国際・政治

③天皇陛下もご宿泊の「ホテル・インペリアル」、伝説のコンシェルジュが明かす巨匠カラヤンの横顔

豪華な階段は150年前のオリジナルのまま(ミヒャエル・モーザーさん)
豪華な階段は150年前のオリジナルのまま(ミヒャエル・モーザーさん)

 1873年のウィーン万博をきっかけに、ウィーンの街はパリやロンドンと並ぶ近代都市に生まれ変わったが、それと同時に今に続く、新たな「伝統」の数々も誕生することになった。

 その一つがホテル・インペリアルだ。万博を機に開業した五つ星ホテルで、世界からの国賓、王族、指揮者、ロックスターたちが定宿とする。日本の天皇・皇后(現上皇・上皇后)両陛下、英国のエリザベス女王も宿泊された。また、「ニューイヤーコンサート」の開かれる楽友協会の真裏に位置するので、かつてのヘルベルト・フォン・カラヤン氏から、現代の小澤征爾氏まで、著名な指揮者や音楽家が訪れることでも知られている。

「貴族の離宮」だったホテル・インペリアル

 建物は、1865年、南ドイツのビュルテンベルク地方を支配していたビュルテンベルク公爵フィリップ・アレクサンダー夫妻の離宮として建築された。オーストリア・ハンガリー帝国の首都として人口が増えていたウィーンは、1857年皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の決断により、旧市街を囲っていた中世の城壁を取り壊し、その跡地に、全長5.3㌔㍍の大通り「リンク通り」を建設することを決めた。その際に、皇帝は財力のある貴族や商人たちに新しい大通り沿いに「離宮」を作ることを要望した。パリやロンドンに負けない美しい街並みにするためだった。

 しかし、ビュルテンベルク公夫妻は、新しい離宮には数年しか住まなかった。1870年にウィーン万博の開催が決まったことで、周囲は建築ラッシュで騒がしかったうえ、目の前に楽友協会の建物ができたことで、景観が悪くなってしまったからだ。1872年に離宮は売りに出され、改装ののち、1873年4月28日に、万博客用のホテルとしてオープンした。そのため、ホテル・インペリアルは今年、ちょうど開業150周年だ。

ゲストブックを見せるホテル・インペリアルのミヒャエル・モーザーさん
ゲストブックを見せるホテル・インペリアルのミヒャエル・モーザーさん

伝説のコンシェルジュ、モーザーさん

 今回のツアーでは、同ホテルの伝説のコンシェルジュ、ミヒャエル・モーザーさんが案内してくれた。1983年から働き始め、2014年に定年となった後も、引き続き、ホテルの歴史や伝統を宿泊客や従業員に伝えるアーキビストとして活躍している。2014年の映画「グランド・ブダペスト・ホテル」のモデルとなったことでも知られている。

 「ホテルの真裏は楽友協会で、距離もわずか20㍍です。小澤征爾、ズービン・メータ、リカルド・ムーティ、クラウディオ・アバド、カラヤン、みんなこちらに宿泊・滞在し、コンサートに向かいました。もちろん、多くの歌手やピアニストたちもです」。

巨匠カラヤンのサイン
巨匠カラヤンのサイン
マエストロ小澤征爾氏のサイン
マエストロ小澤征爾氏のサイン

エリザベス女王も上った階段

 ホテルは元々、離宮だったために作りは豪華絢爛だ。目を引くのは、1階から2階のロイヤルスイートに移動するための階段。ワインレッドの絨毯が敷かれ、「大理石」の壁に覆われ、踊り場部分には、「ドナウの女神像」が飾られている。「日本の天皇(現上皇)陛下、エリザベス女王をはじめ、世界からの国賓はみなこの階段を上られました。文化財保護の法律により改装が禁止されているため、この階段は150年前のオリジナルのままです」(モーザーさん)。

 壁は大理石ではなく、「シュツコルストロ(Stuccolustro)」という木の上に石灰が塗られた素材が使われている。大理石と違い、冬でも暖かいのが特徴という。階段は丈の長いスカートを履いていた当時の女性に配慮し、一段一段の高さが低くなっている。

 2階のロイヤルスイートで、モーザーさんは1915年から始まるホテルのゲストブックを見せてくれた。日本の皇族では戦前は高松宮殿下、戦後は秋篠宮殿下。音楽家では、小澤征爾、武満徹、フルトベングラー、カラヤン、トスカニーニ、ストラビンスキー、シナトラ、ローリングストーンズ、マイケル・ジャクソン、マドンナ、レディーガガ、ヒッチコック、カール・ラガーフェルド、シャネル、トーマス・マンの名前も見える。

インペリアル・トルテは3種類の味がある
インペリアル・トルテは3種類の味がある
インペリアル・トルテは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世も食した
インペリアル・トルテは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世も食した

巨匠カラヤンからの電話

 モーザーさんは、著名人とのエピソードも披露してくれた。「あるとき、サービスについているときに、カラヤンさんから電話がありました。『キッチンにいるシェフ長に連絡がつかない』と。私は不始末があったのかと驚愕し、恐る恐る『マエストロ、ご用件は何でしょうか』と聞きました。そうすると、カラヤンさんは、『今までで食べた中で最高のシュニツェル(カツレツ)であるとシェフに伝えてくれ』と」。

 日本人では、ピアニストの内田光子さんとは長い交流があるという。「私が2014年にリタイアした後、彼女がウィーンで演奏会をするときは、必ず電話をくれて、チケットを下さるのです。彼女のお父様は、ウィーンで外交官をしていたので、彼女はオーストリア人のように流ちょうなドイツ語を話します」と話す。

皇妃エリザベートは今もウィーンの人々に愛されている
皇妃エリザベートは今もウィーンの人々に愛されている

「ホテル持ち帰り」希望したイラン国王

 イラン(ペルシャ)国王との逸話も教えてくれた。ウィーンに複数回、滞在した国王は、ホテルを非常に気に入り、あるとき、マネージャーを呼んだ。「このホテルを解体して、首都のテヘランに持ってかえりたい。値段はいくらか」と。マネージャーは真っ青になったが、最後、「陛下、それは出来かねます。次回、ウィーンにお越しになったときに、お泊りになるホテルがないではありませんか」と答え、事なきを得たという。

 ホテル・インペリアルは、皇帝も食した「インペリアルトルテ」というチョコレートケーキが名物だ。オリジナル(プレーンのチョコレート)、オレンジ、ラズベリーの3種類の味がある。甘さは程よく、日本人の味覚に合う、水色の美しい箱に入っており、日持ちもするので、ウィーン土産には最適であろう。

(稲留正英・編集部)

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