週刊エコノミスト Online サンデー毎日
「ニュース」を他人事でなく、自分事に近づけたい――毎日新聞編集委員・大治朋子 ノンフィクションライター・石戸諭
挑む者たち/26
閉塞感漂う時代に「風穴」を開けようとする人々を訪ねる好評連載。今回の登場人物は、新聞協会賞を連続受賞した毎日新聞記者。スクープ記者から、今は「ナラティブ」という言説を手がかりに、ジャーナリズムとアカデミズムの融合という、新しいスタイルでさまざまな事象を追求している。ジャーナリズムの未来がここにあるかもしれない。(敬称略)
2000年代半ばに記者という仕事を始めた私たちの世代にとって、大治朋子という名前は大きな目標というよりも、同時代の伝説だった。
毎日新聞社会部記者として防衛庁(現在は防衛省)の個人情報不正使用を立て続けに報じたスクープで、2002年、03年の新聞協会賞を連続受賞した。新聞業界以外にはさほど馴染(なじ)みのない話だが、言うなれば年間のベストスクープを決める、年に1回のイベントである。受賞は記者として大きな成功を意味する。1回でも名を連ねれば……という賞で、個人での2年連続というのは前代未聞の快挙だった。
「サツ回り(若手が担当する事件取材のこと)のときの大治は……」という思い出話を多くの先輩記者が、若手に聞かせて回っていた。毎日新聞記者時代の私はといえば、そんな華々しいスクープや賞とはまったく無縁だったが、「大治朋子」という名前がクレジットされた記事は読むようにしていた。たとえば、海外特派員時代に書いていた、ゼロ年代~2010年代にかけてインターネットに呑(の)み込まれるなかで、アメリカの変わる新聞メディアの姿を描いた企画などに新しい新聞記事のあり方を感じていたからだ。
彼女の名前を知ってから20年近くが経(た)った今夏に1冊の本が届いた。『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』――。著者の名前こそ同じだったが、取材手法はさらに発展を遂げていた。それは華々しいスクープ競争に満足せず、ジャーナリズムにとって何が必要なのかを指し示す。
主題はタイトルにも掲げられた、人間が本質的に逃れることができないナラティブだ。人は言葉で語るという行為、筋立てのあるストーリー、語られている言葉の中身=ナラティブに惹(ひ)きつけられていく。
その射程は広い。本書が取り上げているだけでも、インターネットやSNSを経由して広がっていく陰謀論、バラク・オバマやドナルド・トランプがアメリカ大統領選で採用した選挙戦略、安倍晋三元首相の演説、テロに惹きつけられる若者たち、PTSDから回復する患者まですべてにナラティブがある。ナラティブを善悪ではなく、人間がどうしても逃れることができない情報処理の一つの癖として捉えることで、思考のメカニズムそのものを可視化した取り組みと言えるだろう。
「ナラティブ」を描くことはここ数年、大治が挑んできたジャーナリズムとアカデミズムの融合という新しいスタイルの現在形を示すことでもあるように思える。
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「人が3人に話を聞くのなら、私は10人に話を聞いて記事を書いてやろうとずっと思ってきたし、それは今でも変わらないです。やっぱり現場が大切ですし、強いファクトはイキのいい魚を釣ってきて刺し身を並べるようなもので、インパクトがある。誰も知らないニュースには爆発力があります。だけど事実だけを提示して、あとは読者の判断に委ねるというやり方がすべてのニュースで有効なわけではない。
いくら質の良い取材をして現場で何人も取材をしても、それぞれの『ナラティブ』『主観』を集めただけで終わってしまうこともあります。記者だって10人でも取材をすれば、何かをわかったような気になって記事を書いて満足というケースもある。
それだけだと読者にとって、ニュースはいつまでも他人事のままで、時に分断を促すだけで終わってしまう。メディアは人と人をつなぐ存在でなければいけない。クオリティーの高い科学的なデータをつけることで、より客観的にニュースを意味づけることができます。現場で得た多様なナラティブと、それを裏付ける学術的な知見を組み合わせることでニュースは他人事からより自分事に近づくのではないかと考えてきました」
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今から振り返れば、という留保を付けつつ、新聞協会賞を受賞したスクープ報道も不十分だったと言う。ファクトからさらに広げて、他国の事例から見る情報公開の意義とは何か? 他の省庁や自治体でも同様の不正利用がないか? といった形で展開できたからだ。
スクープ記者から、取材で得た2人称のナラティブに3人称のデータを付け加える「2・5人称」ジャーナリズムへの転換は、12年の記事(『毎日新聞』朝刊4月8日付)に見ることができる。
沖縄・米軍基地問題をテーマにした企画のなかで、普天間飛行場に隣接する宜野湾市立普天間第二小の騒音を取り上げている。実際に一緒に授業を受けて騒音を体感するだけでなく、沖縄県からの委託を受けた研究委員会(会長=山本剛夫・京大名誉教授)のデータを提示した。
「研究委員会はこうした分野で騒音の影響を調べ、米軍施設の近くと他地区の小学校計11校(計2269人)で『お話』を読み聞かせ、直後と翌日に長期記憶を比較した。その結果、騒音が長期記憶に悪影響を及ぼす『関連が見られた』という(中略)。
認知能力への影響では、ロンドン大の教授らが欧州3カ国で空港近くの小学校計89校の児童2844人(9~10歳)を対象に調査を実施。騒音が5デシベル上がるごとに、読解力年齢に英国では2カ月、オランダでは1カ月の遅れが見られたと発表(05年)している」
