づくりしているのを見て、図書館がコミュニティーの核として機能しているのを実感した。
東京都では千代田区が新しい図書館作りに積極的で、イベントの盛んな日比谷図書文化館(旧都立日比谷図書館)では、私も作家のいとうせいこうさんとトークをしたことがある。また『週刊エコノミスト』編集部の目の前にある千代田区立図書館もさまざまな企画展示や来館者参加型のイベントに積極的だが、ここに夜に行ったら子どもたちがけっこういて、びっくりしたことがある。どうやら近隣で働く人が残業するとき、「学童保育が終わったら図書館で待っててね」と子どもに言い聞かせているようで、なるほど図書館なら大人の目も届くし、子どもたちも本を読んでいられるし。そうか、こんな使い方があるのかと感心した。
図書館は本を貸し借りするだけでなく、地域の核となり、コミュニティー作りに貢献できる貴重な場所。行政の管轄下にあった日本の図書館には画一的なイメージがあったかもしれないが、これからは従来のままではやっていけない。それは危機であると同時に変革のチャンスでもある。それぞれの街の特性を反映しながら、個性的で多様な図書館が次々に生まれることを期待している。
(永江朗・コラムニスト)