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「雑草という草はない」 牧野富太郎に共感した天皇 社会学的皇室ウォッチング!/69 成城大教授・森暢平

顕微鏡を前にした皇太子時代の昭和天皇(1925年12月、赤坂御所の生物学研究室で 宮内庁提供)
顕微鏡を前にした皇太子時代の昭和天皇(1925年12月、赤坂御所の生物学研究室で 宮内庁提供)

 4月3日から始まったNHKの朝ドラ「らんまん」。主人公のモデルは、日本の植物分類学の父と呼ばれる牧野富太郎博士である。牧野は昭和天皇にも大きな影響を与えた。

 昭和天皇の言葉として〈雑草などというものはない〉という「名言」はよく知られる。1965(昭和40)年か66年の9月のこと、昭和天皇は那須御用邸で静養していた。吹上御所の庭の草が茂りすぎたので、那須からのお帰りまでに手を入れたいと、宮内庁庭園課が侍従職に申し入れた。侍従になったばかりの田中直(なおる)侍従は、建物から10㍍くらいの雑草は全部刈り、庭園としてすっきりさせようと考え、実行してもらった。9月中旬に那須から帰った天皇は田中を呼んだ。庭をきれいにしたお褒めの言葉と思いきや、予想外のお叱りだった。

天皇 「どうして庭を刈ったのかね。」

田中 「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部お刈りいたしました。」

天皇 「雑草ということはない。」「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。注意するように」

 このエピソードは、入江相政(すけまさ)侍従が、侍従たちのエッセーをまとめた『宮中侍従物語』(80年)に出てくる。毎日新聞社特別顧問だった岩見隆夫の『陛下の御質問』(92年)にも、三木武夫内閣の安倍晋太郎農林相に対して、昭和天皇が「雑草という草はない」と述べた話が紹介されている。政界でも有名なエピソードだった。

 昭和天皇の雑草の話は、訓話的名言として語られやすい。日本には「雑草魂」という言葉もあり、踏まれても栄養分が足りなくても、したたかに生きる雑草に庶民の生き方が重ねられる。

「雑草魂」という言葉自体、「逆境に耐えろ」という思想とも親和的である。自民党の政治家たちが地元に帰ったとき、さも自分が聞いたように話せば、選挙民に受ける話だろう。

 昭和天皇は事実として、稲などの作物を阻害する植物のカテゴリーを一般的に雑草と呼ぶのは人間社会の都合であって、分類学的には雑草という概念はないことを指摘している。

「昭和天皇は自然がお好きであった」という話とつながる場合もあるが、天皇とて、まったくの手つかずの自然が人間生活にとって厄介、場合によっては脅威になることも知っていたはずだ。現に戦前、吹上御苑に9ホールのゴルフコースをつくって運動していたが、もちろんグリーン上の「雑草」は手入れしてもらっていた。

「天皇のお言葉」「皇族の珠玉の名言」などと題する啓発本は少なくないが、文脈を無視して切り取り、都合のいい解釈を下しているものが多いので注意したほうがいい。

 雑草と農薬

 さて、牧野富太郎である。私の理解では、「雑草という草はない」という言葉は昭和天皇のオリジナルではない。牧野の言葉を、天皇が紹介したものだと思う。

 牧野が「雑草という草はない」という言葉を残したのは実はよく知られている。ただ、出典などははっきりせず、どこでこの言葉を述べたのか、いや本当に述べたのかも分からなかった。

 しかし、牧野の地元の『高知新聞』(2022年8月18日)の取材によると、牧野記念庭園記念館(東京都練馬区)の田中純子学芸員が根拠を見つけた。記事によれば、東京朝日新聞記者だった木村久邇典(くにのり)の『周五郎に生き方を学ぶ』(1995年)にある記述が参考になるという。木村はもともと作家・山本周五郎の担当記者であった。

 1928(昭和3)年ごろ、雑誌『日本魂』記者だった山本は牧野をインタビューした。山本が「雑草」という言葉を口走ったとき、牧野は次のような言葉で、山本をなじったという。

「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」

 雑草という言葉は、農薬使用と相関して注目されていく。ちょうど、山本が牧野の言葉を聞き出したころ、農村では農薬が普及し始める。雑草を「退治」して、生産性を上げられるという科学的な農業思想が広まった。牧野は雑草が悪役となり、植物の多様性が縮減することに危機感を持った。機会を見ては、「雑草という草はない」との考えを広めていたのであろう。

 この言葉を、昭和天皇がどこで聞いたのかまでは分からない。ただ、その道の第一人者である牧野の言葉は、植物研究者のなかでそれなりに有名になっていたのだと考えられる。同じ思いを持っていた昭和天皇は、牧野の知見をもっと世に伝えたかったのであろう。

 昭和天皇は皇太子時代の1925(大正14)年、当時お住まいの赤坂御所に研究室を開設し、即位後は皇居に生物学御研究所を作った。研究対象は変形菌類、ヒドロ虫類であった。

 人間の傲慢をいさめる

 昭和天皇はまた皇居、那須という特定の地域の植物相を調べるというタイプの研究にもあたっている(これは、「植物誌」あるいは「フローラ」と呼ばれる)。その際、天皇は植物を採集して押し葉標本を作製していた。初期の標本は、東京帝国大学に勤務していた牧野のもとに送られ鑑定された(現在は、国立科学博物館昭和記念筑波研究資料館〈茨城県つくば市〉に収蔵される)。その数約900点。昭和天皇は牧野の直接の指導を受けたことはないが、フローラ研究では牧野に大きな影響を受けていた。

 48(昭和23)年10月7日、進講という名目で昭和天皇は牧野と会う。牧野の魅力は植物研究を基にした生き方や人生観であろう。例えば、自伝には「植物は人間がいなくても、少しも構わずに生活することができるが、人間は植物がなくては一日も生活することができない」とある。人間の在り方そのものを問う、まさに「名言」である。

 大学や大学院などを経ずに研究を続けた一途(いちず)な牧野。昭和天皇も人柄に惹(ひ)かれたのだと思われる。人間の勝手な都合で、ある植物群を「雑草」と呼んでしまう傲慢さをいさめる牧野の思いに共感したのであろう。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日4月16日増大号」表紙
「サンデー毎日4月16日増大号」表紙

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