人間は環境に慣れていく。沖縄の子どもたちも騒音にいずれ慣れてしまうし、時に当たり前の前提として受け入れてしまう。だが、データが示すのは「慣れ」を納得して受け入れているというナラティブとして受容してはいけないということだ。データという客観的な事実が、「騒音」を沖縄の基地問題から、子どもの発達段階の問題へとニュースを拡張していく役割を担う。
ナラティブを取材していく大治が強い警鐘を鳴らすのが、人間のナラティブを政治的に利用する試みだ。ケンブリッジ・アナリティカというイギリスを拠点とするデータ分析企業が、世界を揺るがした世論工作事件がある。
舞台はフェイスブックなど多くの人が使うSNSだった。イギリスのEU離脱問題では最終的に勝者となる離脱賛成派の依頼を受けて、世論に働きかけた。彼らのやり方はターゲットを明確に定めるところから始まる。
被害者意識が強く、怒りや不安といった感情をSNSにぶつける人々――。彼らのような「一握りのノード(注:塊)にひとしずくのナラティブを垂らす→コアグループを中心にSNSで拡散→既存メディアが取り上げる→政治家が食いつく→より公の場での議論となり、一般市民へと広がる」(『人を動かすナラティブ』より)
受け手はニュースに接して、感情を発露したつもりが、それは単純に誘導されているだけなのかもしれない。そして彼らの戦略の中にはニュースを生み出す側、ニュースメーカーもしっかりと組み込まれている。SNSで話題になっている、一見すると議論が盛り上がっているものを安易にニュースとして取り上げることもまた注意が必要な時代に突入している。
「受け手も発信側もナラティブに無自覚ではいけないということです。怒りは狙われやすい感情だからこそ、自分がどんな情報に反応してしまうのか。それがなぜなのかを知っておくことが大事です。利用されていないかが大事です。
今のインターネットでは、『告白』『独白』といった言葉が見出しに躍るような2人称のナラティブを使った記事がページビュー(PV)につながる傾向があります。それは人々の怒りや不安を利用しているだけではないのか、と問う必要がある。数字稼ぎにナラティブを使っていくと、行き着く先はケンブリッジ・アナリティカとなんら変わらなくなります」
確かに今のニュースメーカーの現実の中で、PV数のような数字が不要という論理は成り立たない。持続的なビジネスのためにも数字は必要だからだ。だが、自分が発信したニュースが拡散されているのはなぜか、無自覚なまま、一部の人々の怒りや不安という感情にうまく刺さることで上がっただけの数字に大きな意味を持たせる必要はない。
基本は「人間は人間に興味がある」
ナラティブの構造を踏まえた上で、ニュースを発信する側に何が必要なのかと聞いてみた。科学的なデータや理論は確かに大事だが、それ以前の姿勢に興味があった。バットマンシリーズの悪役で映画もヒットした「ジョーカー」に扮(ふん)し、ハロウィンの京王線車内で乗客を切りつけるなどした服部恭太被告の裁判を事例にして、大治はこんなことを語った。
「人間を見ていくことでしょう。服部被告が社会の被害者か、事件を起こした加害者かという問いを立てても人間は見えてきません。裁判を傍聴すると、彼には幼少期のトラウマがあったことがわかります。トラウマに苦しむ人は時にトラウマを与える側に回ることがあることがわかっている。ですが、逆にそうはならない道もたくさんあるのです。トラウマを持った人々に対して、今の社会に対して何が必要なのかを問える」
納得の答えである。「人間は人間に興味がある」というのは、いつの時代も変わらないニュースの基本だ。
基本に忠実に、でも知見のアップデートを忘れない。この姿勢に励まされるのは私だけではないだろう。
拙著『ニュースの未来』(光文社新書)という本のなかで、ほぼ最古のジャーナリズムの定義について考えたことがある。
『ジャーナリズムの起源』(別府三奈子、世界思想社、2006年)のなかに興味深いエピソードが書かれているのだ。1924年、米国新聞編集者協会会長のキャスパー・ヨストは協会が定めた倫理綱領を広めるために、『ジャーナリズム原理』という著書を記している。ヨストによれば「news」という言葉はサンスクリット語「nava」(新しい、新鮮な、近ごろの意)にその起源があり、意味することは「人間が思考するために必要な糧」だという。
原点となる言葉が持つ意味を踏まえた上で、ヨストは、ジャーナリズムを「news」と「viwes」(論説)を兼ね備えたものであると定義し、「『newsに対する論説での批評、出来事に対する意味解釈、情報と関連づけての見解、事実に基づいた意見などをあわせて提供することで、読者の理解や読者自身の意見形成を手助けすること』といった説明を加えている」(『ジャーナリズムの起源』)。
今から100年前のニュースメーカーたちも事実と論説を明確に切り分けた上で、かつその両方の良さを重ねていく伝え方を必死に考えていた。近代以降、各地で広がったジャーナリズムは、時間をかけて、さまざまな手法が開発されて、前に向かって進んできた。
一人一人の模索の先に、歴史が作られる。大治もまた「思考の糧」を届けるために試行錯誤を続けている。書を持って、足で稼ぐスタイルを磨く――記者として。
(撮影・武市公孝)
おおじ ともこ
1965年生まれ。89年毎日新聞社入社。阪神支局などを経てサンデー毎日編集部、社会部へ。2002年、03年に新聞協会賞受賞。ワシントン特派員として「対テロ戦争」の暗部をえぐり、10年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。エルサレム特派員時代は暴力的過激主義の実態などを調査報道。イスラエル・ヘルツェリア学際研究所大学院、テルアビブ大学大学院をそれぞれ修了。『歪んだ正義』など著書多数
いしど・さとる
1984年、東京都生まれ。2020年『ニューズウィーク日本版』の特集「百田尚樹現象」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。21年『「自粛警察」の正体』(文藝春秋)で、PEPジャーナリズム大賞を受賞。近著に『東京ルポルタージュ』(毎日新聞出版)