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ライフ対談 エッセイスト・大平一枝×作家・角田光代 食べることは生きること 台所につまった真実の物語

『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)
『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)

 朝から涙腺崩壊の人続出! NHKあさイチ「わたしの台所物語」

 台所の数だけ、それぞれの物語がある。大平一枝さんが10年にわたり描き続けてきた、台所から人生を描くノンフィクションが、NHKで放送されるなど脚光を浴びている。食とは、生きることとは何か。作家・角田光代さんとの対談で、大いに語り尽くした。

 ▼家族、夢、健康…大切なものを失い、うちのめされながらも人は立ち上がり、今日も食べて生きていく

 ▼つらいこと苦しいことがあっても「お腹はすく」。食べて確かめる「わたし、大丈夫」…

角田光代 大平さんの近著『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』を読ませていただきました。市井の人々の暮らしと人生を台所という切り口から描いたノンフィクションですが、私が驚いたのは、それぞれの人生が本当にドラマ性に満ちていることです。

大平一枝 ありがとうございます。そう、人の心や人生というのは思いどおりにはいかないし、そこには私たちが想像もつかないような真実の物語があります。

角田 たとえば特発性間質性肺炎と肝硬変を併発して、重病になったのにお酒とタバコをやめないという男性がいましたよね。そんな夫に対して最終的に彼女は、本人の意思を尊重する生活を選びます。

大平 「やめて」と言っても、夫は隠れてお酒を飲んでしまう。始めは「駄目だって言ってるじゃない」と怒っていたけれど、そんな日々に疲れ切ってしまうんですね。人生の残り少ない夫と、あと何回ケンカするのか。それなら「太く短く生きたい」という彼の意思を尊重しようと決断する。

角田 私もお酒は大好きで、医師に「控えたほうがいい」と言われたこともあるんです。でも、もし病状が深刻で「一生、飲んではいけない」と告げられたら、たぶん止(や)めると思います。そうではない人もいるという事実に、驚きました。ノンフィクションは想像を超えてくるし、小説をも超えてくる力がありますね。最期、倒れて救急車を待つわずかな間に、夫が「ワイン一杯とタバコをくれ」と言いますよね。彼女は、それを差し出す。そして運ばれた病院で、夫はそのまま息を引き取る……何とも壮絶というか。

大平 本当に、壮絶です。

角田 それから女性の同性カップルの話も、「こんなことありえるのか!」と、本当にびっくりしました。

大平 二人は同性婚が認められるニューヨークで結婚登録して、子どもを持ちたいと願います。ユカさんは、子育てのためにローンでマンションを購入し、6歳年下の恋人は精子を提供してもらって、不妊治療に通っていた。その年下の恋人は、女性になりたいと適合手術を受ける直前の男性から精子提供してもらったあと、その人と恋に落ちて、ユカさんのもとを去ってしまう。

角田 元恋人に対して、ユカさんは慰謝料を求めて訴訟を起こすんですよね。

大平 子どもを欲しいと思った彼女たちの気持ちは理解できます。でも、そこから性転換手術をする直前の男性を好きになってしまうというのは、確かに小説ではちょっと想像のつかない現実かもしれませんね。

角田 大平さんはこのカップルを2014年と16年にも取材していますよね。それ以外の方も、定点観測で見続けている。そんな以前の様子が描かれた『東京の台所』『男と女の台所』(ともに平凡社)を読むと、人はこんなに変わるのかというのもある意味、私にとっては衝撃でした。

大平 やはり10年も経(た)つと関係が壊れたり、相手を喪(うしな)ったりと、思いがけないことが起こりますよね。

角田 それでも生きていく逞(たくま)しさ、変わることの凄(すご)みが、迫力とともに伝わってきます。人というのは「今が絶対だ」と思ってるところがあるけれど、10年後の自分はどこに行っているかわからない。でもそれは全然怖いことじゃないんだとも感じられましたし。

大平一枝(おおだいら・かずえ)さん エッセイスト。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『男と女の台所』(平凡社)など。
大平一枝(おおだいら・かずえ)さん エッセイスト。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『男と女の台所』(平凡社)など。

 台所は生きる希望と出会う場所

大平 近著では「喪失と再生」をテーマにしたんです。でも今回に限らず、人間にとっての10年というのは、まさに「喪失と再生の物語」なんだとも感じました。逆に、何も失っていない人はいないんですね。それが、食と台所に繋がっているという。

