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天皇外遊と「解散」の関係 政治家の皇室利用は禁じ手 社会学的皇室ウォッチング!/78 成城大教授・森暢平
岸田文雄首相は6月15日、衆議院解散の先送りを明言した。気になったのは、天皇が日本にいないとき、衆院解散ができるかどうかの議論である。解散風を吹かせる首相に対し、天皇外遊中の解散は望ましくないとして首相の手足を縛ろうとする批判勢力――。そんな構図にあったが、政治家が天皇の日程を利用して首相を批判することは、天皇の政治利用にあたりかねない。
天皇ご夫妻は6月17日から23日にインドネシアを訪問。国会の会期末は、天皇がインドネシアにいる6月21日である。そのため天皇が日本にいないときの解散は好ましくないという批判が生じたのである。
解散には、不信任決議案が可決された場合の憲法第69条解散のほか、首相が解散権を行使する第7条解散がある。問題は、憲法第7条が衆院解散を定める条項ではなく、天皇の国事行為を定めたものであることだ。
「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」として「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」「国会を召集すること」など10項目が列挙される。その第3号が「衆議院を解散すること」である。
閣議で解散が決まると、内閣総務官が解散詔書案を持って皇居に赴き、天皇の自署(御名(ぎょめい))、押印(御璽(ぎょじ))をもらう。天皇が日本にいないときの解散では、天皇自身から御名御璽がもらえない。しかし、そんなときに備えて「国事行為の臨時代行に関する法律」(臨時代行法)が1964(昭和39)年に制定された。その第1条には「天皇の国事に関する行為の委任による臨時代行については、この法律の定めるところによる」とある。委任される順番は、摂政就任順位と同じであり、現状、①秋篠宮さま②常陸宮さま③雅子さま④美智子さま⑤愛子さま⑥佳子さま……である(悠仁さまは成年皇族でないので入らない)。もし天皇のインドネシア訪問中に解散があったならば、臨時代行を務める秋篠宮が、天皇の代わりに自署し、御璽を押していたであろう。愛子さまら女性皇族も臨時代行になり得ることは興味深いがそのことは措(お)く。
皇室に「遠慮」の意識
日本国憲法には、天皇が外遊できる法的根拠がなかった。最も大きいのは天皇が不在の間、国事行為を誰が代行するかの問題であった。独立回復後、外国要人の来日が増え、その答礼は皇太子(現在の上皇さま)が名代として行っていた。1960年以降、米国、イラン、エチオピア、インド、ネパール、パキスタン、インドネシア、フィリピン、メキシコ、タイなどを皇太子ご夫妻が訪問した。
天皇の侍従入江相政(すけまさ)は、日記の60年末所感に「東宮(皇太子)様も方々(ほうぼう)へおいでになり一生懸命やつていらつしやる。お上(天皇)の御風格も世界の人に見せてやりたいが、早くしないと段々お年を召してしまふ」と書く。昭和天皇はこのとき59歳。法的整備を急いで天皇外遊を可能にしないと、年齢的に外国訪問ができなくなるという懸念であった。
61年、当時の池田勇人内閣は、公式制度連絡調査会のなかで臨時代行法の検討を開始した。63年5月、全6条と付則からなる成案が完成。審議が始まったのは64年2月である。野田武夫総務長官は同年2月6日の参院内閣委員会で「天皇がこれより軽い病気にかかられ、または海外旅行にお出かけになるなどの場合にも、国事に関する行為を代行せしめられる方途を講じておく必要があります」と説明。天皇外遊中での国事行為の代行が、立法の最大の目的であったのは間違いない。
昭和天皇自身、法案提出前に記者団から「法律ができると、外国旅行をされる機会が増えると思いますが、どんな国に行きたいと思われますか」と聞かれ、「政府が考えているからまかせている」と語った。言葉は控え目だが天皇自身、外国に行けるようになることを期待していた。
そして、昭和天皇は71年に欧州、75年に米国を訪問する。この間、臨時代行は皇太子(現在の上皇さま)が務めた。昭和の時代、天皇外遊に対する国民の注目度は今より格段に高かった。各所でテレビの生中継があり、新聞は連日大きく扱う。だが、この間に内閣が解散して衆院選に突入しようものなら天皇外遊への注目は一気に下がってしまう。だから、せっかく臨時代行法ができたのに、天皇外遊中の解散は遠慮すべきであるという意識が生じた。
政治家の事大主義
今回の解散騒動で松野博一官房長官は6月9日、「臨時に代行する国事に関する行為は制限はないと承知しており、憲法第7条に列挙されている国事行為の全てが当たるものと承知しています」と、国事行為は皇族に委任して臨時代行させることができるから外遊中にも解散できるとの考えを示した。一方で、「現行憲法下において、天皇陛下の外国ご訪問の間に衆議院が解散された例はないものと承知しています」とも付け加えた。岸田政権は解散権の行使に制限はないという立場に立つ。しかし、与野党から批判もあり、事実として天皇外遊中の解散は過去にないと付け加えたのだろう。
これには前史があって、2000(平成12)年4月、就任早々の森喜朗首相は解散を模索した。しかし、5月20日から6月1日まで天皇ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)の訪欧が予定されていた。青木幹雄官房長官は4月12日の記者会見で「(天皇外遊中の解散は)法的には問題ないと思うが、国民感情や対外的な国の姿勢を考える必要があるというのが、その時期にやってはいけないという人の意見だ」と否定的な見解を表明した。実際、森首相は天皇ご夫妻が帰国する翌日である6月2日を解散日とした。
一般に、政治家は権威に弱く皇室を事大主義的に捉える傾向にある。天皇を持ち出して、その権威で政敵を牽制(けんせい)する性癖があることも否定できない。森首相がわざわざ天皇帰国の翌日に解散した前例はおかしかった。だが、解散の喧噪(けんそう)のなか、そのことへの批判は上がらなかった。
政治家は臨時代行法の立法趣旨を知らないまま、やれ不敬だとか、やれ拡大解釈だなどと批判する。それこそが政治による皇室利用ではないか。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など