教養・歴史ロングインタビュー情熱人

「N」との記憶をたどる――保阪正康さん

「僕は他の人とは違う西部像を持っている。それぞれ違っていていいんじゃないか」 撮影=髙橋勝視
「僕は他の人とは違う西部像を持っている。それぞれ違っていていいんじゃないか」 撮影=髙橋勝視

現代史研究家、ノンフィクション作家 保阪正康/96

 札幌での中学時代に邂逅(かいこう)した「すすむさん」は、東京大学教授から保守の評論家になった。西部邁さんが自殺して5年。その姿を書き残し、『Nの廻廊』(講談社)として刊行した。(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)

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── 今年2月に『Nの廻廊』(講談社)を出版しました。多摩川で2018年1月に入水自殺した評論家、西部邁さんとの中学生のころからの交友がつづられています。

保阪 僕はこういうふうに(子どものころから)付き合っている人は他に一人もいないんですよ。そういう意味では、そういう一人の人物を書けるのは彼だけだった、ということですね。ちょっと違う形の新しい書き方で書いた仕事でした。西部がもし生きていて、この本を見たら、たぶん怒るだろうね。だって、彼は自分の心情とか気持ちは、決して他人には分からない、分からせないというスタイルを取っていたから。

「『西部邁』という名前を引きはがそうと思った」

── 『Nの廻廊』では「西部邁」は一切使わず、「N」または「すすむさん」と表現しています。実名を伏せた理由は何ですか。

保阪 西部邁には一つの社会的なイメージができている。保守的な思想家とか何とかと。だけど、僕は全然違う目で見ているから、「N」というイニシャルで書くことによって一度、「西部」という名前を引きはがそうと思った。AでもBでもいいんだけど、「N」として彼を書くことに決めたんです。初めから社会的なイメージとは違うという前提で書いているから、「西部」という名前では書けなかった。

── 今回の本をまとめてみて、改めてどんな感想を持っていますか。

保阪 西部のお兄さんから手紙が来ましてね、「泣きながら読みました」と書いてあったのはうれしかったですね。お兄さんのことも僕はよく知っていますが、13歳の僕と知り合った時の弟・西部は、ものすごく真面目で一生懸命生きようとしていた。たぶんお兄さんは、邁にもこういう時があったんだよと言いたかったのだろうと思いますね。

理不尽には徹底して戦う

 昭和27(1952)年の札幌。中学1年の保阪さんは、いとこの紹介で1学年上の西部さんと出会う。2人は札幌近郊から市内の中学校へ、鉄道を乗り継いで一緒に越境通学し、行き帰りの車内でさまざまに語り合った。体制と戦う保阪さんの叔父を、西部さんは「おもしろい」と興味を示し、西部さんが学校で不愉快な教師に「うるせえ、黙れ、この野郎!」と巻き舌で食ってかかった話も聞いた。 理不尽なことには徹底して戦っていた西部さん。混み合う市電で進駐軍のGI(米兵)に保阪さんが挟まれていた時、西部さんは劣る体格でもGIに体当たりした。西部さんが北海道札幌南高校に進学後、2人は疎遠となったが、ノンフィクション作家となった保阪さんは86年、編集者を介して東京大学教授の西部さんと再会する。『Nの廻廊』では中学時代は「すすむさん」、再会後は「N」として西部さんとの記憶が描写される。

── 西部さんは88年、東大の人事に抗議して辞職します。

保阪 僕のところに電話がかかってきて、彼は「俺もフリーでやっていくんだ」ということを言っていました。東大へ行って教授になったのは、別に彼にとって終着駅でも何でもなかったのです。「日本の社会では尊敬もされるし飯も食えるし、こんないい仕事ないんじゃないの」という話をしたら、「あいつら本当に社会も人間も知らず、ぬくぬくとしている。そういう連中なんだよ」と。

 彼は学生運動をやって逮捕され、学校をやめさせられて道を外れた。学生運動をやった人の宿命だけれど、普通の生活には入れないわけですね。社会が拒否するから。だから彼は、やむを得ず学問の道へ行って、大学院を出て助手から東大教授になった。アカデミズムの頂点だから東大を目指す、ということは全然考えていなかったと思いますね。

── 西部さんは晩年、体調の悪化にもかなり悩まされていたようですね。

保阪 彼は二つの病気を持っていたと思いますよ。皮膚からくる神経性の病気と、どこの部位かは分からないけれど、内臓も悪かった。いつも「痛い」と言っていました。だから年中手袋をしていた。何でそうなるの、と聞いたら、神経がどうのこうのと言っていたけれど、僕は聞いても何のことか分からなかった。もちろん彼は病院には行っていましたよ。彼の奥さんの実家は札幌で開業していた病院ですから。ただ、彼は近代医学、医療に対して……。

── 不信があったようですね。

保阪 医者が検査をして数字だけを見て診察するのは嫌だ、と言っていましたね。結局、我流で漢方を使ったりお風呂に薬草を入れたり、いろんなことをやっていると言っていました。奥さんもがんだったけれど、化学療法はしなかった。化学療法では限界があるという状況だったらしい。だから、お風呂に何とかの草を入れたらどうなんだとか、いろいろ漢方のことを言っていましたよ。

いつか自殺するという予感

── 西部さんの奥さんは14年に亡くなり、西部さんもその後、「自裁…

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週刊エコノミスト

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