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メディアが広げた流言 関東大震災 新聞社の罪 社会学的皇室ウォッチング!/86 成城大教授・森暢平

流言蜚語をそのまま報じてしまった関東大震災直後の新聞
流言蜚語をそのまま報じてしまった関東大震災直後の新聞

 関東大震災から100年。「朝鮮人虐殺」を焦点とした報道も多く、「忘れられた歴史」に光が当たったのは評価されよう。一方で、朝鮮半島出身者が放火しているなどという流言蜚語(ひご)(デマ)をメディアが垂れ流したことも事実で、自身の責任へのメディアの言及が少ないのは気になった。

 東京の新聞社のなかで、社屋が無事だった4社のひとつが『東京日日新聞』(現在の『毎日新聞』)で、地震の翌々日(9月3日付)は埼玉県浦和市の新聞社に依頼して新聞を印刷できた。一面トップは鎌倉に滞在中の皇族2人が死亡したらしいという記事だ。亡くなったのは、山階宮(やましなのみや)妃(佐紀子女王)とその実母の賀陽宮(かやのみや)大妃(好子妃)とある。佐紀子女王の死亡は事実であったが、好子妃は無事であり、記事は半分が誤報であった。

 この誤報以上の虚報は、同じ紙面が「不逞(ふてい)鮮人」の犯罪を何の留保もなく伝える記事だ。「不逞鮮人」とは、不平を抱く朝鮮半島出身者が無法なふるまい(不逞)を行うと信じた人により使用された差別用語だ。

『東京日日新聞』(9月3日付)は以下のように書く。

「不平鮓人(鮮人の誤り)の一味はヒナン(避難)せる到る所の空家等に、あたるを幸ひ、放火してをることが判り、各署では二日朝来、警戒を厳にせる折りから午後に至り市外淀橋(現在の新宿区)のガスタ〇〇(欠字、ガスタンクか)に放火せんとする一団あるを見つけ、辛ふじて追ひ散らしてその一、二を逮捕した」「目黒競馬場をさして、抜刀の儘(まま)、集合せんとせし不平鮮人の一団は横浜方面から集つたものらしく途中、出会せし日本人男女十数名を斬殺し、後、憲兵警官隊と衝突し、三々伍々となり、すがた形を隠したが、彼等は世田ヶ谷を本部として連絡をとつてをる」

 事実ではない。地震直後、東京市内で配布された数少ない新聞が『東京日日新聞』で、流言を広めた責任は大きい。ただし、メディア人の多くは、朝鮮半島出身者が放火したという言説を鵜呑(うの)みにしていたし、東京市民の多くが、同じように信じていた。

 仙台市で発行される『河北新報』(9月4日付夕刊)には東京で地震に遭遇し、9月3日に仙台に戻った仙台市東三番丁の「渡辺某氏」の次の談話を伝える。

「火災は家屋の倒潰したによるが、不逞鮮人が放火したもの多いといふことだ。そこで手当り次第、引き捕へ、放火犯と認めた奴はその場で殺して了(しま)ふといふ」

 伝言ゲーム

 浦和駅以北は鉄道が動いており、流言は鉄道による人の移動によって広がった。そうしたなかで、重要なのは、栃木県の『下野(しもつけ)新聞』(9月4日付)の以下の記事だ。「二日午後七時特派員発」とあり、自社記者が耳にしたことを、東北本線によって帰社して記事にした独自ネタであった。

「(九月)二日午後五時頃に至り、大森方面(現在の大田区)に約三千人の不逞鮮人現はれ、横浜方面より隊伍を組むで東京方面へ向つて前進し来り。遂に歩兵一個小隊と衝突を来し、彼我の間に戦闘行はれたるも、一個小隊なるを以て遂に敵し難く全滅の惧(おそ)れありし……。尚、一説には右鮮人の数は四百人と称せられ確乎(かっこ)たる人数は判明せざるも横浜に本部を有する一団なるは明かなりと」

 朝鮮半島出身者の一団が陸軍歩兵小隊と戦闘を始めたというのである。虚報である。記事をよく読むと、前段では一団を「三千人」としながら、後段では「四百人」と書く。そもそも基本的事実がはっきりしない。

 ほぼ同じ内容は『河北新報』(9月4日夕刊)に「宇都宮経由東京電話」として掲載される。「二日午後五時、大森方面へ三名の不逞鮮人現はれ横浜方面より隊伍を組み東京方面へ向つて邁進し来たり」。『下野新聞』が「三千人」とした一団が「三名」になっている。

 情報は栃木や宮城にとどまったわけではない。名古屋市で発行される『新愛知』(現在の『中日新聞』の源流)は、9月4日号外に「仙台電話」として報じた。見出しは「不逞鮮人一千名と横浜で戦闘開始 歩兵一個小隊全滅か」である。記事には、20人が逮捕されたという新しい情報が付加された。新聞社間でさえ、情報が流通しているうちに内容が微妙に形を変え、伝言ゲームのようである。『新愛知』は長野、滋賀、三重など中部日本地方に普及しており、情報はさらに広く伝播(でんぱ)していった。

 考えなければならないのは、メディアの発達が十分でなかった100年前だからこそ、これらミスコミュニケーションが起こったのかという点だ。SNSが高度に発達した現代でも、情報が歪(ゆが)んで伝播することはウクライナ戦争でもよく見られるのではないだろうか。

 「銃火にかけよ」

 今では考えられないような社説も書かれた。『河北新報』(9月5日付)の「評論」である。この社説は、「かれ等(「不逞鮮人」)といへども、地震の突発を予知する筈がないから、震災の騒擾中、直(ただち)に組織的の行動に出づるが如きは事実上不可能であらう」と、事態をまずは冷静に分析して見せる。ところが、「或は内地人(日本人)の不良、或は主義者(社会主義者)なども加はつたかも知れないが、兎も角、暴化したる団体が、良民を襲撃して財貨を掠し、或は放火して騒奪擾を大ならしめんと企てたことは事実のやうに思はれる」と断言する。そして、

「秩序を回復することは急務中の急務である。或は、不逞の暴徒と良民とを区別すること能はざるが為めに、無辜の民を銃火にかけるやうな過失もないとは限るまいが、斯(かく)の如き非常緊急の場合に於いては已むを得ないであらう」。帝都の無秩序のなか、無政府主義者らが「不逞鮮人」を利用して、国体変革を図る危険性を論じ、混乱を引き起こしたと疑われる人物は銃火にかけてしまえ(殺してしまえ)と社説は訴えた。

 暴論と断ぜざるを得ない。ただ、複雑なのは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東および周辺で起きた朝鮮半島出身者の虐殺はこうした異常な集団心理のなかで発生したことである。犠牲になったのは数千人とも言われるがはっきりしない。メディアと大衆(群衆)は共謀して、朝鮮半島出身者を追い詰めていった。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日9月24日・10月1日合併号」表紙
「サンデー毎日9月24日・10月1日合併号」表紙

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