角田 冒頭で壮絶という言葉を使いましたが、私はこの一連のシリーズを読んで、食べることというのはこれほど壮絶なんだと心底、感じたんです。壮絶というのは決してネガティブな言葉ではなくて、いい意味で、人間の生と台所はこれほど密接に関わっているのか、と感じたんですね。料理というのは楽しみであったり、また作り続けることで他人を救ったりもしますよね。

大平 シリーズ1冊目の『東京の台所』の表紙になった日本茶喫茶店主の女性は今回の本にも登場しますが、台所は彼女にとっての生の現場、壮絶な現場なんだと改めて感じました。

角田 夫ががんとわかってから、民間療法で効くといわれる野菜スープを30分煮込んで、その汁だけを一杯ずつ冷凍するという。

大平 今回会った時、彼女は夫を亡くしてまだ26日しか経っていなかったんです。「悲しいことがあってもお腹(なか)がすくし、それによって生きていると感じる。私、今日も1日食べた。あなたが亡くなっても元気にやっています」と日々、夫に語りかけている、と。もともと料理が好きな人なので、彼女にとって台所は大切な居場所だし、そこで料理をすることが元気でやっているという証拠になる。そしてそこには、生きる希望も感じられる。

角田 台所に行くという行為は、生に関わりたいと思うこととイコールですよね。もし生きる気力も望みもなくなったら、台所は怖いところ、立ち入る必要のないところになってしまう。

大平 そうかもしれないですね。台所に立つということは、希望に会いに行くということかもしれないです。

角田 あと、10年という単位で台所に光を当てると浮き彫りになるのが、これまでの価値観が崩れているな、ということです。LGBTQなど家族の形も今はさまざまですし、若い男の子はあたり前のように料理をするし。そういう時代性が見えるのも面白いですね。

大平 私たちの時代だと、「発酵が大切」「自家製の漬けもの」「天然酵母のパン」などの呪縛もありましたが、今の人にはそれもないですしね。

角田 丁寧な暮らし、というやつですよね。

大平 それに苦しめられた女性たちって本当に多いんですよ。私自身も、そうでした。自分が30代の頃は世の中がまさにスローライフブームで、健康にいいし、痩せるかもと思って、マクロビを始めたんですね。それで食事を玄米にしたら、当時小学1年の娘が泣きながら、「この家では、白いごはんは出ないんでしょうか」と訴えてきて。夫も「戦争の味がする」と(笑)。ローリエで野菜を煮込んでいたら、息子から「枯れ葉を入れないでくれ」と言われました。結局、マクロビによって家族は誰も幸せにならなかった。そもそも子どもがいて、仕事があったら丁寧な暮らしなんて無理なんです。でもきちんとやらないことに対する母親としての罪悪感とは、ずっと闘っていましたね。

角田 それが吹っ切れたきっかけは、何でしたか?

大平 台所の取材をすると、やはり同じように悩んでいる母親たちがたくさんいるんです。栄養バランスやオーガニックに一生懸命で、市販の顆粒(かりゅう)も使わずにいちから出汁(だし)を取っても、夫の帰りが遅くて、全然食べてくれないとイライラしたり。外食はよくないと思い込んでいたけれど、ある日、保育園の帰りに息子とファミレスに寄ったら、子どもがすごくニコニコしていた、と。その時に、「これからはこの子と自分が笑顔でいられる生活を選ぼう」と決めて、楽になれたと仰(おっしゃ)っていて。そういう話を聞くうちに、吹っ切れていきました。

角田 取材した方から教えていただくことも、多いんですね。

角田光代(かくた・みつよ)さん 小説家。早稲田大第一文学部卒。1990年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞。『八日目の蟬』『紙の月』はドラマや映画に。『源氏物語』の現代語訳も手がけた。
角田光代(かくた・みつよ)さん 小説家。早稲田大第一文学部卒。1990年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞。『八日目の蟬』『紙の月』はドラマや映画に。『源氏物語』の現代語訳も手がけた。

