週刊エコノミスト Online サンデー毎日
未来志向もいいけれど 歴史問題」は消えない 社会学的皇室ウォッチング!/79 成城大教授・森暢平
天皇ご夫妻の7日間にわたるインドネシア訪問(6月17~23日)の最中、同国では旧宗主国であるオランダ政府の歴史認識に対する批判が上がっていた。その問題との比較で日本の天皇が見つめられていたことはあまり知られていない。未来志向が強調された今回の天皇外遊だが、インドネシアが絡む複雑な歴史に焦点が当たらなかったのは残念だ。
オランダのルッテ首相は6月14日、議会で「オランダはインドネシアが1945年8月17日に独立したことを、完全に留保なく、認めている」と発言した。これはインドネシア独立戦争(45?49年)が主権国家インドネシアに対するオランダの侵略であったことを認める趣旨にも取れる微妙な発言だった。オランダ国内では反発が起き、同国政府はすぐさま「(首相発言は)独立に関する現存の法的根拠を変更するものではない。インドネシアが独立したのは49年という解釈に変わりはない」と軌道修正した。インドネシア世論はこれを批判したのである。
解説が必要だろう。現在のインドネシアに当たる土地にオランダは17世紀初頭から「東インド会社」を置き、植民地化を進めた。太平洋戦争中の42年から3年間、日本軍が新たに侵攻し、オランダは撤退した。だが45年8月15日に日本が降伏すると、軍政下で日本軍に協力していたスカルノ(インドネシア初代大統領)が8月17日に独立を宣言した。オランダは、インドネシアを再び植民地とするために軍隊を派遣し、インドネシア共和国政府軍との戦闘が始まった。インドネシア独立戦争である。
軍事的にはオランダが優勢であった。しかし、同国の植民地主義に国際社会からの非難が高まる。49年にオランダ・ハーグで円卓会議が開かれ、オランダは主権をインドネシア政府に移管することに合意した。一方、オランダが持っていた45億ギルダー(139億米ドル)の債務をインドネシア政府に引き取らせた。平たくいえばオランダは、インドネシアにカネを払わせることで独立を認めたのである。
オランダと比較すれば
近年、欧州各国では植民地主義の反省から歴史問題への取り組みが進められている。オランダも例外ではない。インドネシア独立戦争の期間、裁判なしでの処刑や拷問があり、その検証が進む。2020年3月には、ウィレム・アレクサンダー国王がインドネシアを訪問し、独立戦争の際のオランダ軍による虐殺を謝罪した。有名なのは1947年12月、西ジャワ州バロンサリ村でオランダ軍が村の男性431人(オランダ側は150人と主張)を殺害した事件である。インドネシアでは独立戦争の期間だけでなく、350年にわたる植民地支配への賠償を求める声もある。一方、オランダ国内では、謝罪に反発する旧軍人遺族の声も強く、「歴史」は同国でもデリケートな問題である。
ルッテ首相が「8月17日」を独立の日と認定することは、それに続く独立戦争をインドネシアへの侵略と認めることにつながる。45億ギルダーの受け取りの根拠も危うくなる。オランダ政府が発言を修正したのはそのためだ。これにインドネシアの人々が反発した。
ルッテ発言の1日後の6月15日、天皇陛下は訪問前の記者会見で「インドネシアとの関係でも、難しい時期がありました。亡くなられた方々のことを忘れず、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切」と述べた。オランダを批判するインドネシアの人たちは、天皇の発言を引用しながら「オランダは日本を見習い過去を反省すべきだ」と主張した。むろん、インドネシアに日本の軍事侵攻への批判がないわけではない。とくに、労務者の動員、慰安婦などに厳しい目はある。しかし、大きなうねりとならないのは常にオランダと比較されるからだ。日本がインドネシアに来たおかげで、インドネシアが独立できたと見る考えもある。
アジア解放史観との関係
日本においてこうした考えは、アジア解放史観と呼ばれる。日本軍こそ欧米支配からアジアを解放したと考える思考枠組みである。
この点で注目されるのは、天皇ご夫妻が6月19日、インドネシア独立戦争に参加した残留日本兵の子孫と面会したことだ。『産経新聞』のコラム「産経抄」(6月23日)は「訪問のもう一つの大きな意義は、先の大戦が終わった後も現地にとどまりオランダとの独立戦争に身を投じた残留日本兵に、改めて光が当たったことだ。両陛下は日本兵の子孫と面会し、日本兵28人が埋葬されているジャカルタのカリバタ英雄墓地で黙祷(もくとう)を捧(ささ)げられた」と書く。
残留日本兵といえば、横井庄一さんや小野田寛郎(ひろお)さんが有名だが、日本が侵攻したアジア各地にも多くいた。二松学舎大の林英一准教授によれば、彼らは、軍隊が嫌になった、戦犯になるのを避けた、敵軍から脱獄した、現地に妻子ができた、敗戦が受け入れられなかった、流言蜚語(ひご)に惑わされた、生き延びるつもりで残った、置き去りにされた……などさまざまな理由で、現地にとどまった(『残留日本兵』中公新書)。
インドネシアの場合、残留兵は900人余。少なからぬ残留兵が独立戦争に加わった。オランダに侵攻されるインドネシアを見殺しにはできないと独立運動に共感した者もたしかにいた。ただ、多くの兵士は生き延びるために戦争に参加した。独立戦争に身を投じた英雄もいたが、そうとは呼びがたい人もいた。そうした機微は「産経抄」ほか今回の報道からは読み解けなかった。
皇室外交といえども、複雑な国際関係や歴史問題は避けられない。今回、日本からさらなる投資を呼び込みたいインドネシア政府の思惑もあり、過去に触れるよりもむしろ「未来思考」のアピールが日本とインドネシア双方の利益となった側面はある。だからといって、鷹揚なインドネシアの人たちが歴史を忘却したわけではない。日本に生きる私たちが未来だけを考えればいいわけでもない。「天皇陛下がインドネシアの人に大歓迎された」ことばかりが強調される、「御外遊」報道からはそのことは見えなかった。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など