イーロン・マスク氏の論理性の原点に幼少期のいじめ被害を発見したアイザックソン氏 冷泉彰彦
大ヒットとなった『スティーブ・ジョブズ』(2011年)をはじめ、伝記作家として最も高い人気を誇るウォルター・アイザックソン氏が、世界有数の起業家、イーロン・マスク氏の伝記『イーロン・マスク』を刊行した。アマゾンのランキングでは、ノンフィクション部門の1位になっている。
アイザックソン氏は2年にわたってマスク氏の日常生活に密着。企業内の会議を取材し、日々のメールやスピーチを確認、また100人を超えるインタビューを行い、膨大なファクトを収集した。特にこだわったのは、マスク氏の思考回路における謎を解明することだった。
このためにアイザックソン氏は、二つのアプローチを行った。一つは経営者としてのマスク氏の一挙手一投足を観察することであり、二つ目は本人に取材することで、生い立ちを徹底的に掘り下げる作業である。
その結果としてアイザックソン氏は、一つの結論に至っている。それは、マスク氏の意思決定は全て「論理のアルゴリズム」の帰結ということだ。オンライン決済サービスのペイパルの発明も、スペースXでの宇宙への進出も、テスラの製造工程の改革も、思いつきではなく将来像へ向けて、現在位置から条件設定して組み立てたものだという。
例えば、ロシアのウクライナ侵攻に関して、マスク氏は「即時停戦」を主張しているが、これもマスク氏独特のアルゴリズム的な思考から出てきた発言だという。独特の論理性の背景には、マスク氏が南アフリカで送った幼少期に原点があるとアイザックソン氏は指摘する。具体的には、父親との確執と同年代の子供たちからのいじめ被害の経験だ。自分には理解のできない非論理性から、自分を守るために論理的思考を徹底する態度が身についたのだという。
ツイッター(現X)買収に関しても、少年時の原体験が反映しているとしている。つまり、誹謗(ひぼう)中傷のターゲットとされたことで、いじめの「場」を自分が支配し、そこに彼なりの秩序を持ち込むことに執着があったという分析をしている。謎に包まれた天才の発想法を解明するべく、マスク氏本人の内面に迫ろうとした本書は、同氏を扱った多くの伝記の中では傑出した一冊と思われる。
(冷泉彰彦・在米作家)
この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。
週刊エコノミスト2023年10月24日号掲載
海外出版事情 アメリカ 独特な論理の源泉に迫るマスク伝=冷泉彰彦