 食を知ることで世界が広がる

大平 そういえば角田さんは数年前、ご自宅を新築されたんですよね。建築家の方に依頼したと聞きましたが、キッチンというか、台所はどんな感じなんですか。

角田 じつは全部建築家の方にお任せしたんです。台所の洗い場と火元が離れているんですが、それをうまく活用できない感覚が今もあります。白菜を洗って火元に持っていこうとすると、水がジョボジョボするし。でも私、これまで台所について考えたことがなかったんです。それこそ今回の本に出てくるような台所の窓の光や棚にこだわる人がいるという事実にも、ちょっと衝撃を受けて。台所へのこだわりがなかったから、このジョボジョボ問題が起きたんだ、とすごく反省しています。大平 台所への要望がまったくないというのも珍しいですね(笑)。潔すぎる! 昔からそうなんですか。

角田 私は30歳くらいまで食べ物の好き嫌いが本当に激しくて、料理を覚えたのもすごく遅い。それもあって台所に対して、こうしたいというような希望は一切なかった。私の両親は子ども時代に戦争を体験しているんですけれど、戦後に貧しい思いをした人というのは二極化の傾向にあって、絶対に食事を残すなという人が9割を占めますが、うちの両親は逆に「好きなものを好きなように食べて散らかしていい」と話していた。だからハンバーグに添えられた野菜も、「彩りだから食べなくていい」と言っていたんです。

大平 ある意味、子どもを尊重してはいるけれど。

角田 そんな家なので魚も野菜もほとんど食べずに、肉と乳製品だけで生きていました。食に興味がないから別にカップラーメンでもいいし、外食すれば残し放題というすごく狭い世界に生きていて。でも30歳くらいになってさまざまな方とつき合ううちに、広い世界を知った。美味(おい)しい料理を食べると、自分で作るようにもなりますしね。好き嫌いを克服して本当に良かったと思います。

大平 結婚されたあとは、作る料理も変わりましたか。

角田 夫とは食の好みが正反対なんですよ。私が大好きなチーズやバター、マヨネーズなどの脂系が駄目で。好きなものを聞くともやしとか豆腐とか、全部白いんです。だから一緒の時は覇気のない料理をしています。

大平 パンチがあるものは大体、茶色系ですよね(笑)。

角田 そうです。揚げたてのカツとか、口の中がガチャガチャするような、「ああ、生きてる!」と実感するようなものがない。

大平 みなぎってる感じの食がないという。

角田 活気がない(笑)。うちも少し変わっていて、夫が音楽家なので、楽曲制作の時は仕事場に1カ月ほど籠もって帰ってこないんです。そうすると、ひとりの食事になるのでもう茶色系全開になります。

角田光代さんと大平一枝さん
角田光代さんと大平一枝さん

 食の背後に映し出される時代性

大平 食に興味を持つことで、小説にも影響はありましたか。今、角田さんは食に関する小説やエッセーも多く書かれていますよね。

角田 小説の中に食を描くことで、登場人物のディテールが生まれるというのはありますね。本を読んでいても「昼ごはんを食べた」の一文で終わっていたりすると、いったい何を食べたのか気になります。大平さんは、台所と人生を描くこのシリーズは今後も続けていかれるんですよね。

大平 体力次第ではあるんですけれど、今では自分のライフワークだと思っていますね。

角田 長くシリーズが続くと、食の背後に見える時代の変化も面白いですよね。今流行(はや)っているミニマリストや断捨離も、10年後にもやっているのかなとか、興味があります。新型コロナのパンデミックが、どういう影響を与えたのかが明らかになるのも、これからだと思いますし。

大平 コロナ禍の最中に、メンタルを病んだ人が多いというのは、すでに感じています。心身が壊れて会社を辞めたとか、食でそれを治したという内容の応募が、本当に多いんです。またか、という感じで。食とはかなり関連性がありますね。

角田 次の10年、20年も楽しみに待ちたいです。それから、NHKで『東京の台所』とも通じる台所特集が放送されましたね。

大平 はい。朝の情報番組「あさイチ」でいわばNHK版『東京の台所』のような特集が7月5日に放送になりました。書籍のトリに書いた元日本茶喫茶店主の女性も登場し、料理やお一人で食事する場面も収録されています。24時間家にカメラをつけて、買い物にも同行したりと撮影にすごく時間がかかっています。

角田 私も観て、泣きました。

大平 私も一部ロケに同行して、当日はスタジオで解説したんですが、生放送なので本当に緊張しました。いらぬことを言ってしまいそうな自信だけはあったんですけれど、何とか、頑張って乗り切りました!(笑)

(構成/本誌・鳥海美奈子)

「サンデー毎日7月23・30日合併号」表紙
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