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天皇の「尊厳死」を考える 「延命」是非の議論も必要 社会学的皇室ウォッチング!/90 成城大教授・森暢平

昭和天皇が重体となった6日後、皇居・坂下門前の記帳所には、約10万人が列をなした=1988年9月25日
昭和天皇が重体となった6日後、皇居・坂下門前の記帳所には、約10万人が列をなした=1988年9月25日

 35年前といえば、つい最近のような気もすれば、遠い昔のような気もする。

 1988(昭和63)年秋、皇室記者の最大の関心は、十二指腸がんと闘っていた昭和天皇の容体であった。天皇は9月19日午後10時ごろに倒れ、以後、亡くなる翌年1月7日まで111日間の闘病生活を送った。この間、Xデーに備えた社会全体が自粛ムードに包まれ、マスメディアは連日、「ご病状」報道を行った。

 当時、治療の最大の目的はもちろん天皇の延命だった。天皇が一日でも長く生き延びることこそ重要だと考えられていた。だが今、社会では延命が必ずしも患者を幸せにしないと語られている。天皇や皇族は尊厳死を選択できるのだろうか。

 昭和天皇は前年(87年)9月22日、十二指腸の狭窄(きょうさく)から嘔吐(おうと)などの症状があったため、開腹してのバイパス手術を受けた。この時、「がん」であると確認されたが、病気は「慢性膵炎(すいえん)」と発表されていた。

 その後、昭和天皇の身体は「がん」がむしばみ、88年8月末の体重は48・5㌔と健康時から10㌔も減っていた。発熱が続き、胆道系の炎症が疑われていたまさにその時、推定500㏄の大量吐血。侍医らが深夜の吹上御所に駆け付け、9月20日午前0時半から緊急輸血が始まった。その量は約800㏄。黄疸(おうだん)症状も表れて重体となった。

 前年の段階で、「がん」を摘出する根本治療は不可能と判断されていた。抗がん剤治療も、がん細胞の増殖・転移に関わる分子だけを標的とする分子標的薬は実用化されていなかった。そこで採りうる最も積極的な治療は、天皇の鎖骨下を切開し、管を中心静脈に挿入する高栄養点滴(IVH)であった。侍医団はIVHを採用するかどうかを検討した。「可能な限り手を尽くすべきだ」という積極論と、「これ以上の身体的ご負担を避けるべきだ」と考える慎重論が対立した。結果として、IVHという手段は採らず、腕への点滴を通じての栄養補給にとどめることになった。

 これは、苦痛をできるだけ少なくしながらの延命という折衷的な案であった。首への高栄養点滴は断念するが、腕への点滴、そして出血を補う輸血は続けたのである。侍医たちは、カリウム、ナトリウムなど輸液成分の微調整によって、容体の安定に努め、結果として111日の延命がなる。当時の医療の常識から見れば、なし得るなかでの最善の選択であった。

 自ら人生を終える選択

 昭和天皇はすでに末期治療の段階にあった。111日間生き延びたが、死期がもっと早くてもおかしくなかった。だとすると、今、同じことが皇室のメンバーの誰かに起きたら、「延命治療」をしないという選択肢も俎上(そじょう)にのぼるのではないだろうか。「尊厳死」は、ある人物が末期の病態になった時、自分の意思によって、自分にとっては意味のない延命治療を控えたり、中止し、人としての尊厳を保ちながら死を迎えることである。例えば、現在「がん」の末期治療では、点滴を中止し、ターミナルケアを中心に自然な死を選択することも少なくない。

 一般に人は死期が近づくと尿が出にくくなる。その状態で、点滴で水分を強制的に身体に入れると、水分が体内にたまり、手足などがむくんでくる。呼吸も苦しくなり、肺水腫になることもある。逆に、点滴をしないと、むくみもなく、痰(たん)も出なくなり、楽になる患者が多い。点滴は身体の自由も奪い、長期間続くと肘から下に針を打つことも難しくなる。

 実際、昭和天皇も11月中旬から肘の上部に細長い管を差し込むことになった。また、12月上旬には意識レベルが下がり、周囲とのコミュニケーションが取れない段階に入っていた。仮に、もっと早い時期に点滴を止(や)める決断があれば、「あとおおむね2週間」などと死期が明確になり、最後の時間で家族と会話をしながら自らの人生を自らの判断で終えるという選択も取れたかもしれない。

 上皇のリビングウィル

 厚生労働省が2007年にまとめた「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」によれば、終末期医療及びケアの方針決定は「インフォームド・コンセントに基づく患者の意思決定を基本とし、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームとして行う」とされる。重要なのが、患者の意思(リビングウィル)である。また、患者の意思が変化することに留意して、その都度説明し意思の再確認が必要であるとされる。

 そもそも、昭和天皇には、「がん」の告知も行われていなかった。昭和末期、がん告知率は10~20%ほどであった。生きる気力を失わせないためにも、患者に「がん」を告知しないのが、当時の医療の常識であった。科学者であった昭和天皇が自分は「がん」であると疑わなかったかどうか不明だが、天皇は「がん」を知らないまま亡くなったことになっている。

 これも今の常識からすると考えられない。患者には、病状や治療法に関する情報の提供、およびそれに関して納得のいく説明を受ける権利が認められるようになっている。インフォームド・コンセントの原則である。国立がん研究センターがまとめた「院内がん登録全国集計」によれば、2021年現在の「がん」告知率は94%に達している。以上のように、35年前と現在では、医療倫理に関する常識は大きく変わった。

 現状では、ご高齢になられた上皇ご夫妻の意思がどこにあるのか気になる。お二人に、もしもの時が来た時、家族、すなわち天皇陛下、秋篠宮さま、黒田清子さんのお気持ちも大事になってくるだろう。

 ご本人や家族が延命をしないと決めた時、国民がそれを受け入れるかどうかも問題となる。一部の保守派が、天皇の「尊厳死」は認めないなどと言い出すかもしれない。

 しかしながら、昭和末期と比べれば、医療をめぐる常識が大きく変わり、また、皇室の私的生活が重視される環境も整ってきている。そのような変容のなかで、「私」のない天皇は「尊厳死」など選べないと主張したところで、多くの国民に認められないのではないだろうか。タブーなき議論が必要である。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日11月5日号」表紙
「サンデー毎日11月5日号」表紙

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