挑み続ける100年企業 八海醸造社長、南雲二郎
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南雲二郎 八海醸造社長/57
清酒「八海山」で知られる新潟県の八海醸造。今年で創業100周年を迎えながら、品質向上にあくなき意欲を燃やし、新規事業や海外展開にも果敢に挑戦する。3代目として会社を引っ張る南雲二郎社長の胸中に迫った。(聞き手=内田誠吾・ジャーナリスト)>>これまでの「ロングインタビュー 情熱人」はこちら
── 八海醸造(新潟県南魚沼市)は今年で創業100周年を迎えました。昨年3月には北海道ニセコ町で、ウイスキーやジンを製造・販売する「ニセコ蒸溜所」をオープンさせました。
南雲 ニセコ町には雪国リゾートのあり方を学ぶために10年以上通う中で、人と人とのつながりができました。ニセコ町はウイスキーを造る環境としても適していますが、海外富裕層の観光客が多く、海外に向けて日本酒の良さを知ってもらう窓口にもなります。ニセコ町は夏場の観光資源を求めていたので、そのニーズにも応えたと思います。
「流行ではなく、淡麗でバランスの取れた食中酒の役割を担うのが私たちの伝統」
── なぜ日本酒メーカーがウイスキーを?
南雲 酒造会社は加工業なので、はやりに乗ることが多く、個性を尊重しない傾向があります。淡麗がはやれば淡麗を造り、濃厚な酒がはやれば濃厚な酒を造ってしまう。しかし、私たちは淡麗でバランスの取れた酒しか造りません。なぜなら、食中酒としての役割を担うというのが私たちの伝統だからです。
それに対し、ウイスキーは理想的なものを造るためには10~20年くらいが必要です。はやり廃りに任せて造れるものではなく、とても魅力的に見えました。ニセコ蒸溜所に新潟の燕三条をはじめとした日本の伝統製品の販売スペースも設けているのは、同じように長い時間をかけて作られた高度な技術が用いられた製品を紹介したかったからです。
── 昨年12月には、米ニューヨーク州でクラフト(作り手が手をかけ少量生産する商品)の清酒を生産する2016年設立の「ブルックリンクラ」と資本業務提携しました。
南雲 世界では日本食がブームになっており、日本酒は世界のスタンダードな日常酒になるポテンシャルがあると思っています。そのためには、ワイン、ウイスキーなどのように、現地の人が現地の米、水を使い、日常酒を造ることが大切です。まずは技術伝承や人材交流などを進め、日本酒や当社の認知度を高め、人的ネットワークも広げていきたいと思っています。
「米、麹、発酵でものづくりをしようと決めた」
── ウイスキーだけでなく、以前から焼酎、甘酒など多角化を進めていますね。
南雲 全国の日本酒類課税移出数量の推移をみると、1989年は750万石(1石=約180リットル)でしたが、18年までには300万石を割っています。一方、八海醸造の石高は、89年は9000石でしたが、01年には3万石に達しました。最高は3万4000石で、20年近く3万石台をキープしています。ただ、私たちの石高は増加してきましたが、これは長く続かないと思います。
嗜好(しこう)品は市場シェアが3%で(拡大が)止まるといわれています。私たちは3万石とシェアは1%なので、まだ伸びる余地はあるように見えます。しかし、低価格酒を除いて考えれば、全国では嗜好品としての日本酒は合計で100万石も造られていないはず。すると、嗜好品としての日本酒のシェアはやはり3%と考えることができます。日本酒だけに頼っていけないので、米、麹(こうじ)、発酵をテーマにしてものづくりをしようと決めたのです。
「八海山」を主力に成長
酒どころの新潟県。国税庁によると、新潟県は日本酒の酒蔵数88軒(21年)と日本一だ。中でも、八海醸造の位置する魚沼地方は、200年以上の歴史がある蔵元も数多く、1922(大正11)年創業の八海醸造は蔵元としては若い。それでも、魚沼地方から望む霊峰に由来する日本酒「八海山」を主力銘柄に、新潟県内の日本酒メーカーでは売上高でトップクラスの規模に成長。創業者の祖父・浩一氏から数えて3代目の南雲さんは、97年に社長となって以降、「八海山」のブランドを守りつつ多角化によって八海醸造を…
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週刊エコノミスト
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